福智&立花「「あ」」

福智瑠璃子の熟考

『じゃあ、今度何かおごってくれよ』

『……は?』

『言いふらさない代わりに、今度何かおごってくれよ。それでチャラにしようぜ?』


 悪戯っぽい彼の笑顔が、言葉と共に頭の中でループする。

(おごる、か……)

 あの場では頷いてしまったけど、何をおごればいいのかな。

 わたしと彼の間にある秘密(だとわたしが勝手に思っていること)、それを消せるのなら何でもいい。そう思っていたけど。

(どうしたらいいの……?)

 いざとなると、何をおごるべきなのかさっぱりわからない。

 男子だし、ガッツリとしたご飯がいいかな? それともお菓子とかあげた方がいいのかな? え、そもそも食べ物を買ってあげるってことでいいんだよね?

(あー、わかんない……)

 ベッドの上でゴロゴロ転がりながら、あーでもないこーでもないと思考を転がせる。

 結局、妙案なんてものは浮かんでこなかった。

「ただいまー」

 不意に、玄関から声が聞こえた。

ベッドから起き上がって部屋のドアを開けると、ちょうど目の前を弟の和樹が横切ろうとしていた。野球部の練習から帰って来た和樹は、汗と土の匂いを撒き散らしながら自分の部屋へと入ろうとした。

「あれ、今日は早いんだ」

「明日試合だから、今日は軽めで終わった」

「そうだ。ねえ、和樹。ちょっと聞きたいんだけど」

 他愛もない言葉を交わした後のわたしの不意の問いかけに、和樹は足を止めた。

「ん? 何?」

 リュックを肩に掛けたまま、和樹は器用にわたしを振り返った。

 我が弟ながら、瞳はくっきりと澄んでいる。その瞳で真っ直ぐ見つめられて、なぜかこっちが恥ずかしくなってしまった。

「いや、あの、ね……おごられるなら、何をおごられたい?」

「は? おごられる?」

 怪訝そうに和樹が眉をひそめたのを見て、わたしはしまったと思った。

 わたしが今抱えている秘密を、和樹にだって知られるわけにはいかない。

「あー、いや、ちょっとね。他の人に軽くおごることになっちゃって……」

「………」

 和樹の視線が冷たいままだ。何か言葉を発する度に墓穴を掘っているようにしか思えない。

「……なるほど」

「えーっと、あのー、へ?」

 どう取り繕ったものか考えていたら、急に和樹が訳知り顔になって頷いた。

「ねーちゃんに春が来たのか……ぐぇ」

「やかましい。ってか、そんなんじゃないから」

 にやける和樹のお腹に、パンチをお見舞いする。気を抜いていたとは言え、鍛えているだけあって流石に腹筋は硬かった。

「イテテ……じゃあ、何なんだよ」

「う、それは……」

 お腹を軽くさする和樹から、視線を逸らす。そういうことじゃないんだけど、でもあのことに触れないようにしながら説明するのは……難しい。

「……まあ、いいや。それで? おごられるのがどうしたって?」

 困り果てたわたしを見かねたのか、和樹が折れてくれた。

「あ、うん。男の子に何かおごるってことになったんだけど、そういう時に何をおごったらいいのかなって」

「うーん、そうだな……お菓子とかジュースとかでいいんじゃね? コンビニのとかでいいからさ」

「そういうのでいいの?」

 和樹は困ったように丸刈りの頭に手をやった。

「いいの? って聞かれてもな……普通におごったりおごられたりって言ったらそんなもんかなって」

「あ、そう……ありがとう」

 妙に納得できないまま部屋に戻ろうとしたわたしの背中に、和樹が言葉を投げかける。

「あ、ねーちゃんの手作りお菓子とかだったら喜ぶんじゃね?」

「え? 手作り?」

 振り返ると、和樹がニタニタと笑ってわたしを見ていた。

「男なら、女子からそういうのをもらえるってだけで嬉しいけどな!」

「て、手作りか……」

 料理の経験がからっきしないわけじゃないけど、どうなんだろ……イマイチ自信はないなぁ。

 なんてわたしが悩み始めていると、不意に和樹の声が低くなった。

「ねーちゃん。無理矢理とかじゃないよな?」

「え?」

 顔を上げたら、じっとわたしを見つめる和樹と目が合った。

 その顔に、さっきまでの笑みは微塵も残っていない。

「え、あ、うん。自分からだけど……」

 無言で発せられる気迫に気圧されて、曖昧にうなずいてしまった。

「なら、いいけど」

 しばらくわたしを見つめた後、和樹はさっと視線をそらした。

 そしてそのまま、部屋へと姿を消した。

(……何だったのかな?)

 突然和樹が見せた表情に、わたしは戸惑った。

 あんなに真剣な顔を、試合以外で見た覚えがない。

「和樹―! 洗濯物出しなさーい!」

「わかってるよ!」

 母さんと和樹、二人の声が家の中に響く。

 それは、いつもと変わらない光景。

(まあ、いっか)

 腑に落ちないものを感じながらも、わたしは目下の懸案事項をもう一度考え始めた。

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