福智「み、見た?」

 ガラガラガラ、ガラガラガラ、カタン。


 物音で、目を覚ました。

(侵入者か……?)

 寝ぼけながらも、耳を澄ましてみる。稲佐の静かな寝息以外は何も聞こえない。少なくとも俺たちの部屋じゃない。もっと言えば、稲佐が動いたわけでもない。

(そうなると、隣の部屋か)

 だんだんと、頭が起きてきた。

(……突き止めるか)

 このまま寝てしまうのは気分が悪かった。物音の正体を突き止めるべく、俺は稲佐を起こさないよにしながらベッドから抜け出た。

 部屋はほぼ真っ暗だが、カーテンの脇から光が漏れてきている。そんな微かな光でも、特に物のない部屋を歩くには十分な光量だった。

 闇に目が慣れるのを待って、俺はまず部屋を見回す……異常なし。

 次に、そっとドアを開けて辺りの様子を窺ってみる……こっちも異常なし。

 後は、音的にベランダだ。

(不審者じゃないといいが)

 1階には用心のためにおじさんがいてくれているが、それでも起こしにいかなきゃいけない。

 杞憂であることを祈りながら、俺はカーテンの合間からベランダを覗いた。

(左、異常なし。右は……)

 その瞬間、俺は音を立てた人間を特定した。

(何やってるんだ? 福智……)

 ガラスの向こう、俺の視線の先で手すりに寄り掛かっていたのは福智だった。見慣れたジャージを着たまま、福智はじっと海の方を見ているようだった。

 音の発生源を特定したからもう戻ってもよかったが、ここまで来たら引っ込みもつかなくなってしまった。そのまま立ち上がって窓の鍵を開けて、俺もベランダへと出た。

「誰?」

 窓を開ける音に体を大きく跳ねさせて振り返った福智は、緊張した表情で俺を見た。

「俺だよ。立花だ」

「あ、何だ……立花くんか」

「何だとは何だ。失礼だな」

 緊張を緩めた福智の隣に立って、俺も手すりに寄り掛かった。

「ごめん。別に他意はないから」

「他意があったら困るぜ」

 背後の部屋で寝てる人間がいるから、自然と会話する声も小さくなった。まるで密会でもしている気分だ。

「ごめんね、起こしちゃった?」

「ああ、起こされちまった。で、何してんだ、お前は」

 聞きながら、俺はちらりと福智を見た。

 よく見れば、福智はジャージの上着を羽織っただけだった。前のファスナーは閉まっていなくて、肌着が見え――

(――!)

 次の瞬間、俺は全力で真逆の方向へと視線を振った。

 肌着を見てしまったから、というわけじゃない。いや、肌着を見てもいいとかそんなことを言うつもりはなくて、より見てはいけないと思えるものを見てしまったからだ。

 俺と福智の間は10センチ弱の距離だ。身長も福智の方が低い。その状態で福智を見るとどうなるか。つまりは柔らかそうな二つの膨らみとその狭間を斜め上から覗き見るような形になってしまった。肌着も胸元が大きめに開いていて、より見やすくなってしまっていた。

(いや待て、昼間に散々見ただろ! 落ち着け!)

 昼間に水着姿を見たことを思い出して沈静化を図る。だが、それもそれで福智に対して抱いた「可愛い」という感情が首をもたげてきて収拾がつかなくなった。

「……ねえ、聞いてる? 立花くん」

「へ? あ、悪い、何だ?」

 必死に平静さを保とうとする俺に、福智が怪訝な目を向けてきた。

「もう、きみが聞いてきたんだよ……ねえ、何でそっぽを向いてるの?」

「い、いや、気にするな。ちょっと首を寝違えてな」

「さっきまでちゃんと見てたじゃん」

「お、おい」

 頭を掴まれ、ぐい、と無理矢理福智の方を見させられた。

 俺は視線を上に上げて、せめてもの抵抗を試みた。

「人と話をするときは相手の目を見ましょうって習わなかった?」

「いや、それは習ったんだがな。ちょっと事情が――」

「つべこべ言わないの」

 有無を言わさぬ強い口調で言われ、最後の抵抗も不可能になった。というか、こんな怖い口調もできるんだな。って、感心してる場合じゃない!

(……そうだ! 顔だけを見れば!)

 図らずも、福智の指摘は俺を救った。福智の目だけを見れば、リスクを回避できる。そう考えた俺は福智の要求通りしっかりと目を見た。

「まったく、ちゃんと見れるじゃん。何が……」

 ふと視線を下げた福智が、はたと動きを止めた。そしてバッと両腕で自分の胸を隠した。

「み、見た?」

「い、いや! 見てない!」

 瞬時の回れ右。まさかこんなところで集団行動の経験が役に立つとは思わなかった。

「見た、でしょ?」

「……ちょ、ちょっとだけだ。大丈夫だ。全部見えてたわけじゃないから」

 問い質すような声音に、俺は観念して答えた。フォローも入れたつもりだったが、フォローになってなかった。どうやら俺はまだ動揺しているらしい。

 だが、動揺しているのは向こうも同じらしく、続く問いの声は震えていた。

「ほ、本当に?」

「ああ、谷間が見えただけだ」

 言ってすぐに、自分が墓穴を掘ったことに気付いた。これは股間を蹴りあげられても文句は言えない。

 痛烈な痛みを覚悟して身構えた俺だったが、いくら待っても何も反応が返ってこなかった。

 恐る恐る後ろを振り向けば、福智は両腕で胸を隠したまま、俯いて何事か呟いていた。

「……大丈夫。水着の時に見られてるから……いや、でも……ううん、大丈夫……」

「あの……福智?」

 キッと睨まれ、俺は反射的に距離をとってしまった。だが俺の防衛本能が危惧した状況にはならずに、沈静化の兆しを見せた。

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