最終話 福智瑠璃子の決心

 今日も今日で寒いことに変わりはない。

 どれだけ着込んでいても、まるで服の一切を切り裂くように冷気が体に染みる。

 予報だと、雪がぱらつくかもしれないらしい。

「寒いなぁ……」

 昼休み。食堂と売店の人混みに入る気が失せたわたしは、中庭のベンチに座って人が減るのを待っていた。

 いや、待って。何で寒いとわかってて外で待ってるの? 中で待ってる方が――

 そこまで考えて、結局動かなかった。一度座ってしまうと、もう一度立ち上がるのも億劫になっていた。だって寒いんだもの。

「お、福智か。何やってんの」

 ドキリとした。

 振り返れば、立花くんが近くに立ってわたしを見ていた。

「ご、ご飯持ってきてなかったから、買おうかと思ったんだけど、人が多くて……」 

「そっか」

 しどろもどろになるわたしとは対照的に、立花くんは少し間を開けてわたしの隣に座った。

「そう言えば、『パンが無ければ本を読めば良い』だっけ?」

「は?」

 急に、何を言い出すんだろう。

 記憶だけじゃなくて思考能力まで無くしたかと思って、慌てて立花くんの様子を確認する……あれ、錯乱してるとかじゃなさそう。

 首を傾げるわたしに、立花くんは何か懐かしむような感じで言った。

「ほら、4月だったか5月だったか、お前がここで俺に言っただろ?」

 立花くんの言葉で、記憶を掘り起こす。そんなことなんてな……あ。

「ちょちょちょちょ、ちょっと! それはもうチャラになったはずじゃ――」

「そう言えばそうだっけ。まぁ、他に誰も聞いてないから良いだろ?」

 ニヤリと笑う立花くん。わたしは慌てて周囲を確認する。中庭の芝生を挟んだ反対側に二人ぐらいいるけど、きっと聞こえてないはず。たぶん。

 まったく、何て心臓に悪いことをしてくれるんだろう。あのことは忘れてくれるって約束だったのに――


 あれ、おかしくない?


「あ、雪だ」

 立花くんの声で、顔を上げた。空を埋め尽くす薄灰色の雲から、ちらほらと白い雪が降りてくるのが見えた。

 それは、差し出した手に乗ってすぐに溶けた。間違いない。雪だ。

「これで、約束は果たしたことになるのか?」

「は? 約束?」

「ほら、『雪を降らせる』って約束」

「降らせれば良いってわけじゃなくて――」


 待って。

 何で、何で……


 


「? どうした?」

 まじまじと見つめるわたしを、立花くんは不思議そうに見返してきた。

 口の中がからからになって、声が出せない。

 わたしの外側はひどく冷えきっているのに、内側は今にも燃えてしまいそうなほどの熱で満たされていた。

「何、で……記憶……」

 ようやく声を出せても、頭の中で渦巻くものを言葉に表せれなかった。

「あー、確かに思い出せなかったんだけどな」

 頭をかきながら、立花くんは申し訳なさそうに微笑んだ。

「何か、大事なことを忘れているような、そんな気がずっとしててさ……忘れたらいけないようなことを忘れているような、そんな感じ」

 そう言って、立花くんは空を見上げた。つられて、わたしもその視線の先を追った。

 雪はまだちらついていた。さっきよりも数が増えてきたかもしれない。

「ずっとモヤモヤしてたんだが、どっかの誰かさんのひどく辛そうな顔を見て思い出したんだよ」

 そっと、わたしの頭に立花くんの手が触れた。

「ごめんな。また、お前を辛い気持ちにさせてしまって」


 その瞬間、わたしの中で何かが弾けた。


「ば、か……ばかばかばかばかばかぁああああああああ!!」

「うおっ!?」

 体の中から色々なものが溢れ出した。闇雲に叩いて、すがって、泣きじゃくって、喚いて……恥も外聞も何も考えず、ただ奥底から湧き出る衝動のままに体が動いていた。

 やがて疲れ果てて動かなくなったわたしの体を、立花くんが抱き締めてくれた。

「福智。もう、お前のそばから離れない」

「……うん」

「だから――お前も、俺のそばから離れないでくれ」

「うん……!」

 渾身の力で顔を上げて、立花くんと見つめ合う。そして、何も言わずにキスをした。

 味は感じなかった。思いの外固い唇の感触だけ。


 それでも、十分だった。


「ごめん、汚しちゃった」

「大丈夫だ。お前の方がヤバイぞ」

 ハンカチで立花くんの制服を拭いていたら、逆にハンカチを差し出された。

「涙を拭けよ。まぁ、鼻水も垂れてるが……」

「あ、ありがとう」

 受け取ったハンカチで涙を拭ってから、あることに気付いた。

「あ、このハンカチ……」

「?」

 わたしがポケットから出したハンカチ。立花くんの制服に付いたわたしの涙とかを申し訳程度に拭いていたハンカチ。

「ごめん、これ、立花くんのだった……」

「え? 何でお前が俺のを――」

 言いかけて、立花くんも気付いたらしい。

「そういや、洗って返すって言われてたな」

「ごごごめん、どっちも洗って返すから」

 両手にわたしのせいで汚れてしまったハンカチを握って、ひたすらに謝る。

 返そうと思ってずっとポケットに入れていたハンカチを、使ってしまうなんて……

「お前って、妙に抜けてるところがあるよな」

「う、うるさいな……」

「『パンが無ければ』何だっけ?」

「~~! もうその話は終わり!」

 にやにや笑う立花くんを軽く叩きながら、わたしは思っていた。



 こんな日々が、ずっと続きますように。



 ううん、違う。



 きっと、ずっと、一緒に居るんだ。

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パンが無ければ本を読めば良いじゃない! 水無月せきな @minadukisekina

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