砂を掻く


 乗っていた大型砂船が、砂海の真ん中で止まってしまった。

 間延びした声の船内放送が流れてくる。私は一人、外国人で、言葉もようやっと切符が買える程度、何が起こったのかよく聞き取れない。それでも緊急事態というわけではないようで、ぶらぶらしている船員たちの表情からいっても、とても本気で心配する気にはなれなかった。

 砂船はなかなか動かない。することもないので甲板に出た。ここは大気まで砂色だ。曇りの日で陽は当たらず、停泊しているからか、めずらしく風もない。私と同じような乗客たちが、その辺のものによりかかって、無限に連なる砂丘の群れを、つまらなそうに眺めていた。

 客室に帰って本でも読もうか。それとももう少しここでぼんやりするか。

 決めあぐねているところに、舳先の方から手招きをする人がいる。顔見知りだ。何日間かの航海で、私も少なからず世話になっていた使い走りの青年で、愛想がよくて目端が効き、なにより言葉が分かるので、皆に重宝されていた。その彼が、いつもの懐っこい笑顔で人を集めている。砂海の案内をするという。



 乗客連中があらかた身を落ち着けたのを見て彼は始めた。案内人は砂丘を背負い、身振り手振りを交えて語りだす。


「みなさん、突然の停泊、誠に失礼いたしました。途中下船をされる方がいて、それで停まっているのです」


「こんな砂漠に何をしに、と思われる方もいらっしゃるでしょう。ここにあるのは伝説です。ここは世界中から、さがしものをする人が集まる土地なのです」


「伝説によれば、この砂海ではなにもかもが見つかると言われています。この世のありとあらゆるものが、最後に流れ着くのがここで、それらは長い時間をかけて、流砂に洗われ砕けてゆき、この海のなかですこしづつ、砂にかえっていくのだと」


「そう伝えられています。昔ここで、街一つの遺跡がそのまま見つかったことがあるのだそうで、それがこの話の元になったのだと言われています。さぞかし色々なものが出てきたのでしょうね。この世のすべてがここに、と昔の人が思ったとしても不思議ではないほどに」


 その遺跡もいまは崩れて砂になり、もうどこにあったのかも分からない、それほどに古い話なのだと彼は付け加えた。


「ですからいま降りた方も、ここにさがしものをしに行かれます」


 あ、ほら。案内人が声をあげた。今日は風がないからあんなに。


「あそこの砂舟が見えますか。失くしものが砂になる前に、掬いに来た人たちです」


 彼の指差す方向に、なるほど舟が浮かんでいる。両手で足りるほどの数。ひと群れとまとめてしまうにはすこし、それぞれの距離は離れて見えた。

 舟の上には人が立っている。日除けのためか、みな同じような長いひだのある服を着ていた。質量を持った影のような彼らが、砂の上、ひっそりと櫂を動かすさまを、私は砂船の上から見た。

 ほんとうに見つかるのですかと誰かが聞く。彼は笑ってまさかと答える。


「もちろんこれは儀式です。さがしものに来た人たちは、ここで一日砂を掻いて帰ります。でもその掻いた砂を瓶に入れて、持ち帰って大切に取っておくと、不思議と見つかるんだそうですよ、その人が砂海でさがしていたものが」


 こういうふうにね、と彼は懐から小瓶を出して、私達の前にかざして振った。砂は入っていなかった。君はやってないんだねと誰かが言うと、青年は、ぼくはなにも失くしません、失くしたことも忘れちゃうんですと明るく答えた。笑いが起きた。


「お守りのようなものですね。砂が失くしものを呼ぶんです」



 がたんと一度大きく揺れて、砂船がふたたび動き出した。砂舟の群れが遠ざかる。

 砂舟は流砂に乗って移動するのだそうだ。櫂は漕ぐ道具ではなく、砂潮をとらえ、砂底をさらうためのものだという。

 小さくなっていく砂舟を見送りながら、彼らは何をさがしているのだろうと考えた。他愛もない言い伝えにすがって、こんなところで砂を掻いて、そこまでしてさがさなくてはならないものってなんだろう。それだけのものを失くしてしまうなんて、そんなことがあるのだろうか。

 なんとなく、たまらないような気持ちになった。

 同じような気持ちになったのだろうか、おおい、おおおい、と、誰かが甲板の上から手を振った。砂舟の人は櫂を止め、手を上げてそれにこたえた。



 船を降りてからしばらくして、そういえばこんなものを見たと、砂海の向こう岸の人に、この話をしたことがある。おぼつかない片言の、つっかえがちな私の話を、その人は黙って最後まで聞いてくれて、すこし考えて、それから口を開いた。ぼくはここに二十年住んでいるけれど、その話は初めて聞いたな。遠慮がちに、彼は言った。

 あの時の青年が、退屈していた私達を見かねて、どこにでもある砂上漁船を題材に、罪のないおとぎ話を描いてみせた可能性だってあるのだと、その時初めて気がついた。



 いまでもふと思い出す。

 見渡す限りの空と砂丘、長い尾を曳く砂船の航跡。空の小瓶。遠ざかる砂舟の人々。細い櫂を支えに立って、こちらに向かって手を振っていた。

 そんな時、あの風景が、なぜかどうしようもなく懐かしくなる。そして思う。いつか私もあそこに行って、失くしものをさがす日が来るのかもしれない、一人で砂舟に立って、遠ざかっていく砂船を、眺めることがあるのかもしれない、と。

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