<甲二十七 ――――――>

「アドミラル・クリタ! こっちこっち!」

 メリーは廊下の隅にある壕の入り口で、思いきり行き過ぎてしまった栗田を手招きした。

 空での戦いが激しさを増し、ここもいつ爆弾を落されるかわからない。

「あー、すまんすまん」

 栗田は声を聞くと、回れ右して杖をつきながらゆっくりと戻ってきた。

 メリーが「しょうがないわね」とそこで待っていると、栗田がそのまま歩いてきて、肩に手をかけてきた。

「なに? ……わっ」

――すかっ

 栗田は無言でメリーに足払いをかけ、一緒に自分ものしかかるように倒れ込んだ。

 突然のことにメリーは驚き、じたばたしながら「何すんの」と言いかけたところで、全身が強ばった。その廊下の窓からは、けたたましいサイレンとともにシュツーカがまっしぐらに突っ込んでくるのが、はっきりと見えている。

「被れ!」

 のしかかった栗田は、頭を覆うように自分の上着を掛けてきた。

 直後、ドカドカと重たい機銃の音がし、一瞬サイレンが止まったかと思うと、落雷と大地震が一遍に来たような轟音と振動が二人を襲った。

 悲鳴すらそれにかき消されてしまう。

 だが、それはその一瞬で終わった。

 廊下の壁に大穴が開き、煙がくすぶっていたが、建物の倒壊は免れている。

 間も無く「よいしょ」という声がしたかと思うと、上着ごと栗田が横に転がり、メリーは起き上がることができた。

 転がった栗田が、隣でうつ伏せになっている。

「さあ、今のうちに、アドミラル・クリタ。アドミラ……」

 メリーは一緒に壕に向かおうとして、絶句した。

 大やけどを負っていた栗田の背中が、破片やさらなる焼け跡で、さらにひどい有り様になっていたのだ。

「へへ、ざまあねえや」

 うつ伏せの栗田が、片目しかない顔でウインクのような表情を作って見せた。

「今ドクターを呼ぶから、じっとしてて!」

 慌てて壕の中に行こうとするメリーの手をつかみ、栗田は「まてよ」と止めた。

「メリー、君はあのジミーと結婚するんだってな。助かってよかったよ」

 栗田はゆっくりと、小さな声で言った。

「な、なに言ってるのよ、こんなときに」

「若いっていいなあ、オイ。せっかく生き残ったんだから、俺にも赤ん坊を見せてくれよな。ジミーは、日本でも英国でも英雄なんだ」

 栗田はそこまで言ったところで、ごほごほと咳き込んだ。

「アドミラル……あなたが死んじゃ、赤ちゃんも何も見せられないわ、だからじっとしてて!」

「見れるさ。夏になったら、日本に来てくれ、な。日本人にオボンと言えばなんのことか教えてくれる」

「わからなくていいです! じっと待ってて、おねがい!」

 メリーは泣きながら栗田の手を振りほどくと、壕の中に走っていった。

「げほっ、置いていくかよ……ああ、インガミタナャぁ」

 栗田はなつかしい言葉とともに、遠い故郷、茨城の空を思い浮かべ、目を閉じた。

 青い空と、海と、那珂川。そして一面の田んぼ。

「田んぼかぁ。帰ったらば、手伝いの一っつもしねぇとぉ」

 ふと、毎年の田植えや稲刈りを手伝った少年の日が頭をよぎる。

「んだきっとが、こらインガミタなぁ。ったく……インガミタ……」

 栗田は、人知れず日本語とも英語ともつかない言葉をつぶやきながら、意識を失っていった。

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