立花「お前の暇つぶしに付き合わされただけかよ!」


「立花君。デートに行こう」


 帰ろうと立ち上がった俺の耳元で、そう囁かれた。

 ぞわっとして振り返ると、何か企んでいるような微笑みを浮かべて霧島が立っていた。

「……おどかすなよ」

「あら、ごめんなさい。少しは色気ある方がいいかなと思ったんだけど」

「頼むからやめてくれ。色気にしても心臓に悪い……」

 色気と言われて、合宿の時の霧島の姿が頭に浮かんだ。照り付ける日射しの下に晒された白い肌、すらりとした肢体――

 ぶるんぶるんと頭を振って、そのイメージを追い出す。何を考えているんだ俺は。

「どうしたの?」

「い、いや。何でもない」

 霧島に心配そうに顔を覗き込まれて、思わず目を逸らした。立てば芍薬座れば蓮華、「美人」を地で行く霧島を至近距離で見てしまうと、どうにも調子が狂う。

 強引にでも、俺は話を元に戻すことにした。

「それで? デートが何だって?」

「デートに行きましょう。恋人になったんだし」

 楽し気にそう言った霧島は、俺が答える間もなく俺の腕を掴んで歩き出した。

 俺はただ引きずられるだけだったが……周囲からの視線が痛い。

 そもそも霧島は男子の間で人気が高い。そんな女子が、浮いた話のまったくない俺の手を引いて歩いているとなれば……わかるよな?

(ああ、明日からが憂鬱だ……)

 迷うことなく廊下を突き進む霧島の背中を見ながら、俺はただただげんなりとしていた。霧島と一緒にいるのが嫌なわけじゃない。今まで薄暗い世界で呑気にしていたのに、突然スポットライトを浴びてしまうんだ。

 何をどう間違えたらこんなことになってしまうんだろうか。

 手を引かれながら、俺は答えの出ない自問自答を続けていた。



「で、何でここなんだ」

 霧島に手を引かれること約10分。

 やってきたのは学校近くの商店街にある小さな本屋。とても「でえと」で来る場所には見えません!

「ああ、この後用事があるから、近場でぶらっとしようと思って」

「お前の暇つぶしに付き合わされただけかよ!」

 俺の文句には一切構わず、霧島はさっさと店内に入って行った。仕方なく、俺も後に続いた。

「いらっしゃい」

 奥のレジに座っていた爺さんが声を掛けてきた。歳をとって白髪になったザビエルみたいだ。軽く会釈をしたが、爺さんはすぐに手元の新聞に目を落としていた。

 亡霊みたいにずっと霧島の後に付いて行く気になれず、かと言って爺さんに話しかける気もなかったから、店の内装に目を向けた。

 店内の配置自体は単純だ。入って右奥の角にレジカウンター、それ以外の壁面はすべて天井まで達する本棚。2列の本棚が入り口から奥まで真っ直ぐ伸びている。通路は2人の人間がすれ違えるかどうかの幅しかない。

 明らかに個人経営の本屋だ。

(やっぱり、デートで来るような場所じゃないよな……)

 文芸部の部員としては正しいかもしれないが、普通は違う場所に行くものだろう。じゃあどこに行くのかなんてことはまったく知らないが。

(デート、ねえ……)

 今まで恋愛の「れ」の字もなかったから、ぼんやりとしたイメージはあってもそれを具現化できない。それでも何かしらシミュレーションしてみよう。


 遊園地? ……近場にあると言えばあるが、行くのが面倒だし金もかかるんだよなあ。


 映画館? ……デートにぴったりな映画って何? というか、二人で無言で数時間画面を見つめるのか?


 カフェ? ……普段行かないから勝手がわかんないし落ち着かないだろう。


(……ダメだな、こりゃ)

 数分間考えて、俺はそう結論付けた。

 そもそもデートに対する俺のイメージは正しいのか? デートって一般的に何をするものなんだ? 恋愛って一体何なんだ?

「立花君。行きましょう」

「ん? あ、ああ」

 霧島に声を掛けられて、ハッと我に返った。いつの間にか深く考え込んでしまっていたらしい。

「もういいのかよ」

「ええ。特に見たいと思うような本はなかったし」

「あー……」

 当然だろうな、と思わなくはなかったが、店主であろう爺さんに聞こえかねない状況で言うのはどうなのか。

 気になってこっそりとレジの方に目を向けてみたが、爺さんは変わらず新聞を眺めていた。こっちを微塵も気にしていない気がするな……それはそれで店主としていいのか?

「どうかした?」

「いや、何でもない」

 首を横に振ってから、霧島に続いて店を出た。

 ここからは、霧島と俺の道は違うはずだ。

「用事があるんだろ、じゃあな」

「ちょっと待って」

 簡単な挨拶だけ残して帰ろうとした俺の肩を、霧島が掴んだ。

「ここは見送るところじゃないかしら?」

「え、そうなのか?」

「………」

 今、「うわ、コイツ駄目だ」みたいな目で見られた気がしたが、気のせいだよな?

 なんて思う俺の前で、霧島は深いため息を吐いた。

「あと少しだけ付き合って。私がバスに乗るまで」

「お、おう」

 有無を言わさない口調に、俺は頷かざるを得なかった。

 またも霧島に手を引かれてバス停へと歩く。着いた学校前のバス停には、人の姿はまばらだった。

 バスはよく遅れて来ると聞いていたが、霧島が乗るバスは案外早く来た。白地に赤のラインが横に走った車体が目の前に止まり、アナウンスを流す。

『お待たせしました。32番、白田駅行きです』

「じゃあね、立花君」

「おう、またな」

 開いた扉の向こう、車内へと霧島は消えていった。じきに、バスは発車した。

 車と人が奏でる喧騒の中、俺はバスが視界の先へ消えるまで見送った。

(……帰るか)

 そう思った時、俺はふと自分の手を見た。

 バス停まで歩く間、霧島と触れ合った手。絡まる細い指、ハリがあって冷えた肌、俺の手に収まってしまう小さな手……握り合っていた時の感触を、今になってはっきりと意識した。


 初めて、手をつないだ。

 それは恋人以上の関係じゃないと中々しないこと。


 ……俺がして良かったんだろうか。

 霧島から告白され、受けた。だから恋人同士なんだろう。

 でも、俺は霧島のことを好きなのか?

 霧島が嫌いなわけじゃない。好きか嫌いかと言われれば好きと答えるだろう。だけど、その「好き」と霧島の言う「好き」は、違うはずだ。

 「好き」じゃないのに、霧島の「好き」を受け入れて良かったのか?


 途端に、いけないことをしている気になってきた。


「……帰ろう」

 頭を振って、歩き出す。

 いつもと変わらない街の騒がしさは、俺の中に生まれたもやを晴らしてはくれなかった。

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