第十幕 標準時はお昼 上
壱
一九四一年三月。
独海軍はようやくもとの力を取り戻しつつあった。
ようやく秋の戦いで傷ついた大型艦の全てが復帰した。このたび、合流したフランス戦艦とともに、バルト海での演習が行われたところである。
演習を終えた艦隊の半分は、南西ノルウェイのベルゲン基地に待機している。
「ブラウン艦長、お久しぶりです」
「よぉ、ベルガー砲術長。無事のようだな」
ちょっとえらくなった二人は、わざと階級で呼び合わなかった。
二人は、二つの基地のうちの片方、南西ノルウェーのベルゲンで久方ぶりの再会を果たした。場所は、いつもの、と言うにはやけに立派になってしまった食堂である。
「変わっちゃいましたね。半年前は掘建て小屋同然だったのに」
ベルガーは配膳場所をきょろきょろ探しながら言った。
「基地そのものもだな。壊滅前のヴィルヘルムスハーフェン以上かもしれん」
そう言ってブラウンが配膳場所を指差し、二人は歩き出した。
「それは言い過ぎですよ。艦隊の半分しか入って来てない」
「そうでもないさ。海軍の規模が、短期間ででかくなりすぎたんだ。本当なら、潜水艦でコソコソ通商破壊するつもりが、何を間違えたのか、ご立派な大艦隊ができちまった」
確かに、大艦隊だった。
「大型艦だけをとっても、独製戦艦と巡戦が各三隻ずつもいる」
「そこに仏製戦艦と巡戦各二隻が加わるわけですよね」
昼飯どきの人ごみをかき分けるように、配膳所に並んだ。
「ところで、ブラウン『大佐』がビスマルク艦長になったと言うことは、シューマッハー大佐はどこに?」
「リシュリューにいるよ。今は『少将』になって、『もと』フランス艦隊の司令官さ」
「えらい出世ですね」
「いや、どうかな。何処もかしこも人手不足でね。フランス艦の乗員は、本当なら兵隊もひっくるめて全員ドイツ人に入れ替えるつもりだったけど、一部フランス人が残っちまった」
「やりにくそうですね」
「まぁ、戦闘に直接関わる所は全部入れ替えたらしいがな。そうそう、おかげで飯はいつもフランス風だそうだよ」
そう言っている間に「残念ながらドイツ風だよ」というコックの声とともに昼食がトレイに乗せられ、二人に渡された。
それを持って開いている席に移動する。
「このベルゲンに居るのは、シャルンホルスト以外のドイツ戦艦と巡戦、あとは小型艦の一部ですが、他はやはりハンブルクですかね」
「どうだろう。実際俺もよく知らないんだが、一部は部分復興したヴィルヘルムすハーフェンにもいるらしい」
「へ~。もうそんなに復興したんですか。よく知ってますね」
「生き残った甥っ子から手紙をもらったのさ」
「へぇ~~……」
二人は一旦喋るのをやめ、食事に取りかかった。
弐
「今大波かぶったら、書類が崩れて死ぬな」
金剛では、神中佐が雪ならぬ書類に埋もれていた。
「沢山連れて来たが、ずいぶん減ってしまったな。はぁ~……腹も減った」
遣欧艦隊や航空隊の残存兵力を調べているうちに、神は昼飯を喰いそびれていた。
しかし、悩むのも仕方ない。トータルで、損耗率三割にも昇っていたのだ。
ほとんどが英本土上空での戦いのため、人的損失は少なめではある。しかし、物資が足りなくなり始めていた。
部品不足でなおせない飛行機を始め、魚雷や大型爆弾等の対艦兵器などの不足は、きわめて深刻になってきていた。機銃弾や燃料は英国製のもので代用できるのだが、その英国自体が疲弊して来ており、調達が困難になりつつある。
陸軍の部隊も、似たようなものだった。
「これじゃ、あと一回本格的な戦闘があったら、干上がる……」
神はいらだちを隠せず、トントンと机で指を鳴らした。
「昼食にされますか?」
そこへ、津田少尉が現れた。片手に書類をもっている。
「いや、飯はいい。……はぁ、また書類か。そこにおいといて」
「栗田中将が、すぐに目を通すようにと」
「ん~~。どれどれ」
神はそう言って書類を受け取ると、すぐにくたびれていた目玉に眼光が戻った。
そして二枚目、三枚目とめくって行くうちに「むぅ」とうなり声が出た。
「むぅ、微妙だ」
「どうされました?」
「君も読んでおきな。数少ない参謀の一人なんだから」
そう言うと、神は津田に書類を返した。
「うわ……」
『日英共同調査の概要(黒ヤギ文書より)
独ソ不可侵条約締結。ソ連軍は極東、独逸軍はフランス方面に移動中。
三月はじめには、北海海戦で損傷した戦艦の修理完了の見込み。三月中には戦線復帰の可能性大。
尚、独軍はヴィルヘルムスハーフェン壊滅以降、潜水艦の生産を止めて水上艦艇と航空戦力の拡充に努めている模様。陸上戦力は、上記の通り西部に集中しつつあり』
『第二次遣欧艦隊
編成は概ね完了。整備・補給の後に四月初めには英国到着の見込み。
戦艦六隻を含む』
書類の内容はおおむねこのような所だった。
「たしかに微妙ですね、いろいろと」
「それもあるが、急遽日本に送られた黒ヤギ文書の影響で多少変わって来るかもしれん。どのみち、三月中か四月初めに一山あるかな」
遠い日本が見えるわけも無いのだが、二人は何となく東の空を眺めた。
「いまごろ、何をしてるころでしょうね……」
参
丁度その頃、猛将こと山口海軍少将は、新鋭空母「瑞鶴」で叫んでいた。
「なんじゃこりゃ、管制しきれん!」
日本近海の太平洋上、欧州への出立に先立って陸海軍の合同の、大規模な演習が行われていた。
周到に準備し、艦隊への攻撃側と、艦隊防御側に分かれて実施されたのだが、いざ攻撃方の航空隊が艦隊上空に達した途端に、訳が分からなくなってしまった。
空には、見渡す限りの飛行機、飛行機、飛行機。あと、雲。
刈り取り後の田んぼに群がる雀みたいに、でっかい固まりになって縦横に飛び回っている。
そのパニックの中、時々攻撃側の飛行機が下りて来ては、攻撃の振りをしたり模擬弾を落としたりしている。それぞれの艦上には判定官がいて、命中だの外れだの決めているのだが、果たしてそれがマトモな判定かは誰も判定できない状況だ。
「やめだ、やめやめ~~!いっぺん、全軍下がらせてくれ。事故がおきるぞ!」
と、言ってるそばから、空中で接触事故を起こした二機の小型機が、もつれあうようにして海面に落ちて行った。
「あちゃ~」
山口は思わず目を覆った。
そして覆った手を下げると、落下傘が二つひらひらと下りて来て、『瑞鶴』の甲板上に木から落ちた雪みたいにどさっと落ちた。
「器用なやつだな。まあいい、これじゃ危険すぎる。撤収!撤収!」
後に分かったのだが、艦隊上空に殺到した攻撃側が陸海合わせて三百七十機、迎撃に上がったのが二百八十機。あわせて六百五十機に昇る大群を、誰が統制できただろうか。
次々と接触する飛行機。そして、海上でも次々とおきる衝突事故。
海に落ちた水兵や航空兵達が助けを求め、大型艦がそれを踏みつぶして行くと言う、阿鼻叫喚の巷がそこかしこに広がって行った。
そして艦爆が一機、火を噴きながら山口のもとに突っ込んで来るーー
「うわ~、危ない! 下がれ~、みんなさがれと言っておるのだ!」
がばっ。
山口は、真冬だと言うのに汗だくになって目を覚ました。
「夢か。死んだかと思ったわ……あれは、どうにか収拾がついていたのだった」
深呼吸をしながら、山口は演習が行われたのは三日前なのを思い出した。
実際におきた接触事故は一回だけ。甲板に落下傘が二つ下りて来た所で演習が中止され、それ以上の損害は出ていなかった。
「やれやれ、対策を考えねば」
山口はとりあえず手ぬぐいを引っ張りだし、汗を拭いた。
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