大陸の両端で

第九幕 黒山羊世界一周 上

      壱    

 二月半ばのポーランド某所。

 街道を見下ろす小高い丘の上に、「ホッタテ小屋」というにはいささか立派な建物がふたつ、斜面にもたれるように建っていた。

 一月末ともなると、吹きさらしに近いその小屋はとんでもなく寒い。周りには雪が積もっており、夜外で立ってたら見事な氷の像が出来そうな寒さだ。

 この小屋にも住人がおり、暮らしていた。

 住人は初老の男女と、数えて寝ろ言わんばかりの羊、羊、羊。あと鼠。

 お日様が昇ると、男の住人はは重ね着をし、自分もモコモコの羊みたいになって住居小屋を出た。

「……うー寒」

 そう言いながら、男は羊小屋に小走りで移動し、タライに餌を出してやった。

『めぇ~』

「どりゃ、おまえらどかんか!」

『んべぇ~』

 あっという間に羊に取り囲まれた男は、いちいちそれを押しのけながら再び外に出た。

「ほー。いつになくいい天気だ」

 天気の変わり易いこの地域、晴れるときは晴れる。

 しかしこの日は格別に気持ちよく晴れており、男は思わず大きく息を吸った。

「やっほーーーーー~~ぉ!」

『どさどさどさ』

 男の声に刺激され、辺りの木枝から大量に雪がおっこちた。

「……ぶわっ、ぐはっ!死ぬかと思った」

 その雪の中から、ぼこっと軍人らしき雪まみれの男が現れた。

「軍人さんが、ヒトんちの庭でなにしとる?」

「げほ、げほ。あー、『(Billie had a black billy goat(ビリーは黒い雄山羊(オヤギ)飼っていた)』」

「『It's fleece was a white as snow(毛並みが真っ白雪みたい)』……なんだ、この寒いのに。」

 軍人と男は手慣れた様子で合い言葉をかわすと、軽く敬礼した。

「なんだか答えるのは、俺の仕事じゃない。俺の仕事は、これを渡して終わりだ」

 軍人はそう言うと、背負い袋から五インチ角ほどの封筒を出した。

「堅い奴だな。わかったよ、いつも通りだよな。しかし、誰だこの合い言葉考えたの?」

「だから、答えるのは俺の仕事じゃない。手順はいつも通りだ。それでは、小官はこれにて」

 軍人はカバンを閉じると、足早に丘を下ろうとした。

「まてまて。これから朝飯だから、何か喰って行け」

 男は引き止めたが、軍人は振り返って「結構」と一言いうと、再び歩き出した。

 で、すぐに戻って来た。

「熱いスープでもたのむ。凍え死にそうだ」

「あはは、遠慮しないで中に入りな」

 それから数分後、小屋の屋根から黄色っぽい煙が上がり始めた。


     弐

 翌日、朝から羊小屋が騒がしいので男が様子を見に行った。

『モブェ~』

『ンベー』

 羊どもがほぼ一カ所に固まってもぞもぞ動いている。

「ホレ、ちょっと通せや」

 男が羊をかき分けてその真ん中に行ってみると、そこで軍人の『ようなもの』がぐったりしていた。もみくちゃにされていたが、先日の男ではないのだけは判別できた。

「いきてるか~?」

 返事が無い。

 男は、そいつは死んでるみたいなので放置、と言いたい所だったが、とりあえず縄でくくって、小屋の外に出そうと引きずった。

 『軍人のようなもの』に『糞まみれの』が付加されていく。

「ぶゎっ、なにしやがる!」

 突然、その糞まみれが叫んだ。

「お前さんこそ、なにしてやがる」

「まずは放せ!」

「いやだね。ところで、どんな山羊をご所望かい?」

「山羊だと!?白だ白、つーか、羊ばっかりじゃねぇか!」

「ますます怪しい」

 男はさらに引きずり、小屋の出口前まできた。

 そこで、さらにふた縛りほどして様子を見ている。

 男が「さてどうしてくれようか」と思っていると、防寒具で着膨れした人物が丘を上がって来た。

 そして、住居小屋の方で声を上げた。

「山羊をもらいにきましたー!」

 声からして、比較的若い女だった。

 気がついた男は「山羊は、こっちだよー」と声をかける。

 女は、もさもさと雪をかき分けながら近づいて来た。

「山羊をとりに来ました」

 やって来た女は、背の高い美人。……といえば聞こえがいいが、平たく言えばでっかいお姉さん。かなりでかい。

「ところで、『どんな山羊をご所望かい?』」

「『まっくろ、黒山羊。いぁ、シュブ・ニグラス!』」

「はいはい、おつかれさまですね。今山羊さん用意するよ」

 男は、妙な台詞をやり取りすると、住居小屋に向かった。

「ご主人、もがいてるの、どうします?」

 でっかい女は足下の『糞まみれの軍人のようなもの』に気がつき、途中で声をかけた。

「喰っちまってくれ~」

 男は振り向きもせずにそう言うと、住居小屋に入って行った」

 数分後……

 例の封筒をもって男が戻ると、そこらの木の板を使った急ごしらえのそりに「軍人のようなもの」が乗せられていた。

「あ~臭かったわ。これ、もって帰るけど臭くて食べられないから、取り調べしておきます」

「おぅ、ありがとよ。それじゃ、山羊さんどうぞ」

 男は封筒を渡し、軽く敬礼した。

 女は受け取ると短く返礼した。

「それじゃ、山羊は大事に送り届けるわ」

「おつかれさん。それは喰っちゃ駄目だよ」


      参

「シンクレア大将、黒羊さんから手紙がついたとです」

 空軍作戦本部の連絡将校が、暗号電を解読したものをもって現れた。

「ごくろう。ちなみに『黒山羊』な」

 それを受け取ったのは、英統合作戦本部長のシンクレア。空軍大臣への推進を蹴ってまで現場に残ったベテラン将校だ。

「あと、例の人たちに集まるように連絡入れてくれ」 

 シンクレアは帰り際の連絡将校を呼び止め、用事を言いつけた。

 小一時間後、「例の面々」が集まった。

 空軍戦略爆撃部長のハリス中将、レーダー網統括本部長のダウジング、海軍司令長官のラムゼイ大将、そして日本から栗田と、そうそうたる面々だ。

「さて、黒山羊さんからお手紙ついた。我々は食べずに読むとしましょう」

 シンクレアはそう言って、「手紙」の複写を配った。

 一同、じっと読みふける。

 そこには、諜報員達が命がけて集めて来た、東部戦線やソ連の情勢の貴重な情報書かれていた。

「こいつは……早く日本に伝えねばなりませんな~」

 一通り読み終えると、栗田は流暢な英語で言った。

「どうやって伝えるかが、問題だ」

 ハリスが憮然として言った。

「とりあえず概要を暗号電で伝え、詳細は航空便を使いたい。そこでですが、空軍さんと、海軍さんに頼みがあるのですが」

 と、栗田はラムゼイとハリスの顔を見た。

「例の親子機を使わせてくれんかな?それと空母。あと、ウチの大艇を使って、一気に行きたいと考えます。帰りは、まぁ、第二次遣欧艦隊が来るときにでも送らせますから」

 ラムゼイは「是非も無し」と了承の構えだ。

 しかし、ハリスが「うっ」と声を詰まらせてしまった。

「ご無理なら、時間がかかるのを承知で、英本土まで大艇を呼ぶとしますが」

「イヤ、無理じゃないのだが、実験隊のパイロットが空軍出身ばかりでして、その……」

「うーむ、着艦でありますか。まぁ、問題がそれなら、坂井あたりを出しますので、如何でしょうか」

「イヤ、実験隊の連中は離着艦くらいは一応出来るものばかりでありますが、その……」

「もったいぶらんでください」

 ハリスがあたふたしていると、シンクレアが横からゆっくり声をかけた。

「ハリス中将、お気持ちは分かりますが、この際私情はは控えてくれんか」

「……分かりました。自分の方で、直接指令を出します」

「そうしてくれ。と、いうわけだ。栗田さん、ご安心を」

 栗田は、シンクレアに「わかりました」と答えたが、いまいち腑に落ちなかった。

「さて、山羊と一緒に送られて来たスパイなんだが……」

 シンクレアは、そんな栗田をよそに会議を進めて行った。

 

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