鐘になる
からからとよく笑う母がからんからんと笑い出し、数日のうちにがらがらと、週のおわりにはがらんがらんと、その声は大きく美しく響きだして、私達は母が完全に鐘になったことを知った。体育館をいっぱいにしてもまだ溢れかえるような音が狭い我が家に満ち満ちる。夜、母が寝返りをうつたびに、雪崩のような鳴動が耳栓を貫き私達の鼓膜を震わせた。ご近所からは抗議の電話が相次いで、そのたび母は電話口で謝罪を繰り返したが、その言葉もすべて鐘の音になり、電話口を通して騒音被害が拡大し、そのうちにそれらは張り紙等の、音のない嫌がらせにシフトしていった。
当然のことながら、母とは話ができなくなった。この鐘の音は母の芯が体の中から皮膚の内側にあたることで出ているらしく、少し体を揺らすだけで、そこらじゅうに音が広がって、なにもかも飲み込んでしまうので、鐘になってからというもの、母はなるだけ布団の上で体を動かさないようにしていた。目だけがきょろきょろ動いて私や父や弟を見た。たいていはテレビを見ていた。自分を鳴らさないようにそろそろと手を動かしてリモコンを操作して、ようやく映った画面をじっと眺めていた。
鐘になった母は食事を必要としなかった。風呂もいらない。体を拭くだけで事足りた。鐘である母の肌は、触ると指先に一瞬ひんやりとした金属の感触があって、それからむかし人間だったことを思い出したかのようにやわらかさが戻ってくる。私は毎日母の体を拭いたが、丁寧に扱うのは母の体であるからだけではなく、なるだけ音をたてないようにするためでもあった。それでも時々失敗して、至近距離で母の鐘の音をくらった。そんなときは耳栓をつけているのに頭がぐわんぐわんとしてなにもかんがえられなくなる。倒れた私を見た母の悲鳴もまた鐘の音になって響きわたる。
鐘になる人はいまのところあまり多くはないようだった。報道されているのは、パズルとか小屋とか、もっと静かなものになった人たちだった。はじめのうちこそよく来ていた報道陣も、鐘の音でカメラやマイクが壊れるのを見るともう誰も来なくなった。音のためにびりびりと紙が震えるのを見て、記者もメモをとるのをあきらめて帰っていった。
そのころになると保険も下りて、ご近所さんたちはとっくに避難をしていた。防音がしっかりしていたためにその程度で済んでよかったと父は私にこぼした。私はなんと言ったらいいのかわからず、建てるとき奮発してよかったね、とかなんとか、とにかく間抜けなコメントを返した。実際母の音に耐えうるこの家はなかなか頑丈で、こんな事態は想定外だろうに、よくやっているほうだろうと思っていた。
よくやっているといえば、私達家族がいまだにこんな環境で暮らせているのもまた不思議な話だった。日に何度も何度も雷が落ちる家での生活と思ってもらえれば分かりやすい。いつ鐘が鳴っても大丈夫なように、私達はみな耳栓をし、各自が紙と鉛筆を持ち歩き、なにかあれば筆談で通した。こんな生活が長く続けられるはずもない。遠からず限界がくることを誰もが分かっていたが、だからといって母をどうすればいいのかはまったく見当もつかなかった。
そんなある日、突然訪ねてきた黒ずくめの男は母の鐘の音を聞くなりこう言った。
「ああ、この音。この音をさがしていたんです。なんと美しい」
聞けば男は神父だという。曰く、今度建てた新しい教会にはまだ鐘がない。大きく美しくどこまでも届く鐘の音がどうしても教会には必要だ。鐘になった人の噂を頼りにここまで来た。この方は神に選ばれたのだと思う。ぜひとも私達の神の家にお迎えしたい。
私と弟は母を見て、それから父を見た。父が母の代わりに承諾した。遠い町の教会で役に立てるというのならきっと母もその方がいいだろう。母は首を縦に振るにしても横に振るにしても音が出てしまうので動けないままでいた。目玉だけがぎょろぎょろ動いて私や父や弟を見た。
母の運ばれた教会を私は父から教わらなかった。私と違って弟はその場所を知っているらしかった。一人で見に行って一人で帰ってきた。どうだった、と聞くと、がんばってた、と一言だけ答えた。姉ちゃんも見に行けばいいんだ。耳栓はとっくに外していたが、私は聞こえないふりをした。私は見たくなかった。
ところが神様はそれを許さなかった。まったくの偶然だった。出張で遠い町を歩いていて、私は鐘の音を聞いてしまった。母だった。聞き違えようのない音だった。あの神父の言ったとおり、確かに母の音はどの鐘の音よりも美しかったのだ。
足が勝手にそちらに向かった。全体的に古めかしい町の中で鐘楼はそこだけ目立って新しく背が高く、西日があたって赤くなり、影が長くのびていた。その鐘楼を目指して歩く。夕時を知らせる鐘はまだ聞こえている。最後の角を曲がった。
鐘楼は近くで見るとさらに高かった。鐘の音が続いている。目を凝らした。普通なら鐘が吊るされているべき場所に母が立っていた。笑っていた。
母はからからと笑っていた。大きく口を開けて楽しそうに、思う存分笑っていた。母はまた踊ってさえいた。でたらめに手足を動かして、世界を抱くようなポーズでくるくるくるくる回っている。母が笑い、体を動かすたびに、澄んだ鐘の音が、からんからん、がらんがらん、ごおんごおんと鳴り響いた。よく聴けば歌のように音階があった。
あれが本当にあの母だろうか。父と結ばれ、私を育て、弟を育てたあの母だったろうか。母のあんなに楽しそうな顔を私は初めて見た気がした。
なんとなく、夢を見たような心地でその場を後にした。母が鐘になってしまったこと、鐘になってしまってから母と一度も話せなかったこと、おもしろくもなさそうな顔でテレビを見ていたこと、教会にやられると決まったとき母にはなにも意思表明ができなかったこと、あの鐘楼にいる時が一番楽しそうだったこと、肌の感触、鐘の歌、弟の言葉、神様は母を選んだ、父はあれを聴いたのだろうか、そういうことどもが脈略なく浮かんでは消え、整理ができず、私はまるで自分が小学生にもどって一人で帰り道を歩いているような気持ちがした。
家に帰るとそこは静かだった。静かすぎて耳鳴りがした。鐘がこの家にいた数か月間に私の耳は鐘の音に慣らされてしまっていた。この静けさにもやがて慣れるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます