独り歩きの影

第22回フリーワンライ  お題:独り歩きの影  22:30‐23:30



 旅行に行くなら一人が好きだ。知らない街を歩くのは楽しい。みんなで行くツアーのにぎやかさもいいけれど、なんといっても自由なのは個人旅行だ。やろうと思えばなんでもできる、どこまででも行ける。その気になれば帰らないことだってできる。

 叔父はそれが口癖だった。亡くなってからもう長いこと経つ。

 私に旅の魅力を伝えたのは叔父だった。彼がどうやって生計を立てていたのか、今をもってもわからない。とにかく叔父は会うたびに、外国の土産を山と抱えて表れた。幼い私は彼の帰国を心待ちにしたものだった。


 亡くなる間際の叔父には鬼気迫るものがあった。こんな体になってしまった叔父に、旅行の話は酷だろうと遠慮する親戚たち、彼らを後目に叔父はひたすら喋りつづけた。これまで行った都市のこと、行けなかった都市のこと、出会った人々、別れた人々。


「ああ。もう一度あそこにいきたかった」


 叔父の死後、私はノートを何冊か貰った。開いてみると、それは彼の旅行記だった。



 

 叔父の旅行記にあった場所に、私も今旅行をしている。

 海辺の街、石造りの街に、沈む夕陽が照りつけている。


 ふっと壁に目をやった。目を疑った。

 人影が歩いている。人影だけが歩いている。壁に映った歩く人、けれどその壁の前に人はいない。人影だけが歩いている。

 特徴のないシルエットだった。けれどなぜか私には分かった。間違いない、あれは。


「叔父さん」


 思わず声が出たが、喉がはりついたようになって、それ以上は何も言えなかった。叔父の影は私に気づかなかったのか、角を曲がって消えてしまった。影は聞く耳など持たないから、仕方ないのかもしれない。私はそれを呆然と見送ることしかできなかった。


 それから私は旅行をする。石の家壁に、砂浜に、赤土の道に、叔父の影はその度現れる。影はいつも歩いている。どこかを目指して歩いている。決して私を待とうとはしない。私の前にしか見えないくせに、私のことなどおかまいなしに、嬉しそうに、楽しそうに、叔父の影は世界中を散歩している。

 このあいだ、気が付いた。そういえば叔父は一人旅行が好きだった。私が追いかけても追いつけないのは当然だった。生身の私は影になれない。影の叔父と二人連れになることなどできはしないのだ。

 それに気が付いてからというもの、叔父の影に行きあっても、私は声をかけなくなった。黙って影を見送って、叔父は今自由なのだ、しあわせだろうかと思い、それからきまって、嬉しいような、悲しいような気分になるのだ。

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