形見分け
挨拶回りは忙しく、すっかりお茶が冷めてしまった。淹れなおそうと席を立つ。
湯沸しを取りに行くと、給湯室には先客がいた。中年の女性が茶筒を手にして立っている。たぶん隣の会場の人だろう、親族内では見たことがない顔で、狭い部屋に居合わせた他人同士、軽く会釈を交わしてそれっきりになるところが、なぜか相手が気になった。もう一度彼女を見ると、理由はすぐにわかった。
喪服に、白い首飾りを合わせている。その首飾りに違和感があるのだ。真珠ではない。このような席につけるような品物とは明らかに違う。真っ白で不揃いな丸い珠をつないだもので、どうも石のようには思われない。何でできているのだろうと思った。まるでそれ自体が別の生き物のように、首飾りは女性の胸元でぬらぬらと光っている。どこか見覚えのある光り方のような気がしたが、どこで見たのかが思い出せない。
「きれいでしょう、白くて」
私の視線に気づいたのか、ぼそぼそと女性が言う。不躾だったなとばつの悪い思いをしながら、そうですねと答えると彼女は続けた。
「息子のものなんですよ」
はあとうなずくと、会釈して女性は行ってしまった。
私だけになった給湯室でお茶を淹れる。会場に戻るとみなぞろぞろと移動をはじめていた。焼きあがったのだろう。私も後に続いた。お茶は結局飲まなかった。
出てきた夫は信じられないほどに小さくなっていた。さくさくした軽い骨を鉄の箸で骨壺に入れていく。喉仏の骨をつまんでポップコーンみたいだと思った。丈夫な方だったのでしょうと職員が言う。骨を見れば分かるそうだ。ええ、と答えておいた。実際のところどうだったかはよくわからない。本当に丈夫だったのならもっと長く生きただろう。
骨壺に骨が入らない。職員の手際は見事なものだった。大きな骨はハンマーで砕き、残った灰は箒とちりとりで集めて壺の口に注ぐ。それらの作業を丁寧に、流れるようにこなしていく。彼には毎日の仕事なのだ。
ふたをするように重ねられた頭蓋と上顎を見る。これが夫。信じられないとまた思った。どんな人だったっけ、と思い出を漁った。こんなときだというのに、こんなときだからだろうか、思い浮かぶのは笑顔だった。夫はいつも笑っていた。子どものように、顔中をくしゃくしゃにして大きな口を開け白い歯を見せ、とそこまで考えてあっと声が出そうになった。
歯だ。さっきの女性の首飾り、あの白さ、あの光り方。間違いない。あれは人間の歯だった。人間の歯の首飾りだった。
全身が凍りつくような気がした。それではあの女性は狂っている。恐ろしいと思った。哀れだとも思った。けれど私のなかに、嫌悪や同情よりも先に立つ感情がある。
彼女が心底羨ましいのだ。その人そのものを形見とする。考えれば考えるほどそれが一番自然なやり方に思えた。こんなに簡単なことなのに、彼女に気づけたことが私には気づけなかったのか。手遅れだ。夫の身体はもうただの灰でしかない。もっと早くあれを見ていたなら。
いやこれは狂人の考えだ。違う、私は狂人ではない。狂人ではない。思い込もうとしているのに首飾りは頭を離れない。あの白さ、あの光り方。真珠や珊瑚などよりよほど生々しく有機的だった。私が手ずから削り、磨き、きっときれいなものができただろう、なにしろ彼の歯でつくるのだから。
ぐらぐらとする自分を支えようと無意識に夫をさがした。見つからない。当然だった。こんなとき誰より頼りたい人を、まさに私は焼いてしまったのだった。
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