第九幕 黒山羊世界一周 下

      七

 午前五時過ぎ。切り離しから一時間ちょっと経った。

 今のところ快調。天気も良好。

 三百五十キロばかり飛んだが、燃料はたっぷり残っている。

 それもそのはず、我が零戦改造機はとんでもない航続距離を得ているのだ。

 重荷である二十ミリ機銃を外し、特殊な追加タンクを追加することにより、なんと三千五百キロも飛べるそうだ。所詮計算上のことなので俺は三千キロと見ているが、どっちみち一人で飛ぶにゃクレイジーな距離だ。

 今、我が機はチュニジアの北を東に向けて飛んでいる。

 敵に見つからないように陸地から離れて飛べと指示が出ているのだが、この辺りはサルディニア島やシチリア島など、島が多くて従いきれないな。

 ああそうだ、高度を下げればいいのか。

 そう思った俺は、高度を千フィート以下まで下げた。空気が濃いので燃費は落ちるが、見つかるよりマシさ。

 その高度でしばらく飛び、マルタ島を避けるために南よりに進路を変更する。

 しかし……

 高度を下げて分かったけど、地中海は暖かいなぁ。

 きっと雪なんか降らないんだろうな。降らなけりゃ、蹴飛ばした木から落ちてくることも無い。安心して八つ当たりできて羨ましいぞ、コンチクショウ。


 午前六時半。北アフリカとおぼしき陸地が見えて来た。

 このあたりで進路を東に戻す。

 少しずつ高度を上げ、低い所にぽこぽこと浮かんだ雲を抜けた所でやめた。

 高度が上がって行くと、当たり前だが陸地の奥までよく見えて来た。おっと、そいつはあっちからも俺がよく見えると言うことか。もっと陸地から離れよう。

 この辺りは、えーと、地図によるとだ……トリポリという所の北東沖と言うことになる。このまま南東へ行ってしまうと、でっかい湾みたいなのの奥でドン詰まりとなってしまうので、今のうちに東向きに進路を変えたわけだ。

 このまま真っすぐ東に向かうと、細長い島……クレタ島がある。どんな島かは知らんけど。

 その島から真南に行った所の、アフリカ大陸よりの海上に例の三角印があった。きっと空母でもきてくれるのだろう。

 まぁ、そこまで飛んでも燃料には余裕があるから、慌てずに行こう。

 問題は真っすぐ飛ぶ以外にやることが無くて、えらく暇だと言うことだ。俺にとって、真っすぐ飛ぶなんてのは自転車に乗るのよりたやすいことさ。

 あはは、でもな、このまま行けばまた着艦だよ。

 今度はどの空母だ?


 午前八時。でっかい湾の北の端らしい陸地が見える。

 海がキレイだ。

 いや、地中海をずっと飛んで来たが、どの海もロンドンと比べたらえらくキレイだった気がする。

 その海を汚すので気が引けるが、追加タンクが空になったので投棄する。

 投棄すると、またやることが無い。

 飛ぶのは大好きなのだが、こう海と空ばかりみてたら飽きて来た。

 飽きた~~~~!

 いかん……疲労と退屈で眠くなって来た。

 こんなときには……そうだ、歌でもうたおう。

「London bridge's fallin' down~fallin' down~fallin' down~♪」

(ロンドン橋が落ちる~落ちる~落ちる~)

 しまった、なんて縁起悪い歌だ。飛ばして最後にしよう。

「Set a man to watch all night~watch all night~watch all night~♪」

(夜回り立てよう~立てよう~立てよう~)

 おお、いいかも。寝ちゃいけねえ。ええっと続きは……

「Suppose the man should fall asleep~fall asleep~fall asleep~♪」

(夜回り寝ちゃう~寝ちゃう~寝ちゃう~)

 ふぉーるあすりーぷふぉ、ふぉ……危ねえ!

 うたいながら寝てしまった。

 危うく落っこちる(fall)するところだった。落ちたら地面だ、いや海面だ。

 他に歌はないか。あんまり歌しらねえからなぁ。

 ああ、アメリカに行ったお隣さんがうたってたのがあるな。

「Mary had a little lamb~ little lamb~ little lamb~♪」

(メリーさんのひつじ~ひつじ~ひつじ~)

 ひつじが一匹、ひつじが……うわわ、また寝ちまうところだった。

 メリーさん、ああ、メリー。

 看護士のメリーは元気かな。

 メリー、メリー。 

 会いたいよ。メリー……

「メリーーーーー!」

 叫んでおいてよけい寂しくなった。

 はて、なぜ寂しいんだ。メリーとはそんな関係じゃないはず。

 しばらく会ってすらいないのに。

 会えなくても、英国に居るときは何にも思わなかったんだけどな。

「はぁ~」

 ため息が出た。

 


      八

 午前八時半。SOSを打電するため、無電の用意をする。

・・・ーーー・・・、・・・ーーー・・・、・・・ーーー・・・。

 さて、打ち終わった。誰か俺を助けてくれるのか?

 まぁ、何も無かったこのままアレクサンドリアまで飛んでやるさ。

 さしあたり受信できる状態にして待っていると、すぐに返事が来た。

『コチラ、英地中海艦隊旗艦れぱるす。ソノママ東進シ、空母いらすとりあすニ着艦セヨ』

 逆探か? すぐにこっちの位置を掴んだようだ。

 だがな……あぁ、やっぱり着艦だ。くたびれてるのに、気が重い。

 やれやれ、ここから東へか。空母はどこだ?

 多少雲はあるが、視界は悪くない。戦艦と空母が二隻だけで居るわけも無いはずなので、端っこの護衛艦くらい見えてもよさげなのだが。

 そう思ってたら、遠く東の空にぽこぽこと小さな煙玉が沢山発生した。

 もしやと、その下の方を見たら、やはりいた。

 艦型はよくわからないが、とにかく艦隊がみえる。

「空襲うけてるじゃねえか、どうすんだよ」

 そこに『我交戦中ナレド心配無用、当艦隊ニ合流セヨ』と無電が入った。

 心配するなといわれても、無理がある展開だ。だが、命令なら致し方ない、煙玉の方に進路を取る。

 遠く見えたが、肉眼で見えると言うことは飛行機にとってすぐと言うことで、まもなく詳しい様子が分かって来た。

 空母は二隻いて、形がそれぞれ違う。片方がイラストリアスだとすると、アークロイヤルあたりか。そしてよく見てみると、二隻分の空母から上がった多数の迎撃機が、攻撃側を撃退しつつあった。

 これならば、たしかに「心配無用」だな。様子を見ながら、空母に向かおう。

 ああやれやれ、もうすぐ休める。

 そう思ったのもつかの間、敵が三機、こちらに気付いて向かって来た。見たところ、フォッケほどじゃないが、頭がでかい。空冷のようだ。

 そこまでは分かるが、俺はイタリアの戦闘機のことなど知らん。強敵かどうかも分からんが、なんであれ、この疲労が溜まってるときに三対一は辛いな。

 これは、もう駄目かな……「もう駄目」? どこかで聞いた台詞だ。

 そうだ、アレを試してみよう。「もう駄目」だというときに、とくれたビンを。

 ポケットからビンを取り出し、ふたを開けて一気に飲む。

「なんだこれは!」

 思わず俺は叫んだ。とてつもなく不味い!

 しかし、急に頭がしゃきっとした。コイツの効能か、はたまた不味さの影響か。

 ああもう、やってやりますとも。俺は、英空軍のエースさ! 三機でも十機でもまとめてやってやる!

 高度四千フィート。相手は三機編隊を組んだまま、見る間に近づいて来た。

 俺は優位に立つためスロットル全開にして上昇をかける。ただでさえ軽い零戦を軽量化した愛機は、軽々と相手より五百フィート以上高みに立った。そこで一旦スロットルを抜いてかるく左にバンクし、相手の様子を見る。

「今だ!」

 俺は最高と思うタイミングで左にひねりながら、一気にスロットルを開いた。

「うわーーーーー!」

 ワケ分からねえ! いきなり天地がひっくり返った。そして、いつの間にか機体は向きを変えた状態でふらついている。

 それをとにかくカンと気合いだけで立て直す。そして気が付くと

、目の前で敵機が背中を晒していた。

「食らえ!」

 俺は反射的に引き金を引いて、機銃弾をばらまいた。

 七・七ミリの豆鉄砲が二丁だけだが、近距離から多数命中して敵機の翼をぶちお折った。

 まだ敵は二機居る。どこだ?

 いた。慌てて左右に散開している。

 おれは左の相手に目標を絞り、左旋回にいれた。

 さすがと言うか……わが零戦は軽々と敵の旋回円の内側に回り込み、瞬く間に相手の背後をとった。

 しめしめ。

 いまだ、食らえ! 零戦に格闘戦を挑もうと言うのが無駄なのだ!

 今度は確信をもって引き金を引き、相手をたたき落とした。

「次ぃ!」

 俺は叫びながら、残りを見つけるために首を廻した。

 今度は右後方から迫って来ている。片方が敵を引きつけてる間に、もう片方が回り込む。教科書通りの戦術だな。

 が、甘いんだよ。甘い!

 俺は操縦桿を引くと、そのまま右回りの大きなバレルロールをにいれ、半回転した所で背面の状態で敵の真上についた。高度六千フィート。

 下方では、肩すかしを食らった敵機があわてて急旋回をしながらダイブして逃げにかかっているのが見える。わっはっは、だがな、今更見逃す気はないのだよ。

 俺は背面の状態から一気にスプリット・Sの形で急降下しながら、突っ込んだ。

 二呼吸ほどでそいつを照準に捉え、引き金を引く。

 命中弾、多数。三機目、撃破!

「みたか、どタワケが!」

 そして、俺は落ち行く相手のそばを飛び抜ける瞬間、キャノピーが血で真っ赤に染まっているのを見た。機銃弾が、敵のパイロットを直撃したのだ。

「はぁ……俺ってこんな奴だっけ」

 それを見た瞬間、急に冷水をぶっかけられた気分になった。

 機体を立て直しつつ、自己嫌悪に陥って行く。

 やらなけりゃ、やられていた。それは確かだが、なんだかなぁ。

 何だか……なんだこりゃ!

 気がつけば、俺も血まみれだ。しかし、いつ撃たれたんだ? どこも痛くないし、意識もハッキリしてる。

 あはは、きっとさっきの薬のせいだ。

 きっと痛みも感じないまま死んじまうんだな。まあいいや、意識があるうちに着艦して、任務終了といこう。

 俺は敵の去った艦隊上空にゆっくりと移動し、空母の上を旋回しながら飛行甲板を見た。下りるために場所を開けてくれたのか、上にはなにもない。

 イラストリアスだかアークロイヤルだかわからないが、とにかく目標の空母を決めて、アプローチに入った。

……いかん、意識がもうろうとして来た。もうすこしだ、頑張れ、俺。

 ちょっとふらつきながら、階段を少しずつ下りるように空母に向かう。

 そして……着艦。

 薄れ行く意識の中で、フックが甲板のワイヤーを捉えるのが感じ取れた。

 わらわらと水兵さんがよって来るのが、何となくみえる。

 任務終了だ。ああ、青い封筒の中が何だったのか気がかりだけど、まあいいや。

 ああ、意識が消えそうだ。

 ごめんな、メリー……

 

 

      九

「あんら、ごごわ」

 俺は「なんだ、ここは」言おうとして、変な発音になった。

 音が変なのは、きっと天国だからだ。

 つーか、まだ零戦の操縦席みたいな所に居るし。

 あの世まで自分で飛べと?

 神様も酷いな。

「ハリス中尉! ああ、よかった。気がついた」

 よく見たら、海軍の衛生兵じゃないか。なんでい、俺、生きてるわ。

 ちょっと気絶してただけだったようだ。

「ふまん、おりるらら、ろいてくれ」

 すまん、下りるから、どいてくれ。と言おうとしてまた失敗した。

「中尉、鼻血がまだ止まってないので、ゆっくりお願いしますよ」

 鼻血? 

 なんだ、鼻血だったのか。喋りにくいのは綿を詰め込まれてるせいだった。

 なんか、笑えて来た。

「もふぁふぁ~」

 ああ、間抜けな笑い声だ。もふぁふぁふぁふぁふぁ~。

「中尉、ご無事なら、早く下りてください! 次の任務がありますよ」

「え? ああ」

 俺は言われた通りゆっくりと零戦を下りた。

 若い水兵さんが、血まみれの上着のかわりを持って来てくれた。海軍仕様だが、なかなかいい感じだ。せっかくなのでそれを着て前を閉める。

 そして「うおー」と伸びをして凝り固まった全身をほぐした。

 と、その時、俺のもとにえらそうな男がやってきた。提督さんかなにかか?

 とりあえず、敬礼。

「ハリふ中尉、任務ひゅーよーしました!」

 俺は鼻に詰め物をしたまま、ちょっと血の付いた「黒ヤギ」の入った書類を取り出した。

「いや、結構。任務はまだ終わりではない。手持ちの青い封筒を開けてくれたまえ」

 青い封筒? ああ、そんなのもあったな。

 俺はポケットからそれを取り出した。

 読めるってのは。生きてる証拠だな。なんて思いながら、書類を開く。

『アレクサンドリアで日本の飛行艇に乗り、至急「黒ヤギ」を日本まで運べ』

 はぁ? なんてこった。日本まで行けと。

「読んだか? どうも急ぎの任務のようだから、アレクサンドリアまで送るよ」

 提督は言った。

 はいはい。

 さしあたり、艦のどこかで休ませてほしいな。一時間やそこらで港に戻れるわけでも無し。

 そう思って、俺は提督に申し出ようよした。

「あの、提督。すぐにアレクサンドリアに着くわけではないので……」

「おお、わかっておる。ちょっと待て」

 休む準備をしてくれてるのかな。

 母艦中央部のエレベーターから、多座の艦載機がゆっくりと上がって来た。

 嫌な予感。

「さあ、準備はできた。アレクサンドリアまで、先に飛んでくれ!」

 ど、どひゃー。


 この後、アレクサンドリアで日本の大型飛行艇に乗り換えたジミーことハリス中尉は、ペルシア湾、インド、シンガポールなどを経由して、目的地である東京に無事たどり着いた。

 二月二十日のことである。

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