福智「約束だよ」
霧島「本当に鈍いのね……」
「別れましょう」
それは、突然のことだった。
いつも通りに付き合わされた喫茶店で、霧島はコーヒーを片手にそう告げた。
「え、お、おう?」
あまりにも唐突すぎたし、そもそも何と答えるべきかわからなかった。
そんな俺を置いてけぼりにして、霧島はまるで事務仕事をこなすかのように淡々と言葉を続けた。
「君が悪いわけじゃなくて、私が悪いんだけどね。このままだといけないから」
「このままだといけない? 何が?」
訳がわからずに首を傾げた俺を見て、霧島はため息をついた。
「私ね、本当は君のことが好きじゃないの。嫌いという意味じゃなくて、恋愛感情ゼロってことね」
「え? あ、そっか」
さらりと告げられた事実に一瞬驚いたが、それは本当に一瞬だった。
霧島は目を見開いた。
「驚かないの? というか……怒らないの?」
「俺の方がむしろ申し訳ない気持ちだったし、あんまりお前からの好意を感じなかったからな」
「そ、そう……」
釈然としない様子で、霧島はカップに口をつけた。
不意に訪れた沈黙。
何となく気まずくなって、俺は口を開いた。
「しかし、好きでもないのに何で告ったりしたんだよ?」
「それは……今は言えないわ。あなたが自分の気持ちに気付くまでは」
「俺の気持ち?」
言葉の歯切れが悪いような気がする。何かを俺から隠すために言葉を選んでしゃべっているような、そんな雰囲気。
その隠された「何か」がわからずにまた首をひねると、霧島は呆れたような目をした。
「本当に鈍いのね……ここまで鈍いなんて想定外だわ」
「え、鈍い? 何が?」
まったく理解できてない俺の前で、「揃いも揃って筋金入りの鈍さなんて、骨が折れるどころじゃないわよ……」と霧島は小声で呟いた。
俺の何が鈍いんだろうか。
鈍いと言えば体の動きだろうが、そう言われる覚えはない。むしろクラスの中でも良い方だと思うんだが……
真剣に考えても答えらしきものが出ない。目の前の霧島を見ても、答えを教えてくれるつもりはさらさら無さそうだ。
「とりあえず、そういうことで。恋人関係は終わり。私の思いつきに付き合わせてごめんなさい」
神妙に頭を下げてから、霧島は店を出ていった。
俺の手元に残ったのは、一向に答えの出ない疑問と伝票……散々振り回されて、最後の会計は俺持ちか。
そうして財布がまた薄くなったのを感じたのが、昨日の放課後。
「ねぇ、一緒に帰らない?」
久し振りに部室に顔を出すか、それともフリーに過ごすか。
そんなことを考えながら教室を出ようとした時に、後ろから声をかけられた。
「何だ、福智か」
「『何だ』って何よ。何か不満でも?」
振り返ると、笑いながらこめかみをピクピクさせる福智がいた。
「いや、不満は無いが。突然どうしたんだ?」
「どうしたも何も、最近まともに会話してなかったじゃん」
「あぁ、そう言えばそうだったな……というか、それなら部室に行くか? ずっと顔出してなかったしな」
俺としては自然な流れだったはずなんだが、福智はなぜかためらった。
「それも良いんだけど、ちょっと二人で喋りたいって言うか……稲佐君には十分会ってたし、霧島さんと会うと少し……」
最後の方はごにょごにょとしていて聞き取れなかったが、福智なりに理由があるらしい。
「わかった。なら一緒に帰るか」
「あ、うん、ありがとう」
ぱあっと華やいだかと思えば、すぐにパタパタと自分の席へと戻っていった。どうやら荷物はそのままで声をかけに来たらしい。
「ごめんね、お待たせ」
福智と一緒に教室を出ながら、随分と久し振りに落ち着くような、そんな気がした。
前にも言ったが、俺の家は学校から近いところにある。福智の家への分岐点はもっと近い。
つまり、ものの数分も歩けば一緒に歩く道は終わるということだ。
「じゃあな」
二人で喋りたい。そう言った割には会話も無く、これで良かったのかと今さらになって思いながら俺は自分の道へと足を向けた。
「待って」
一歩を踏み出そう、というタイミングで袖を掴まれた。危うく気付かずにそのまま歩いて行きそうだったほどに弱い力で。
「もう少し、付き合って」
遠慮がちなその笑みは、夕日に照らされて暖かく輝いていた。
正直、福智のこういう笑顔はずるい。今まで何度か見た覚えがあるが、普段と違うしおらしさが俺の調子を狂わせる。
「……ちょっとだけだぞ」
「うん」
福智に袖を引かれるようにして歩く。
手を繋ぐのとも離れるのとも違う、微妙な接点で繋がれているのが妙に気恥ずかしい。
「で、どこまで行く気だ?」
「うーん、考えてない」
「お前なぁ……」
人の行き交う商店街の中を、ずんずんと進んでいく。じきに、長く連なる商店街の端に到達してしまった。
「どうしよう……」
「おい、お前の家ってまだ先なのか?」
「え? あ、通りすぎてる」
「はぁ?」
「ごめん、夢中で歩いてたら過ぎちゃった……」
申し訳なさそうに俯くところを見るに、本当に頭の中から「帰宅」という単語が消えていたらしい。
「しょうがない。戻るか」
「そうだね」
通り過ぎたと言っても、そこまで長くオーバーランしたわけじゃなかった。
「じゃあな」
「うん……」
本日二度目の別れ。
だがそれは、一度目よりも心なしか寂しい別れだった。
後ろ髪を引かれるような気がしながら、歩き出す。
「待って!」
二度あることは三度あると言うが、一度あることも二度あるらしい。
だが今度は喧騒の中でもはっきりとわかるほどに力強く止められた。
「あ、えっと、あの、その……そうだ! 歩かせ過ぎたお詫びに何か奢るよ!」
右往左往していた福智が指し示したのは、一軒の喫茶店。
「まぁ、良いが……あれ?」
そこは、昨日俺が霧島に別れを告げられた店だった。
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