霧島「私も入りたいわ」
霧島「楽しそうね」
俺は、どうしてここに居るんだろうか。
「ふむふむ」
「………」
部室棟入ってすぐにある文藝部の部室。俺はなぜかそこにまた来ていた。
「はぁ……」
海よりも深いため息をつくが、部屋にいる福智と稲佐の二人は反応しない。二人とも、熱心に読書をしていた。それぞれの背表紙に書かれたタイトルを読んでみると、
稲佐は『実践! モテ男のすゝめ』、
福智は『吾輩は猫である』。
……露骨に二人の趣味嗜好の差が表れてるな。
二人が黙々と読書に耽る中、俺はそわそわと落ち着かず、お茶をずずっと啜った。
もともとは、部室に来るつもりなんて無かった。
素直に帰宅しようとした俺を「美少女二人を愛でに行こうぜ」と稲佐が部室まで引っ張り、「あら、今日も来たんだ」と福智がお茶を出すに至ってまたもや帰るタイミングを逸してしまった。
部室に到着するや否や稲佐は「面白そうだな、これ」と言って本棚から本――さっきのやつだ――を取って読み始めるし、その様子を少し冷たい目で見ていた福智も早々に読書を始めてしまったから、俺は話し相手を失っていた。
そもそも俺は本を読むのがキライというわけじゃない。ただ、2人ほど集中して読むのが苦手なだけだ。気楽にごろんとしながら読むのが良い。稲佐のように適当に本棚から引っ張ってきて読んでもいいんだが、このシーンと静まり返った中では、何となく読む気になれなかった。
……ヤバい、何もすることが無い。
それならさっさと帰ればいいだろう、と言われるかもしれない。
しかし、お茶を淹れてもらってすぐに帰るというのは、淹れてくれた福智に悪いし、何より長く居ることを期待されてるようだから後味が悪くなりそうだ。
ということで帰りたいのに帰れないという状況下で悶々としていた俺は、しばらくして画期的な解決策を見出した。
この時間に宿題を片付けてしまえばいい。
その閃きに、俺の体は雷に打たれたような衝撃とともにアドレナリンを大放出した。
そしてノートと教科書を取り出したところで気が付いた。
「筆箱忘れた……」
バッグの中を漁ってみても見つからない。これは教室に置いてきた感じかな。
「ちょっと教室に行ってくるわ」
聞いてるかどうかわからない二人にとりあえずそう告げ、返事を聞くことなく部室を後にした。
放課後の校舎。
いくつかの教室には、勉強している人、数人で談笑する人々の姿が見えた。俺がクラスのドアを開けると、たまたま誰も居なかった。
いや、違う。
「………」
あまりにも自然に溶け込みすぎて認識できなかったが、一人だけ、教室の中に居た。
窓枠に腰掛ける女子。開け放たれた窓から吹き込む柔風が、その濡れたようにしっとりと黒く長い髪を揺らす。斜に入る日光はまるでスポットライトのように彼女を照らしていた。
紺のスカートからすらりと伸びる脚を軽く組んで、はるか先――方向的に運動場だろうか?――に物憂げな視線を向けていた。
あまりに芸術的で妖艶なその光景に、俺はしばらく息も忘れて見惚れていた。
「どうしたの?」
突然、目の前に顔が迫っていた。
「え、あ、いや!」
どうやら見惚れるどころの騒ぎではなく、呆然としてしまっていたらしい。しどろもどろになって後ずさりながら見ると、いつの間に近寄っていたのかさっきの女子が近寄っていた。
「目、泳いでるよ」
霧島美鈴。俺のクラスメイトだ。日頃から男子が騒ぎ立てているのは知っていたし、実際可愛いとは思っていたが、まさか呆けてしまうとは思っていなかった。
「あ、いや、何でもないから!」
そう言って遠慮気味に押し退けると、俺は自分の机まで歩いて中をまさぐった。
……あった。
やっぱり、教室に忘れていた。
ほっとした俺の背後から、再び霧島の声がした。
「ねえ、立花君」
「は、はい?」
見惚れていたことを悟られたかと思い、ビクビクしてしまう。
努めて動揺が顔に出ないようにしながら振り返る。
「ここ数日楽しそうね」
「……へ?」
良かった。俺が一番心配していたことでは無かったようだ。
しかし安堵する俺の中に、新たな疑問が生じてきた。
「楽しそう? 俺が?」
「うん」
稲佐の机に寄りかかり、霧島は小さく頷いた。
「最近の君、楽しそうよ?」
「へえ、そう……」
楽しそう、と言われる心当たりが無いため、首を捻る。
福智に振り回されて昼飯食い損ねたり文藝部に入らされたり稲佐のせいで騒がしかったり……
胸を張って『楽しい』、と言える要素が無いような気がするんだが。
「何がそんなに楽しいのかしら?」
「うわぁっ!」
ぐいっと霧島がまた顔を近づけてきた。俺が後ずさると霧島がもっと近づき、しまいには壁と霧島の間に挟まれてしまった。
「ねぇ、どうして?」
「な、な、な――」
それこそ目と鼻の距離というほどまでに接近していた。霧島の息が俺の頬を撫でる。これだけ近いと睫毛の一本一本まで見えてしまう。俺の目を覗き込むように見る霧島の目は細く、瞳に深い何かを秘めていた。
俺の心臓はバクバクと音を立てて激しく鳴動し、肺はしきりに酸素を求めて呼吸を荒くする。顔中に血が上って熱く、真っ赤になっていくのが分かった。
それでも何とか平常心でいなければ、答えなければという理性が働き、口をパクパクと開いてギリギリ日本語らしき音声を発した。
「えと、文藝、部に入って……稲佐とか、福智とか居て……エト……アノ、ソノ……」
「ふぅん、そうか。文藝部ねえ……彼も……」
『稲佐』の名前を聞いた時、霧島はさらに目を細めた。
「ねえ、立花君」
「?」
ようやく俺から顔を離して、霧島は言った。
「私も入ってみたいわ、文藝部」
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