第十一幕 インド洋 本日も晴天なり
壱
一九四一年三月某日。
日が暮れる少し前、実験隊の基地にツインハリファックスが戻って来た。
ジミーを送った一号機と、今戻って来た二号機。試作機のため、これが全てだ。
しかし高い高高度性能と速度、そして長大な航続距離を買われ、頻繁に偵察任務にかり出されていた。
「ほぁ~。またいろいろ文句言われたな~」
テイラー少将は少し疲れた様子で格納庫から出て来た。
実験機であるが故にやたらと整備に手間のかかる機体なので、整備部隊からの愚痴は絶えない。今日もまた飛ばしたので、また愚痴を聞かされた。
その彼の目の前を、先ほど降りて来たツインハリファックスが牽引車に引かれて通り過ぎた。
と思いきや、後ろから「少将!」と誰かが声をかけてきた。
「お久しぶりです、少将」
「おっ、ピーターでないの。治ったのかい?」
「すっかり良くなりましたよ。明日から復帰です」
「そら良かった。いま、ちょっと人手が足りなくてね」
「そうですか? 最近ドイツ機の姿が減ったみたいですが」
ピーターはそう言って空を見上げた。テイラーも一緒に見上げる。
「いや~そうでもないんだよ、ピーター。お互い、手を出すタイミングを計ってる所さ」
そこに、さっきまでツインハリファックスを操縦していたワトソンが戻って来た。
「おっ、ピーター! 復帰かい?」
「はい、ワトソン大尉。明日から働きます」
「良かった良かった。戻って来れたんだな。見てくれ、俺がなぜか大型機に乗ってるんだぞ」
「大尉も大変そうですね」
「まあね……」
ワトソンはそう言うと、回りを少し見てもっと近づくようにチョイチョイと手招きをした。
「今日もドーバーの向こう側を見て来たが、凄いことになってるな。どこから湧いて来たのか、敵だらけだ。海岸にゃ、よくわからん小舟が沢山浮いてるし」
ワトソンがコソコソと言った。
「やっぱりなぁ~。ナイショだけど、今お互い腹の探り合いなんだ。ドイツじゃソビエトに攻め込むつもりでためておいた兵力を、ちょっとした守りの部隊をのぞいてみんな『こっち側』に回して来たらしい」
テイラーは彼にしては厳しい顔をして言った。
「復帰早々、大変そうですね」
ピーターが肩を落として言った。
「そうなんだ。まぁドイツは『こっち』が忙しくて対ソ戦どころじゃなかったから、『あっち』はポーランドで止まっててソビエトまで進めなかったんだってさ。変な話、おかげでソビエト相手に中立だったわけ。おかげで、そのまま不可侵条約締結、ときたもんだ」
「そういうことだったのか。どうりでウジャウジャいるはずだ」
「そういうことさ、ワトソン大尉。で、お互い次の一手を探ってる。あっちは大兵力での一発KO、こっちはカウンターを狙ってる。」
テイラーはボクシングのポーズをとってみせた。
合わせるようにピーターもちょっと構えて言った。
「で、今はお互い軽いジャブの応酬をしてるだけで、派手な撃ち合いはしてないわけですね。しばらくは、この状態が続きそうですか?」
「いやぁ~そうでもない。チョットチョット……」
テイラーはもっと寄るように手招きした。
「もうじき、日本から大艦隊がくるんだよ。ジミーと一緒に……」
弐
「ふぁああ~」
ジミーは空母「翔鶴」の飛行甲板片隅に座り、ぼーっとしていた。
さしあたり、やることが無い。
「暑い……なんだこの暑さは。まだ三月だってのに」
春めいて暖かい、ではなく暑い。
周りを見回しても、時々海鳥や飛行機が飛んでる以外は、海と船ばかりだ。季節を感じる物なんて何も見えない。
しょうがないので、真っ赤なお天道様で天測してみる。
「赤道直下の南半球じゃねえか。暑いわけだ」
そして、時計を見て空を見る。
「だいたいインドの真南あたりかな。だとすると、昨日合流したタンカーはそこから来たのかな」
見晴らしのいい翔鶴の飛行甲板から見渡すと、視界内はどこもかしこも船だらけだった。その端っこに、合流したタンカー船団もいる。
日本を出た後、とりあえずシンガポールらしい港近くで別のタンカーと合流して給油したばかりだったが、また合流した。こんどは、合流して給油を終えたらハイサヨナラではなく、ついて来ている。
「まあいいや、ガス欠の心配だけはないし」
そう言ってジミーは大あくびをした。
「ふわぁ~……あ、いけねえ。偵察機の護衛があるんだった」
日本人から見るとかなりデカいジミーは、その体を相対的に狭くなる零戦のコクピットにおさめると、一通りの確認手順の後、エンジンをかけた。セルモーターはうまく動き、下でプロペラを手回ししてもらうことなく、エンジンは順調に動き出した。
英国製の機体ではあり得ないことに、零戦はカタパルトはおろか飛行甲板の半分も使わずにふわりと舞い上がった。後ろからは日本人の乗る僚機がついて来る。
上を見ると、先行して飛行艇母艦「鯖」から飛び立ったゲタバキの水上偵察機がゆっくりと旋回している。
「零式水上観測機」と呼ばれるそれは今時珍しい複葉機だが、複葉機ならではの軽快さが売り物で、旧式戦闘機でうかつに近づくと返り討ちを食らうほどの機動力を持つ。最近の改良でエンジンの高出力化が計られ、その余裕で燃料を多く積み、千キロ近い航続距離を得ていた。
ジミーはさっさと高度をとり、その水上機に並んだ。
『航法はこちらでします。ノンビリついててくださいー』
水上機からジミーの機に無線が入った。ジミーは「了解」と伝えると、速度を合わせ、寮機とともに緩やかな編隊を組んだ。
偵察といっても、ドイツ軍の影も形も無いこのインド洋では、ほとんど散歩みたいな物だった。司令部としても、移動中にパイロット達に「カン」を鈍らせないためという側面を持たせている。
三機編隊は北東の偵察予定海域に向かうため、ゆっくりと旋回する。
ジミーは、旋回中になんと無しに水上を見て、思わず「うはぁ」とため息をついた。
「英国海軍(ロイヤルネイビー)が全員集合したみたいだ」
眼下には大小さまざまな艦艇が見渡す限りの列をなして進んでいた。
彼の祖国、英国の海軍は膨大な艦船を保有していたが、世界中に分散しており、これほどの大艦隊を組んだと言う話は聞いたことが無い。
また、その艦隊からは他にも飛行機が上がって小編隊を組みつつあった。おそらく、別の方角に向かうのだろう。
「ふぅ……敵の気配もないし、お言葉に甘えてノンビリ行きますか」
ジミーは視線を正面に戻して呟いた。
そして、最大の「敵」である退屈と戦う決心をした。
それから一時間あまり、四百キロほど飛び、ジミー達は予定通り帰路につくために反転した。
「なんだ、あれは」
ジミーは少し遠い海面に、しみのような物を見つけた。
水上偵察機に知らせるため、少し前に出て大きなアクションでその海面を指差した。
偵察員はしばらくきょろきょろしていたが、何か見つけたのか大きく首を縦に振り、両手を頭の上に回して大きな「まる」を作った。
「なんだ、ありゃ」
ジミーは「まる」の意味がよく分からなかったが、とりあえず首を立てに降ってくれたので、了解であると受け止めた。
水上偵察機は写真を撮るためにもう一度そこで旋回し、帰路についた。
参
ジミーが母艦に戻り方付けと報告を終えると、夕飯の時間になった。
出て来たのは、米の飯と焼き魚、汁物等お馴染みの和食。
美味いと言えばかなり美味いのだが、そろそろちょっとパンが恋しい。
(こいつばかりはなぁ~)
ジミーはそう思って黄色いシワシワの物体を箸でつまんだ。
(タクアン……)
回りの日本人は美味そうに喰っているが、ジミーにはとても喰えない。あと「ナットウ」という奇怪な食い物もあった。
ジミーはそのタクアン以外を喰い終わると、再び艦橋に向かった。
艦橋につくと、先ほどの偵察員が先に来ていた。
そして参謀など司令部要員がぞろぞろと集まり、最後に航空艦隊司令官の山口少将が現れた。
「さて、手短に行くとしよう」
山口はそう言って、現像されたばかりの写真を広げた。
「これは、先日スエズを抜けてフィリピンに向かうアメリカの商船団だ。ただ問題は、ソビエトの黒海艦隊が護衛についていることだ。建前は険悪ムードの英国に護衛を頼む代わりに、中立のソビエトに頼んだことになっているらしい」
と、山口。日本語で話してるので、ジミーにはよくわからない。
さらに、山口は日本語で続ける。
「だが……写真を取れたので分かったのだが、戦艦が居る。スエズでも怪しいと思われていたのだが、やはりだ」
そう言って山口は鋭い目で一同を見回した。
ジミーはよくわからんが、とにかく空気を感じてじっとしている。
「スエズでは偽装していたようだが最新型だ。ウラジオにも居るあのデカブツの同型である。本国には暗号電で報告しておくが、こちらが気付いたのを悟られない方がいいだろう。よって他言無用だ。以上!」
会議のようなものは、山口が一方的に喋って、解散となった。
解散後、すぐにジミーは英語の達者な参謀を捕まえて内容を聞き、少し驚いた。
「なんか、あのステキな日本が戦場になっちゃいそうですね」
「ええ。でも、ジミーさんののステキな故郷はもう戦場になってしまった。文句なんて言ってられませんよ。というわけで、シーッ!」
参謀は指を口の前で立てた。
うんうんと黙ってジミーが首をたてに降る。
「戦争が終わったら、また日本で美味しいものが食べられると良いな……」
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