立花「安心しろ。俺も初めてだ」
俺たちは無言でバスに揺られていた。
仲が悪いとか、そういうことじゃない。行きもそうだったが、この状況で話すことが特に浮かばないだけだ。それに、部室以外で言葉を交わす機会が少ないとなれば、よりいっそうこういう状況で何を話すべきかわからなくなる。
ちらりと隣に目をやると、窓の向こうに流れる一面の田んぼを福智はじっと眺めていた。
「? どうしたの?」
「いや、何でもない」
俺の視線に気付いたのか、福智が小首を傾げながら聞いてきた。意図したわけじゃないが無愛想な答えを残して俺は反対側に視線を向けた。
俺たちが乗るバスに、人はほとんどいない。特に俺たちが座る後部の二人掛けの座席には誰も座っていない。他には前方の優先席にお年寄りが一人座っているだけだ。
「ねえ、立花くん」
「ん? どうした?」
互いに車外の風景を眺めること約10分。間もなく駅に着くかというところで、福智は声を掛けてきた。
「楽しかった?」
「……お前は一体何を気にしてるんだよ」
たまに福智の考えが読めないことがある。
意思疎通ができないわけじゃない。むしろ他の大多数の人間よりかは意思疎通ができる。
それでも、たまに俺の知らない福智が現れる。
……まあ、当たり前か。そこそこ会話をするようになって1か月程度、福智のすべてを知っているわけでもなんでもない。
「結構、不安だったんだよ。何から何まで初めてだったし」
「初めてって何が?」
「それは……」
福智はいかにも恥ずかしそうに縮こまった。
垂れた髪の隙間から覗く赤くなった頬を見て、なぜか俺まで少し赤くなってしまった。
「
「安心しろ。俺も初めてだ」
「……ぷっ」
あはは、と腹を抱えて福智が笑い始めた。優先席のお年寄りがちらりとこっちをうかがったのを見て、俺は福智の頭を軽く叩いた。
「ごめんごめん、ひぃっく、ごめん」
「何をしゃっくりまでしてんだ。そんなにおかしかったか」
「ごめんって……」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、福智は状態を屈めたまま俺を見上げた。
「立花くんって、面白いね」
「お前にだけは言われたくねえ」
沈黙すること数秒、また福智は笑い出した。今度は俺もつられて笑った。
『間もなくぅー、新都市駅ぃ終点でぇす』
間延びした運転手のアナウンスが聞こえる。
「……今日はありがとう」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、何でもない」
俺たちは、バスを降りた。
『1番線に、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側に――』
ホームに鳴る電子音と、アナウンス。線路の先を見れば、平たい顔面の電車がゆっくりと来ていた。
「立花くん。先に帰ってくれない?」
「は? 何で?」
ガタンガタン、と滑り込んで来る電車の騒音の中で、福智は声をやや張り上げた。
「ほら、向こうで一緒に降りるのを見られたら……」
「そこまで徹底すんのかよ」
福智の徹底ぶりに半ば感心、半ば呆れながら、俺はまあ納得はしていた。だが俺にとって納得できないことがあった。
「それなら、お前が先に帰れよ」
停車してドアを開いた目の前の車輌を指で示す。
福智はきょとんとしていた。
「え? 何で?」
「何で、ってお前……次の便は30分後だぞ。それまで待つ気かよ」
実を言えばこの新都市駅、糸浜駅とは路線が異なる。相互乗り入れをしてはいるものの、新都市駅のある路線の本数は少なく、糸浜駅のある路線は本数が多い。時間帯にもよるが、今のように30分以上待つことは珍しくない。
「だって、立花くんを呼び出したのはわたしだし……」
「いや、お前な……女子を一人残して帰るのは後味が悪いぞ」
『ドアが、閉まります』
「「あ」」
互いに一歩も退かず、一歩も動かずに言い合いをしている間に、ドアが閉まってしまった。
そしてそのまま、電車はするするとホームから滑り出て行ってしまった。
しばらくの間、俺たちは電車を見送った状態のまま立ちすくんでいた。
「……次の電車が来たら、帰ってね」
「いや、だからお前が先に帰れって」
やっぱり、お互いに譲らない。
不意に、しんみりとしながら福智が言った。
「立花くんって、何だかんだ優しいんだね」
「何だよ急に」
「強引に入部してもらった時も思ったけど、何か妙に義理堅いって言うか、優しいって言うか」
「強引に入部『させた』だろ。それに、そう言うお前だって妙に律儀だろうが」
本日二度目、ムキになっての言い返し。だがクリティカルヒットになるどころか笑みを誘っただけだった。
「いつもありがとうね。立花くん」
「本当に何だよ、急に」
これは、バスの中の時よりも思考が読めない。レベルで言えば、あの時のレベルに近付いている気がする。
万が一の事態に備えて逃げ道をこっそりと探すが、ここはもう改札をくぐったホーム。福智が頓珍漢なことを叫び始めたとしても、逃げ道はない……いや待てよ、まだトイレがあるぞ!
なんてことを考えていたが、どうやら杞憂だったらしい。福智は静かにベンチに腰を下ろした。途端に手持無沙汰になってしまった俺も、福智の隣に座る。
高架式のホームに、少し湿った冷たい風がゆるやかに吹き抜けた。
『間もなく、1番線に電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側に――』
ただひたすら座っていた俺たちの前に、また電車が滑り込んできた。それに合わせて、今度は強く風が巻き起こる。
ドアが開くや否や、福智が立ち上がった。
「じゃあね、立花くん」
「ああ、またな」
互いに軽く言葉を交わす。電車に乗り込んだ福智は、くるりと振り返った。
『ドアが、閉まります』
するりとホームを抜け出ていく電車を、俺はただ見送った。
小さく手を振る福智の、一つの影も無い笑顔が、頭から離れなかった。
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