<甲壱 ――――――――>

 一九四一年四月七日深夜。

 ポーツマスに停泊中の第一次遣欧艦隊旗艦「金剛」は、少しだけ騒がしかった。

「神中佐、エイプリルフールは一週間前ですよ」

 派遣艦隊指令補佐こと高木少将はちょっとだけにやけて言った。最近、ハクをつけるために伸ばし始めた口ひげがもそもそ動く。ひげは、どこぞの総統みたいにならないように、ハの字にそろえてあった。

 高木はまだ四十代前半だが、鋭い操艦技術と指揮能力を買われてこの地位にいる。

「さて、どうしたものかな。ここのところ通信量は多いし、ロンドン周辺では怪電波が探知されてるし」

 その髭を左手でひと撫でする。

 反対の右手は、地中海において来てしまった。

 そもそも、この遣欧艦隊はバトル・オブ・ブリテンの戦況を改善するため、遠く日本からやってきたものだ。空母大小四隻と巡洋戦艦二隻、そして高速輸送船を中核とし、去年夏にスエズから地中海を突破し、てんこもりにした飛行機をこちらに届けた。

 その地中海突破作戦の折、同行した英東洋艦隊とともにイタリア海軍主力と交戦し(そして、何故か完膚なきまでに叩き)、高木は乗っていた重雷装艦「鬼怒」を沈められ、右腕を失っていた。

 もっとも、その時戦死判定されたおかげで、少将になってしまったのも事実だった。

「少将、冗談でこんなこと言いません!」

 エイプリルフール扱いされた神がムキになっている。

 そこに「なんですか、騒がしいなあどうせ、独仏海軍が動き出したとかいうんでしょ」と、金剛の艦長、桑原大佐が現れた。

「そ、その通りです」

 神は顔を赤くして答えた。

「なんだ、予想どおりですね、高木少将」

「そうだね」



 空母の祥鳳と龍驤は、遣欧艦隊の居るポーツマス港の片隅で補給を受けていた。

 航空燃料と弾薬、これはいつもの通りだが、飛行機は全部降ろしてしまった。かわりに、ガントリークレーンと艦の自前クレーンで。台車に乗ったコンテナが次々と飛行甲板に乗せられている。そして、その台車は兵達に押されて、本来なら飛行機用のエレベーターから艦内に収容されていた。

 よく見ると、艦のクレーンが改造されており、荷物の積み降ろしがし易いようになっている。第一、本数自体増えていた。

 航空戦隊の司令官である加来少将は、それを見ながら「ああ、空母なのに」と一人嘆いていた。これでは、エアクラフトの付かない、ただのキャリアーだ。少々脚が速いのだけが取り柄か。

 どのみち、乗せて来た航空隊がこれまでの戦いで消耗してしまったため、四隻とも空母を飛行機で一杯にしてやれない。より高性能の飛龍型二隻に集めるのは、道理だ。

「空母……」

 その指示をしたのは、派遣艦隊司令官の栗田中将。艦隊全体から見れば有益なのは分かってはいたが、嘆かずに居られない加来だった。

「加来少将、お呼びですか」

 少佐の襟章をつけた背の低い中年の男が声をかけた。

「ああ、宮田君か。航空参謀として、栗田中将のところに手伝いに行ってほしいのだ」

「唐突ですが、とにかく役に立てるよう努力します」

「済まんな、あちらの参謀達が多数地中海で戦死してから、神中佐が仕事かかえて死にそうなものでな。これから暫く忙しくなりそうなので、頼む。居ない間は、他の者で何とかするから」

「こちらも忙しくなりそうでありますが、大丈夫でしょうか」

「心配するな。我ら航空戦隊司令部からは脱落者は出ていない分、幾分ましだ」

「分かりました、頑張って参ります」



「ルドルフ、ちょっと手をかせや」

 小振りな軍用艇の甲板上で、水兵のオスカーが懸架装置のついた鋼鉄のアームに取り付いてもがいていた。アームは、艇の右端にある付け根から水平に中央よりやや左まで伸びている。

 呼ばれたルドルフは大柄で、船一番の力持ちだ。

「またかよ、おらっ!」

 かけ声一発、ルドルフがアームの端を蹴飛ばすと、その付け根を中心に反時計回りに半回転して、先端を大きく右舷側の船外にはみ出させた状態で止まった。

 ソンム川の河口付近に碇を下ろした二人の船の回りには、運河伝いに集まって来た同類達が、ボウフラかミズスマシのようにひしめき合っている。そんな中での、訓練だ。

「またかよ」

 オスカーはそう言って、甲板に取り付けられたペダルを踏んだ。モーターでウインチが巻き上げられ、アームがもとの位置に引き戻される。艇尾の方では、反対側の左舷に突き出したアームが引き戻されつつあった。

「やれやれ、ブツをつける前に直らなさそうだな」

 戻って来たアームを固定しながら、ルドルフが言った。

 オスカーが「もう日が無いのに」と工具を片手に途方に暮れている。

 彼らが乗っているのは海上装甲戦闘艇「ゼーイェガー」またの名を海上装甲猟兵、三十四号。。

 三百トンほどの船体に、高出力のディーゼルエンジンが備えられ、高速を発揮できる。また正面に対して戦車用に作った装甲を貼り、その隙間から八十八ミリ砲を四門も突き出させていた。後尾には大型の機関砲が設置されている。

「まったくだ。こんなの作るなら、潜水艦でも作っときゃよかったのに」

 ルドルフはアームを小突きながら言った。

 噂によれば、この装甲艇による部隊を作るため、またもや潜水艦の発注が大量にキャンセルされたそうだ。以前のキャンセルは、もちろん戦艦や大量の駆逐艦を作るためのものだ。おかげで、潜水艦基地では閑古鳥が群れをなして飛んでいるらしい。

 一応、潜水艦をほぼすっぱり切り捨てたのには、明確な戦略があってのことと聞いている。

「目的はロンドン、目標は英海軍」

 どこかで聞いたようなスローガンだが、オスカーらただの兵隊にはどうでもいいことだった。

 ただ、早く戦争が終わって、おふくろの所に帰りたいだけである。



 昼飯時、そこが軍艦の上でも皆飯を食う時間だ。

 その飯だが、ここ戦艦リシュリュー艦上は、他とは少し違うところがある。

 フランス人のコックが作り、その大部分をドイツ人が喰っているのだ。

 独艦隊指揮下のフランス戦艦部隊を率いる、シューマッハー少将も、ご多分に漏れずフランス料理を配られていた。

「ピエール、いつもすまんね」

 シューマッハーは、料理を持って来たフランス人のコックに声をかけた。

 四十二歳と将帥としては若く、気さくな彼は話しやすい相手とされている。

「気にしなーい。僕ゴハン作る、兵隊さん食べる、それだーけ」

 ピエールと呼ばれたそのコックは、フランスなまりのドイツ語で答えた。

「本当は、フランスとの契約で、艦は借りても、将兵は自前でまかなうはずだったのだが、何分にも人手が足りなくてな」

 万年人手不足物不足の独海軍では、親独と言う名を借りた傀儡仏政府から、リシュリューをはじめとする戦艦四隻を借り受けていた。指揮系統や契約上の問題から、人員を全て独人に入れ替えるはずだったが、そんなに予備兵力があるはずも無い。仕方なく直接戦闘に関わらないコックや医者、機関士の一部などをフランス人に頼っていた。

「でもでも、提督、気にしなーい。それより、早く戦争に勝って、みーな帰る。おいしいの食べて元気になって、さっさと勝つのー。元気ない、それ勝てない」

「だが、我等ドイツ軍はフランスを侵略して……」

「難しいの、僕わかんなーい。でも、フランスで兵隊が戦争した。でも、普通の人、殺されてなーい。でもでもでも、僕聞いた。イギリス人、ドイツ人のお家沢山壊して、畑沢山荒らして、人沢山焼いたって。フランスで戦ってる時も、た~くさん焼いたの。僕のうちも、イギリスの弾当たって焼けちゃったの! 負けるならよけいなことしないの!」

 ピエールはちょっと大げさに身ぶりをくわえて言った。

 シューマッハは「ああ、そうなのか」とスプーンを掴みながら答えた。

「それに、ドイツ人、美味しいの食べること知ってる。イギリス人、美味しいの知らない! だから僕ドイツ人好き」

 ピエールは最後にそう言うとにっこり笑って、スープの皿をシューマッハの前に置いた。シューマッハは、どうにか笑顔を作って受け取った。

――宣伝もあるが、そんな見方もされてるのか。まぁ、どのみち、長い歴史の中じゃ、英仏は不仲な時期のが長いのだが。

 シューマッハはそう思い、「ドイツ人に言われたか無いか」とぼそりと言うと、複雑な気持ちのままフランス料理を食べはじめた。

「提督、美味しーい?」

「ああ……とっても。こんな美味いもの喰える我が艦隊の将兵は、幸せだな、わっはっは」

 シューマッハは最後に笑ってみせたが、やはりその目は少し沈んでいた。

 美しいフィヨルドを切り開いて作られた、ノルウェーはベルゲンの基地は今日も雨。

 その雨にうたれ、基地内には仏戦艦と巡洋艦、そして独逸の戦艦や巡洋戦艦、その他小型艦艇がひしめき合っている。ひどい悪天候で、どれがどれだか。

 とにかく、一部先発隊で出た数隻をのぞき、主立った艦艇はここに集結しているのだ。

 宿敵英海軍に察知されるのは、分かっていて集まっている。察知してくれないと困るのだ。

 もうじき、それ前提に、全艦が出撃となる。

 

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