<甲弐 ――――――――>
明くる日の朝日がほんの少し昇った頃、ロンドン郊外の飛行場に二十機ほどの「シャーク」戦闘機がおりてきた。
シャークは日本陸軍の「鍾馗」の頭にロールスロイスのマーリンエンジンを付け替えた英国仕様で、鋭い加速と、クレイジーなロール性能が自慢のじゃじゃ馬だ。
降りて来たそのシャークは全機無傷で、エンジン音も快調そうだ。
それらは次々と着陸すると駐機場に移動し、パイロットたちが降りて来た。
ここは、ロンドン郊外にある実験隊の駐屯地。じゃじゃ馬シャークを乗りこなす強者中隊のホームガレージだ。
「参ったなピーター。まるっきり空振りだ」
「とんだ災難です、ワトソン中隊長」
二人はシャークを降り、飛行帽を取りながら言った。
夜明けと同時にレーダーが敵影を感知し、中隊一同緊急出動したのだが、完全に肩すかしを喰ってしまった。これでは、燃料と時間の無駄だ。
「しかしまぁ、何しに来たんでしょうね」
「そんなの、知るかよ。相手も燃料は貴重だろうに」
「裏がありそうな、なさそうな。まぁ俺たち現場にゃ関係ないことです」
愚痴をこぼしながら、二人を含む隊員たちが詰め所に向かって歩いていると、頭上を別の飛行場から飛び立った航空隊が飛び去って行った。
「あれ、俺たち戻って来たばかりなのに」
ピーターがそれを見上げて言った。
ワトソンが「まぁ色々都合があるのだろう」と、こともなげに答える。
そして、詰め所の前まで来たところで、テイラー准将に「ワトソン少佐~、ちょっとぉ」と、いつもの眠そうな声で呼び止められた。
ワトソンはテイラーについて少し離れたところに移動し、話を聞いた。
「せっかく行ってくれたんだけど、あれ囮だったわ。レーダー基地がちょっとやられた」
「それは困りましたね」
「一応、数時間で復旧できる程度らしいからいいけど、現場の人たちは大変だろうね」
と、そこに兵士が現れ、テイラーに紙切れを渡した。
「ああ、ご苦労さん。……はぁ」
テイラーは紙を広げるなり、ため息をついた。
「どうされました」
「また一か所やられた。でも損傷軽微」
「まるで嫌がらせですね」
「んあ? 嫌がらせか。嫌な予感がするなぁ。最近、ここらで妙な電波が探知されてるから……」
「あの、探知されるたびに、発信源が違うとかってやつですか?」
「そう、それそれ。でも、今日の本当の用事はそこじゃないんだった」
テイラーは紙をポケットにしまいながら、思い出したように言った。
「もっと重要なことですか?」
「ジミーが帰ってくるよ。ピーターにも言っておいてね」
「ほぉ、あのヒーロー君がねえ。あの無茶なスケジュールで日本に旅立ってから、一か月くらいかな」
「まったく、えらい話だねぇ」
「しょうがないさ。あのフライトは奴にしかこなせなかったんだから」
そのころ、東大西洋カナリア沖では、夜が間もなく明けようとしていた。
「じゃあな、ジミー。元気でな」
「オセワニナマリシタ、淵田サン」
二人は、双胴の飛行艇母艦「鰻」艦上で、日本語と日本語のようなもので挨拶を交わした。
やっとここまで来た、そんな感じである。
この鰻を含む艦隊は日本を出た後、はるばるインド洋から喜望峰を回り、二日ほど前に西アフリカは英領ガンビアでの最後の補給を終えたところだった。その後、東大西洋を北上し、現在はこのカナリア諸島沖を航行中である。
艦隊の一角、ちょっと地味な存在である鰻の甲板上では、夜明け前から荷物を満載した九七式大艇の巨体が二つ、発進の時を待っていた。
すぐ隣では、停止した同型艦の「鯖」の艦尾スロープから飛行艇が発進のため降ろされているところだ。
淵田は「また日本に来な」と言って土産のスルメを渡した。
「イキテタラナー」
ジミーはそう言ってスルメを受け取り、飛行艇に乗り込んだ。
機長はそれを確認すると、四機のエンジンを起動し、甲板の兵士に合図を送った。
大きな九七式飛行艇の機体は台座ごとずるずると艦尾に移動し、スロープから滑るように海面に放り出される。放り出された機体は軽く水飛沫を上げ、海面に浮かんだ。中できちんと座っていなかったジミーが転びそうになる。
「大丈夫ですか、ジミーさん」
「ダ、ダイジョブ……」
機長が少しだけ心配した。
そして、飛行艇は離水滑走のため艦から少し離れ、機首を風上に向けた。
ジミーはシートベルトをしっかり締め、窓から鰻にいる淵田に向けて手を振った。それが見えたのかは分からないが、淵田も手を振っている。
そんな名残を振払うように、エンジン音が高まり、飛行艇は波をけって進みはじめた。
ジミーはぼうっと窓から外を見ながら、日本のことをちょっとだけ思い出した。脳裏に浮かぶのは、美味しい食べ物ばかり。でも、そんな日本から、沢山の将兵がインド洋にやってきた。もう一度訪れて、一緒にもっといろいろ食べたいのに。
そして、あのしんどいフライトのこと。
親子機なんていうゲテモノ、軽いということでその子機にされた零戦に乗り、親子合わせて無理矢理地中海を渡った。かと思うと、すぐさま日本の飛行機にのせられ、訳も分からぬうちに、飛行機を何度か乗り継いで世界を半周してしまっていた。
こうして、わずか三日と半分で、日本に重要なブツを送り届けたのだ。
おかげで、中尉からいきなり少佐にしてくれたけど。
そんなことを思っている間、足下から響いてくる音は、ばしゃばしゃという水を弾くようなものから、バンバンと叩きつける音になり、そして風の音に変わった。
船から飛行機にかわった飛行艇は、ゆっくりと旋回しながら上昇を続けた。
「まったく、なんちゅう大艦隊だ」
視界を埋め尽くさんばかりの、戦艦、空母、その他諸々。
『第二次遣欧艦隊』
それが、この艦隊の呼び名だ。
即席だった第一次と違い、一気に戦争にケリをつけるべく、戦艦六隻と多数の空母を含む大艦隊として、十か月近くをかけて編成された。
戦艦は、いずれも三十ノット以上の速力を持ち、五十口径四十センチ砲を三連装で三機装備している。戦艦「土佐」「加賀」、それと準同型となる「高千穂」「穂高」。そして、最新鋭の「駿河」「常陸」だ。
その大艦隊がゆっくりと並走しながら波消しブロックのかわりをしているのが、高度が上がるに連れて良く見えるようになってきた。
後ろからは、鰻から発進したもう一機の飛行艇がついて来ている。
今回のフライトにおいて、ジミーは付録に近かった。
メインの荷物は、第一次遣欧艦隊に渡す、ささやかだが貴重な消耗品だ。電装系や機械系などの、小さいが重要で、かつ英国製品で代用しにくいパーツを満載している。ほかにも、艦船用の修理部品などがいっぱいだ。
もう一隻の飛行艇母艦、鯖から先発した二機も同様にパーツを満載している。
これから日中いっぱいかけ、英国まで一気に飛ぶ予定だ。
つまり、ジミーは荷物の隙間で長時間の退屈に耐えなければならないわけだ。
ジミーに取ってはちょっと気が重い。
でも、また大好きなメリーに会えるかと思うと、なにか少しだけ気が紛れた。
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