第6話 エリーゼのために(後編)
「カイルよ。もうよい」
「え?」
突然、エリーゼが僕を呼び止めた。
「もう、十分に見せてもらった。我にとって3年など一瞬。しかし、この3年は我が存在して最も充実した時間となった。時の流れというものはこんなにもゆっくりと流れていくものだったのだな」
「エリーゼ……」
「旅の締めくくりだ。お前を我の特別な場所に連れて行ってやろう」
エリーゼはドラゴンの姿に戻り、僕を背に乗せた。
どこに行くのだろうと思う間もなく、エリーゼは凄まじい速度で飛んだ。身体がバラバラになるかと思うほどだった。
それでもその場所に着くまでには相当な時間がかかったと思う。それほどに遠く、遠く、遠い場所だった。
気が付けば僕たちは、不思議な場所に降り立っていた。
「これは……水晶? 宝石……なのか?」
そこは全て透き通った鉱石でできていた。見渡す限りの鉱石の山。幻想的な景色だった。
「夜が明ける。見よ」
太陽が昇る。
日の光を受けた鉱石は、虹色に輝き始める。美しい光景に心を奪われた。
こればかりは言葉で表現できない。あまりにも美しく、僕は無意識に涙を流していた。
「ここは、我が生まれた場所だ。世界の最果て、もしくは別の世界なのかもしれぬな。我からの礼だ。その胸に刻んでおくがいい」
「……ありがとう、エリーゼ」
「我はな、カイル。世界を滅ぼしてしまおうかと考えていたのだ。我は孤高の存在。他との交流を必要とせぬもの。しかし、何千何万という時間を過ごす中で、我は何もかもがむなしくなったのだ。この世界には我のみがあればいいと思った。永劫の時間の中で、我は朽ち果てることなく生きていくのだ」
「そんなの、哀しすぎるよ」
「おそらく持って生まれたこの感情というものは、我にこの世界を壊させないための理性なのかもしれぬ。それも我のみであれば必要なくなる。何も考えず、ただ、個として、この世界そのものとして生きればそれでよい」
再び人の姿となったエリーゼは、ふんと鼻を鳴らした。
「そんな我を変えてしまったのはお前だ、カイル」
「え?」
「お前が世界を見せてくれた。それは人間という生物から見たちっぽけなものだと高をくくっていたが、違っていた。世界は美しく、そこに存在するすべての生もまた美しい。命は輝いているものなのだな。この景色よりもまばゆく輝き、明日を紡いでいく。我はこの世界を壊さなくてよかったと心底思えるようになったぞ。あの時、お前が我の前に現れてくれてよかった」
エリーゼが初めて、僕に優しい笑みを向けてくれた。
「もう、お前の案内がなくても大丈夫だ。我はまた、我として生きていく。時には人間に化け、おいしい料理を食しに行くがな」
「これで……お別れなのか」
「これ以上、共にいる意味などあるまい」
「僕は……嫌だ」
「何?」
嫌だ。これで終わりなんて、嫌だ。
「君と一緒に過ごした時間は、とてもかけがえのないものだ。君がいてくれたから楽しかった。君と一緒だから、どこへでも行けた」
「それは別に我でなくともよかったはずだ」
「そうじゃないんだ。君じゃなきゃ、駄目なんだ」
うまく言葉が出てこないのがもどかしかった。僕は焦って何かをしゃべろうとしたけど、うまく言葉にならない。
「ふ。単なる気の迷いだ。我が長いこと、この人間の女の姿をしていたからな。我はドラゴンだぞ」
「違う。姿なんて関係ない! 僕は君と……もっとこの世界を見たいんだ。君と一緒に生きていきたいんだ!」
いつからだろう。エリーゼにこんな感情を抱くようになったのは。
僕と同じ孤独だったから? 人間になったこの姿に惹かれたから? 3年間ずっと一緒に過ごしてきたから? わからない。ただ、僕は自分のこの感情をぶつけずにはいられなかった。そうしなければ、きっと一生後悔する。後悔を引きずったまま生きていくのは嫌だ。
「我と共に生きるだと? ふん。人間の一生など我にとって一瞬の時間よ。共に生きて何になるいうのだ」
「それでも! 僕は、その短い人生を……君と過ごしたい。君のために生きていたいんだ!」
「我のため……だと? 笑わせてくれる。とんだ自己都合だな。お前が死んだあと、残された我は再び孤高の存在に戻ることになるだけだぞ」
「それでも君の心に僕は残る! 永遠に!」
「忘れるさ、すぐに」
「忘れない! 僕は、僕の短い一生を、僕の全てを君のために捧ぐ。僕の全てを、君の心に刻み込む!」
「カイルよ……お前は何を」
「君のことが好きなんだ! 愛しているんだ! エリーゼ!」
強い風が吹いた。
鉱石の谷を抜けた風が、リィィィンと鳴っている。
「ふ、ふ」
「ふ?」
「ふ、ふははははっ! あははははっ! ははははは!」
笑った? エリーゼが、笑っている?
微笑むようなことがあっても、こんなに笑っているエリーゼは初めてだった。
涙を流して笑い続けている。
「はははっ、はー。ふー。お前はあれだ、馬鹿だな。とんでもない愚か者だったのだな」
ようやく落ち着いたエリーゼは、涙をぬぐって言った。
「愚かでもいいんだ。君のことが好きでいられれば。一緒にいられれば」
僕はエリーゼの左手を取る。ひざまずき、そしてその薬指に、あの露店で買った指輪を当てた。
「これは……金剛石を入れた指輪か? 何かの儀式かこれは」
「そう。永遠の愛を誓う儀式。男性が女性に求婚する時の」
「我は女性ではなくドラゴンだというに。求婚? つがいになるというのか、ドラゴンと人間が?」
「僕は君を心から愛している。だから……僕と一緒に、生きてくれ。エリーゼ」
再び、風が吹いた。今度は優しく、そして静かに。
「く、ふふふ。よかろう! 面白い! こんなにも愉快なことはない! ならば契約だ! 我はお前の命が尽きるまで共に在ろう」
「この命。君に捧げる。僕の命が尽きる、その時まで……君を愛し続けることを誓う」
そして僕は、指輪を薬指にはめた。
立ち上がり、僕はエリーゼを見る。
エリーゼも僕を見る。
僕はエリーゼの身体を引き寄せ、口づけをした。
「い、今のはな、なんだ?」
エリーゼはびっくりして目を丸くしていた。
「キスだよ。好きな相手にする、愛情表現の一つさ」
「……な、なんだ、身体が少し熱いな。不思議だ。我にも知らぬ――ん」
僕はエリーゼの唇を唇でふさいだ。
僕たちは長いこと、そうしていた。
鉱石の光が、まばゆく僕たちを包み込んでいった。
こうして、僕たちは結ばれたんだ。
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