からい水
おまえは魚の味がする、とどの男もいう。
魚ではなく、と私は答える。魚ではなく、それは潮の味でしょう。
海辺の生まれか。
そう、海の。
私の身体は潮の味だ。陸に上がってもう大抵のことは諦めたが、これだけははっきりさせておきたいから、男ではなく自分のために、毎夜私は訂正する。
海を離れたのはもうずいぶん前だ。舟で見る男たちの陸の臭いに、どうしようもなく魅かれた。はじめのうちはうまくいかなかった。波間で抱けば男は沈んだ。陸の臭いも潮に消された。二、三人を沈めた頃から舟はそこらに寄りつかなくなり、そのうちに自分が陸に上がればいいのだと気がついた。古い魔女に相談し、声ではなく、海の言葉と引き換えに鰭を失って脚を得た。浜の砂を踏んだ瞬間にさざなみから言葉が消え、私は帰り道が分からなくなった。
脚の付け根を触ると水が滲んだ。舐めると潮の味がした。
脚の付け根の穴からいつも身の内の潮が漏れ出ている。海に棲んでいたのは産まれてからたったの十五年、その十五年間で私を満たした潮が未だに身体から抜けきらない。それを舐めて男は魚の味だという。確かに昔そこは魚だった。あながち間違ってもいないのかもしれない。けれども私にはどうしても潮だと思える。
陸の女はどうなのだろう。男に聞けばやはりからいという。地の塩を舐めて育つというから陸の女はその味だろうか。
ときどき私は海を懐かしみ、懐かしんで潮を確かめる。私が潮を確かめることを男は喜び、喜んでそこに栓をする。
あなたを思ってではない、海を思ってのことだ。はじめのうちは訂正した。このところはもう面倒になってそのままだ。そのままにしておくと答えはだんだんぼんやりしてくる。どちらでもさして変わらないと思う。
魚の頃は栓のことなど知らなかった。抱きしめるだけでよかったのだ。腕の中に一瞬陸の臭いが立ち込めて、潮に巻かれて消えていく。それだけで私は満足していた。こんなふうに味を知ることになるとは思わなかった。陸の味は美味しいのかそうでないのか、よく分からない。海で潮の味に慣れて忘れるように、浜では陸の味に慣れて忘れた。
潮を確かめているといつも、どうしてか寂しいような気分になる。身の内の潮が引くことはあるだろうかと考える。考えるのをやめる直前に男がやってきて栓をする。
栓をされているあいだは身の内の潮を忘れる。さざなみも私を呼ばない。自分が海を忘れたいのかそうでないのか、それももうよく分からないまま、潮を舐める男の頭に腕を置き、あなたは陸の味がすると言い、顔を上げて笑う男たちを好きだと思う。
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