刑場へ


刑場はいつも曇っている。刑場は隔離されていてあたりにはなにもない。丘陵地帯を抜けて刑場に向かう。刑場行バス路線は三十年ほど前に廃止されたので車を借りて走らせる。ところどころにバス停が放置されているので道が正しいのが分かる。刑場までは一本道である。誰ともすれ違わない。


刑場は隔離されている。丘陵は緑に覆われている。緑に曇天がたれこめる。重たくのしかかって風を抑えつける。丘陵は止まっている。私と車は動いている。


私は刑場を視察しに行く。刑場は半世紀前から稼働している。三年に一度視察しに行く。仕事でなければ行きたくはない。刑場はいつも曇っている。


いつまでも刑場に近づかない。車はつやつやして白く灰色が染みにくい。車は借りたものではないかもしれない。刑場に行くために買ったのだったかもしれない。三年前に乗った車を思い出せない。空は灰色い。道は灰色い。丘陵は緑色い。刑場は灰色い。車は白い。


刑場はいつも曇っている。曇天をくぐって届くために光はみんな灰色である。車を出たとたんに私も灰色になるだろう。みんな灰色をまとっている。私は刑場を視察しに行く。仕事でなければ行きたくはない。


丘陵に落ちる光も灰色である。道をひく空気も灰色である。ときどきすれちがう木も灰色である。朽ちたバス停も灰色である。灰色が幕になって雲の下の丘陵に垂れこめる。


刑場にはまだつかない。私は窓をぴっちり閉めて、車をろろろと走らせている。単調な道である。丘陵は続く。早く着きたいので速く走らせる。アクセルを踏む。踏んでも踏んでも丘陵は続く。上がっているのは目盛の数字だけで、実際の速度は変わらない。私は騙されない。私は騙されない。私は車を疑っている。唯一の味方を信用できない。


私は恐ろしい。ただ早く早く刑場に着きたい。車を走らせる。三年前もこうだっただろうかと思い出す。灰色はよく覚えている。他は何も覚えていない。車を走らせる。


ふいに人影が現われる。速度の中の私と眼があう。もうすっかり灰色のまなざしが私と車を塗りつぶす。私と車は停止する。


私は車のドアを開ける。降りて灰色の光を浴びる。人影のところまで歩いていくと、人影は影から人になる。人が私に話しかける。


「どこまで行くのです」「刑場まで」「あなたも罰を受けるのですか」「いいえ私は監察官です」「刑場を見に行くのですか」「そうです。刑場がきちんと稼働しているかを見に行きます」「そうですか。もし刑場がつつがなく刑場であれば、迎えを寄こしてくださいませんか」「どこにですか」「ここにです」


人は近くで見ればますます灰色だった。早く車に戻りたかった。車を降りたことを後悔しだした。あたりはどこも灰色だった。早く車に戻りたかった。


「それなら車に乗っておいきなさい」「いいえ」「なぜですか」「私は迎えを待っているのです」「自分から行けばいいでしょう」「できないのです。歩けないのです」


人は一歩も動かなかった。靴の先まで灰色だった。


「私は刑を待っているんです、私を罰してくれる判事を、私を糾弾してくれる両親を、私を撃ってくれる雷を、待っているんです、ここで待っているんです、でも誰も何も来ないのです、待っているうちに脚が根付いてどこにも歩けなくなったので立っているんです、もう自分で刑場に向かうこともできない」


「あなたはいったい何をしたのです」「何もしなかったのです、ただ待っていただけで、歩いていくことも何もしなかったのです、何もしなかったことに対して何か刑があるはずなんです。そうでなければおかしいでしょう」


「お願いです、早く捕まえてください、早く罰してください、このままでは正しくありません、不均衡です、刑があるはずなんです。このままでいるのは不安です、不安です、不安なんです」


「いつか罰されるはずなんです、いつか、いつか、時々不安になります、いえ、いつも不安です、誤解しないでください、私は刑場を信じています、しかし、まさかとは思いますが、思いますが、監察官、刑場は私を忘れているのではありませんか、ねえ」


私は人から目をそらした。自分のつま先を見るともう灰色が染みつき始めていた。なぜむざむざと時間を無駄にしたのだろう。車に戻らなければならない。戻ってハンドルを握ってアクセルを踏んで丘陵を越えてこの道を辿って刑場に着かなければならない。刑場にはまだ着かない。時間に間に合うか分からない。


「私はいつか罰されるはずなんです、ずっと待っているのです、ええ分かっています、これは私の罰なのだから自分で歩いていくのが筋でしょう、でももう根が生えてしまっているのです。どうすることもできなくなったのです。とにかく早く早く罰してほしいんです、私がここにいていいわけがないのです、私は刑場を信じています、私は刑場を信じています」


靴の先から寒さが上ってくる。とにかく早く早く刑場に着きたい。車を振り返るとドアは開いている。ドアを閉め忘れていた。運転席はほとんど灰色にのまれている。あそこに戻らなければならない。戻ってハンドルを握ってアクセルを踏んで丘陵を越えてこの道を辿って刑場に早く着かなければならない。


思うほど脚がうまく動かない。刑場はいつも曇っている。背後に人の視線を感じる。人は何年前からここで待っているのだろう。三年前もこうだっただろうか。三年前に私は刑場で何を視察したのだろう。刑場には何があってどういう場所だったろう。時間がどろどろどろどろ流れる。運転席にしがみつく。


ドアを閉めると私も車も全てが灰色だった。なってしまえば灰色の何がそんなに恐ろしかったのかもう思い出せなかった。ハンドルを握ってアクセルを踏むと車は走りだし、バックミラー越しに人が人影に人影が点に変わりやがて何も見えなくなった。私は刑場で私を待つ職務を思った。恋人に会うような心地がした。

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