霧島美鈴の告白
昔から、私は引っ込み思案だった。
幼稚園に始まり、小学校に入っても変わらなかった。
「みーちゃん、こっちー!」
「まって~」
「………」
同じ組の子どもたちが広い運動場を走り回るのを、私はただ黙って見ていた。
いじめられていたわけじゃない。普通に生活できていた。それでも遊びに誘われることは少なく、自ら参加しに行く勇気もなかった。
「なにしてんの?」
「え……?」
かくれんぼをしようとしていたのだろうか。
運動場と中庭の間、私の横を通り過ぎようとした男の子が立ち止まった。
「な、なにも……」
あまりに突然すぎて、私はしどろもどろに答えた。
彼はしばらく私を見つめた後、ニカッと笑って言った。
「じゃあ、いっしょにあそぼうぜ!」
「え? え?」
戸惑う私の手を掴んで、彼は走り出した。
「ちょ、ちょっと!」
「いーから、いーから!」
そう言って彼が隠れたのは、中庭に生えていた大きな木の陰。
「いいか、木になるんだぞ。つかまるわけにはいかないからな」
「つかまる? だれに?」
「おににきまってんだろ!」
何て無邪気なんだろう。
あの時の私は、はっきりとは理解できなくても、その底抜けの明るさを感じていた。
「あ、いなさみっけ!」
「んげぇえ!? くりや!? にげるぞ!」
「えええ!?」
どうやらかくれんぼじゃなくて鬼ごっこだったらしいけど、そんなことを考えている余裕は無かった。
「はしれ! はしれ!」
「む、むりー!」
必死になって足を動かしながら見た彼の背中は、大きかった。
これが、彼ーー稲佐健吾との出会いだった。
それからも度々彼の遊びに巻き込まれた。
自ら他人に関わりに行く勇気の無かった私には、それはありがたく、楽しいことだった。
1年、2年と過ごすうちに、私は淡い恋情を彼に抱くようになった。
ただ、それをはっきりと意識したのは、彼がいなくなってからだった。
「行っちゃうの?」
「おうよ、オレがいなくても元気にな!」
変わらない笑顔を残して、彼は転校していった。
一方の私もまた、変わっていなかった。
彼と出会う前と同じく、はしゃぐクラスメイトをただ眺め続けた。
中学を卒業する頃には、1人でいることにも慣れた。むしろ、居心地の良ささえ感じるようになった。
そして、高校2年生の春。
「オレは稲佐健吾。よろしくな!」
外を眺めてぼーっとしていた私に、誰かが話しかけてきた。
いなさ、けんご。
私の中に刻まれた名前と、一致した。
振り返った私の前で、彼は笑った。それは、あの時と同じ、無邪気で底抜けに明るい笑顔。
でも私は、慎重になって言葉を返した。同姓同名、他人の空似。彼であるという確証が欲しかった。
「よろしく」
「あぁ、よろしくな!」
結論から言えば、彼はあの彼だった。
「生徒指導室にエロ本……? どうやって取りに行くかだな」
「稲佐くんって本当にブレないねー」
「ん? 笹木さんも取りに行く? エロ本」
「いや、何で?」
昔よりちょっと変態な方向性になってはいるけど、あの時と何も変わってない。
彼がいるだけで、その場は明るく、楽しくなっていた。
もう一度、彼と遊びたい。
そう思いながらも、私はなかなか動けずにいた。
「どうしたの、いきなり呼び出して」
人通りの少ない講堂の裏手。そこに稲佐君はいた。
「ちょっと、聞きたいことがあってな」
「そう」
いつものひょうきんさは無かった。顔をしかめて、私を見ていた。
「なあ、お前、立花のこと好きじゃないだろ?」
爆発寸前の怒りを押し止めているのが、声からはっきりわかった。でも、怒っている理由まではわからなくて、少し戸惑った。
「好きよ? もちろん。嫌いじゃないしーー」
「恋愛感情として好きかと聞いてんだ」
真剣だった。
嘘はつけない。そうさせない圧力があった。
「別に、好きじゃないわ」
「なら、なぜ告白なんてした」
「それは……ほら、あの2人って全然自分の気持ちに気付いてなかったでしょ? だから、好きな相手が取られたりしたら流石に気付くと思ったのよ」
「……楽しいか?」
沈黙の果てに、絞り出すような一言が聞こえた。
私は特段考えることもなく、素直に答えた。
「ええ。どうしたら彼が気持ちに気付くかとか、そもそもいつになったらお互いに気付いてくれるかとか……楽しいのはあなたも好きでしょう。一緒に――」
パシィッ!
突然、視界が揺れた。
「……え?」
左頬が痛くて熱い。急に血が通ったかのように、そこだけ感覚が鋭敏になっていく。情報の消えた世界の中で、それだけが私の存在を示していた。
「ふざけるな」
遠くなる意識に、稲佐君の声だけは確かに届いた。
「確かにオレは楽しいことが好きだ。でも、誰かを苦しめてまで楽しくなろうとは思わない」
言葉が、痛烈に突き刺さる。
「すぐにやめろ。今すぐに」
頷かざるを得なかった。
私と稲佐君の間にある溝。今まで見えていなかったそれを感じて、私は何も考えられなくなった。
嫌われた?
そんな。
私は、ただ……
「……ごめん」
ジャリッ。
動いた気配がした。
咄嗟に、手が伸びた。
「待って」
袖を掴んで引き寄せる。
「ごめんなさい……」
無になった頭に恐怖が満ちていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
涙が、言葉と共に溢れた。
嫌だ。
私は……稲佐君と一緒に笑いたいだけだったのに。
「お願い、許して……私を、見捨てないで……!」
恥も外聞もかなぐり捨てて、私はひたすら泣きじゃくり続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます