稲佐「股間に悪いな」

 ざざぁ……ざざぁ……


 波の打ち寄せる音が、潮の匂いと一緒に俺のところまで届く。

 だが波打ち際まではまだ遠いせいでその音は小さくて、隣で騒ぐ稲佐の声に掻き消されそうになる。潮の匂いも微かに香る程度だ。風情も何もあったもんじゃない。

 体にまとわりつくぬるく湿った風、照り付ける太陽。夏らしいと言えば夏らしいが、不快としか言いようのないものだけがはっきりと感じられる。

 冬よりは夏の方が好きだが、だからと言ってこの暑さ、不快感を手放しで喜べるわけじゃない。

 合宿という楽しげなイベントのためにここまで来たのに鬱々とした気分に陥っていると、陽気な話声と砂利の上を歩く足音が聞こえてきた。

「ごめんなさいね。待たせてしまって~」

「いえ、別に――」

 申し訳なさげに手を振る先輩を見て、小休止。そして目の前に並んだ女性陣全員を見て活動を停止した。

 か、可愛い。

 人間、着る服が変われば印象もこんなに変わるものなのか。いや、素が可愛いのは認めるが、それでもこんなに華やいで見えるとは、まったく予想していなかった。

 俺から見て右端に立つ先輩は、恥ずかしそうに体を縮めた。その動きに誘われるようにして俺の視線は先輩に向いた。

 肩紐で吊るされた先輩の胸は覆う布からまさにこぼれ落ちそうで、少しでも身じろぎするたびに大きく揺れる。腰はフリルのついた布がぐるりと巡って、ミニスカートをはいているようにも見える。上下ともに鮮やかな水色だ。

「あんまり見ないで。恥ずかしいから……」

「す、すみません!」

 慌てて視線を外す。勢い余った俺の視線は、今度は左端に立つ霧島に飛んだ。

 胸の下で腕を組んだ霧島は、三人の中でも背が高くすらりとしたその体に暗い紺のビキニを着ていた……え、ビキニ、だよな?

 女性の水着にはとんと馴染みがない上に知識もないが、俺は霧島の水着を見て暑さのせいではない汗が流れた。

 なぜなら、露出が最も過激だったからだ。

 先輩の「ダイナマイトボディ」(稲佐の言葉だ)は、水着になって露出度が増したことでその健康的かつハリのある体の魅力を遺憾なく発揮していた。

 だが、霧島が身に着けている水着は、要所を比較的小さな三角形の布が覆うだけ。他は紐だ。繰り返す。だ。モデルとしても通用しそうなその体の大部分が日の下に晒されている。

「……あら、どうかしたかしら?」

「いえ、何でもないです!」

 どうやら俺の背後、おそらく海を眺めていたらしい霧島は、視線に気付いたのか俺に目を向けた。

 お前の水着に驚いていた、なんて言えるわけもなく、俺はブンブンと首を振って視線をその隣に向けた。

 福智は左手の肘を右手で掴んで、軽く肩幅に足を開いて立っていた。その視線はぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている稲佐に注がれている。ふくよかな先輩、スレンダーな霧島の間で、福智は「平均的」(これまた稲佐の言葉だが)でありながらも、没個性的には思えなかった。まあ、性格が真面目(というか妙に律儀)な人間が華やかな水着姿になったギャップなのかもしれんが。

 福智のオレンジ色の水着は先輩と似ているが、その腰には赤、黄、青の花があしらわれたレースの布を結んでいる。見慣れないその布を見ていると、合わせ目から覗く太ももに視線が行った。その肌は日光に照らされて、眩しく輝いていた。

 そこでふと、俺は気付いた。最初に「可愛い」という言葉が浮かんだが、三人全員に対しての言葉じゃなかった。先輩は母性的だし子供っぽくもあって、うまく表現する言葉が出てこない。霧島は大人と言っても通る雰囲気で、「綺麗」と呼ぶ方がよりふさわしい。ただ一人、福智だけは何のためらいもなく「可愛い」と言えるし、「可愛い」と感じたのは福智がいたからだった。

「……どうかした?」

「いや、何でもない」

 福智の言葉で、俺は我に返った。じっと福智を(それも太ももを)見つめたまま考え込んでいたらしい。小首を傾げる福智から視線を逸らす。俺は誤魔化すように後ろを指差した。

「で、コレはどうする?」

 もちろん、俺が指し示したのは稲佐だ。福智は露骨に顔をしかめた。

「……そのまま放置に一票」

「福智さん、聞こえてるからね!」

「そのまま絞首刑に一票」

「霧島さん!?」

「大丈夫。あなたを縛ってるロープならいけるわ」

「そういうことじゃなくて!」

「まあ、それは見てみたいわ」

「先輩!?」

「ごめん、わたしも賛成で」

「福智さん!?」

「ということで、満場一致だ。喜べよ」

「さらりとお前まで賛成してんじゃねえよ! 堪忍してくれ……」

 おいおいと稲佐が泣きだした(もちろんウソ泣きだが)のと、女性陣が満足げな表情をしていたから、ロープをほどいてやった。最近、女性陣が稲佐の扱いを熟知した挙句、いじることを覚えたらしい。そろそろコイツのライフはゼロになるかもしれない。

 松の幹から解放されて、アイマスクを外した稲佐が目を開く。

「ブホォッ!!」

 途端に、盛大に鼻血を噴き出した。その勢いに、女性陣は思わず後ずさった。

「ちょっと、汚さないでよ!」

 福智がキレる中、稲佐は呟いた。

「立花……」

「どうした? 悪いが、ティッシュは持って来てないぞ」

 どうせロクでもないことだろうと思った俺に、稲佐は厳かに言った。


「股間に悪いな」


 稲佐の頭に、俺と福智のゲンコツが振り下ろされた。

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