稲佐健吾の信念
「野球やろうぜ! お前ボールな!」
勢いよくドアを開けた部室は、静まり返っていた。
人がいないわけじゃない。ただ、あまりにも人がいなかった。
「おーい、野球やろうぜ……いや、野球じゃなくて、この際何でもいいんだけどさ……」
オレの言葉は、周囲の白い壁に空しく吸い込まれていく。
誰も、答えない。
オレは、意を決して真面目に声を掛けた。
「こんにちは。福智さん」
「! !? ! あ、えっと、うん」
福智さんがびくりと大きく肩を震わせるのを見ると、ズキリと胸に痛みが走った。
オレは、福智さんにとって今一番会いたい人ではないから。
「ひどいな……気付いてなかったのかよ」
「ごごごごめん、そういうわけじゃなくてね? えっと……」
オレを傷付けまいと、福智さんは必死に取り繕うとしていた。でも、オレにはわかる。今、本当に傷付いているのは誰なのか。
「あ、お茶! お茶淹れるね」
ぎこちない笑顔を見せながら、福智さんはお茶の準備を始めた。
……違う。
「はい、どうぞ」
「お、ありがとう……熱っ!」
「もう、淹れたてなんだから当たり前でしょ」
そう言いながら、福智さんは心配そうにオレを見た。
……違う。
「………」
「………」
互いに無言のまま、時間だけが過ぎていく。
いつもなら何か騒ぎ立てるところだが、オレは動こうとしなかった。
理由は簡単だ。そんなことをしたって根本的な解決は望めないからだ。
「………」
「………」
黙り込む福智さんが見つめているのは、オレから見て左、福智さんの右隣に開いた空間。
よく立花が座っていた位置だ。
「………」
「………」
霧島さんが告白した日から、福智さんは段々と元気を無くしていった。
『またあの二人はデート?』
『そうみたいだな。いやー、あんな美少女と付き合えるなんてうらやまけしからん。ということで、デートしない? 福智さん?』
『断る』
『早っ!』
最初の内は、まだ笑えていた。
『……また、居ないんだ』
『まったくけしからんやつだ。恋にうつつを抜かして部活をサボるなんて』
『そう、だね……』
次第に消えていく福智さんの笑顔。しまいには、オレの無駄話に反応する余裕すら無くなっていた。
理由は一つだけだ。
(立花……)
アイツの不在が、福智さんの心に大きな穴を開けていた。傍目にもわかりやすいくらいに。
解決策も一つだけだ。
福智さんの隣に立花が戻ること。
ただ、ネックなことが一つある。
(一応、霧島さんの彼氏なんだよな……)
一応、とつけたのは、恋愛感情をどっちも抱いてないと思っているからだ。
証拠があるわけじゃない。ただの直感だ。でも、それはほぼ確信でもあった。
告られた立花の側は言うまでもないだろう。問題は霧島さんだ。
(絶対、気付いててやったよな……)
告白した時の霧島さんの笑み。あれは、企んでいる笑みだった。まあ、思い込みだろとか偏見だろとか言われたらそーなんだけど。
(一つ一つ、確かめるしかないか)
霧島さんに確かめる前に、確認しておくべきことがある。
「なあ、福智さん」
「え? あ、うん、どうしたの?」
「立花のこと、好きじゃないのか?」
「へ――」
口を半開きにして福智さんは固まった。
オレは思わずため息をついてしまった。ニブいにも程があるぜ。
「ずーっと立花が座ってた場所見てるからさ」
「え、嘘、そんなことない……」
「じゃあ、最近元気が無いのは何でだ?」
「それは……」
答えかけて、福智さんはオレをじっと見つめて黙った。
急かさずに、オレはただ待った。
「……元気、無かった?」
「ああ、これっぽちも」
はっきりと頷いたら、福智さんはがっくりとうなだれてしまった。
「そっか……気付かれないように頑張ってたつもりなんだけどな」
「バレバレだったぜ?」
「う」
目に見えて福智さんが凹んだ。どうやら本気でバレていないと思っていたらしい。
「それで、何でそんなに元気無いんだよ?」
「それは……」
福智さんの視線が、隣をさまよう。答えなんてわかりきってはいるけど。
「何かさ、わたしの中からすっぽりと何かが抜けてしまったみたいな感じがするの。力が入らなくなって、気力も無くて」
「抜けていったのは、立花じゃないのか?」
本当は、こんなことをしたくはなかった。
なるべく自然に、互いに気付かせてやれないかと思っていたから。
「たぶん、そうなんだろうね……おかしいよね。こんなの。霧島さんの彼氏になったんだし、来る来ないは立花くんの勝手なのに」
そう言って、福智さんは笑った。
でもオレは笑えなかった。
ひどく疲れた笑顔を見て、笑い返せる訳がない。
「なあ、会いたいと思ってる?」
「誰に?」
「立花にだよ」
問いの答えは、すぐには返ってこなかった。
両手で抱えた湯呑みに落ちる視線。
身じろぎ一つしない一方で、その心は大きく揺れているに違いなかった。
長い沈黙の果てに、小さな声が聞こえた。
「会いたい」
「わかった」
ポケットからスマホを取り出して、トークアプリを開く。メッセージを送る相手はもちろん、アイツだ。
「稲佐くん?」
返信を受けて立ち上がったオレを、福智さんが不安げに呼んだ。
「大丈夫。待っててくれよ」
渾身の笑顔を見せてから、オレは部室を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます