第伍幕 大空の鮫

『シュレヒター少尉、ヤパンの戦闘機が追ってきます』 

「ヌルか?ハンス、逃げる用意をしておけ」

 あの日以来、ルフトバッヒェ全体にこんな指示がが出ていた。

『ヌルを見たら逃げろ』


 「魔の八月十五日」

 あれから丁度一ヶ月。今日は久々にちょっとした大規模空襲だ。

 俺の小隊も、爆撃機を守ってロンドンに向かっている。

 そして、そう、あの日――

 わがルフトバッヒェ始まって以来の大損害を受けた。

 俺の小隊も、あの日は半数が帰らなかった。

 親友だったシュミットが、対空砲に狙い撃ちされた光景が今でも忘れられない。ああ、あのとき欲を張って、森の中にいたトラックなんか撃ちにいかなければ、いまごろ。

 あまりに惨憺たる状況なため、次期総統といわれた『あの』ゲーリングが空軍総司令官と国家元帥を辞職(事実上のクビ)になったほどだ。

 あの日、一番厄介だったのが、日本から来た「ヌル(=零)」とかいう戦闘機、スピードも火力も「並」なのだが、滞空時間が異様に長い。また、複葉機みたいに小回りがきくので、格闘戦になったら、手も足も出ない。

 悔しいことに、アイツらときたら、あさっての方に向かってると思ってるうちに、くるりと回っていつの間にかケツに着いていやがるのだ。戦闘機にケツをとられると言うことは、即ち撃墜を意味する。終わってるのだ。こっちが追いかけていたはずなのに、いつの間にか後ろに着かれてることだってよくある。

 というわけで、『ヌルを見たら逃げろ』。

 

『少尉、やはりヌルです』

「了解、ここは一旦逃げるぞ。全機、散開!」

 俺は愛機FW190をくるりと逆さにすると、そのまま真っ逆さまにダイブしさせた。寮機のハンスはきっちり俺に着いて来ている。

 『逃げろ』には二つ意味がある。

 一つは、とにかく逃げろ。逃げられるうちに逃げろ。

 もう一つ、我がFW190だけが可能なのだが、一旦離脱してそれから反撃しろ。

 首を廻して見回すと、案の定「ヌル」は上に置き去りになっている。横転した次点で、既に差が出ていた。

 そのまま離脱、距離と速度に十分な余裕ができたところで、今度は上昇に転じた。やはり、着いて来られない。もともと、このFW190のスピードに、軽量格闘戦型の戦闘機がかなうわけが無いのだ。  

 そして、反撃だ!

 機体はぐんぐん加速し、敵の姿は照準機の中でどんどん大きくなる。

 よし、今だ!

 どうだっ!

 何とか一機喰ったぞ。編隊戦の威力だ。

 これが、一騎打ちとなったら、お互いに相手をとらえられず、痛み分けになるにちがいない。

 ヌルのやつら、やたらヒラヒラ飛びやがって。後が続かねえ、コンチクショウ!

 まあいい。護衛を任された爆撃機から追っ払うことには成功した。また定位置に戻り。と思ったら、クソ、新手だ。

『少尉、新手はショーキのようです!』

 隊員のだれかから無線が入った。

 しかし、ここは好都合だ。

 小隊の損害も、今の所ナシ。

 こっちはさっきの機動で速度に余裕がある。このままズーム上昇して、脳天から一撃くれてやろう。相手がショーキ「みたいなの」なら、かえってやりやすい。ヌルと違って、似たようなタイプの機体だ。

 相手は三時の方向に三機、向きはほぼ同じ、友軍爆撃機の方を向いている。こちらのが高度は少し低いが、速度は勝っている。

 これは、いける。

「小隊全機集まれ。だいたいでいい!速度を殺すなよ!」

 味方が速度を保ったまま、素早く集まって来た。

 それを確かめると、俺は慎重に操縦桿を引き、速度エネルギーを高度に変えた。

 そして、相手を右下に見ながら機体を横滑りさせ、するりと相手の後ろに。

 上昇で速度が落ちたが、まだこちらの速い。

 徐々に間が詰まる。 

 こんどは逃すまいと、照準機いっぱいになった所で引き金を引いた。

 ――ドガガガガガッ!

「なにっ!?」

 俺は思わず叫んだ。

 相手が視界から消え、銃弾が空を切ったのだ。

 FW190のお株を奪う横転からのダイブか!?

 俺もとっさに機体を横転させたが、相手が見当たらない。

 いや、いた!

 敵は編隊を崩すこと無く少し下の方で再横転して、背中をこちらに向けている。

 うかつだった。ダイブじゃない!縦のロール・シザースだ!

 それに、液冷エンジン!?

 敵は、後ろからは見えなかった細長い頭を上げて、機銃を撃ちまくりながら俺のすぐ背後を突っ切った。

 そう、そこにはハンスの機体が!

『や、やられたぁ!』

 無線からハンスの悲鳴が聞こえた。それだけでなく、小隊の他の機からも次々と悲鳴が飛び込んで来る。

 このままでは俺もやられてしまう。

 離脱すべく、逆さのままダイブを試みるが、逃げられるかわからない。

 今頃上、即ち腹の方から飛びかからんとしてるはずだ。

 バキバキ!

 撃たれた!チクショウ!

 バキバキバキ!

 またどこか撃たれた。

 コゲ臭い、と思った瞬間、エンジンから火を噴いた。

 このまま真っ逆さまはごめん被りたいので、俺は必死で機体を立て直し、落下傘降下の用意をした。

 敵はもう追って来ない。俺が火を噴いた所で別の目標に向かったようだ。

 クソッタレめ! 火が回ってきやがった!

 クソ、クソ、クソ!

 「魔の八月十五日」を切り抜けた俺が喰われるとは!

「クソっ! え~い、死ぬよりはマシだ!」

 そう叫ぶと、俺は機体を捨て、空中に飛び出した。

 

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『やったな、ジミー』

「こらいいわ。マサ、こいつはいい! ブルースはどうだ?」

『俺は二機喰ったぞー』

 やったぞ! 強敵フォッケを蹴散らした!


 俺が拾われたトラックが積んでいたブツ、その一つが愛機の鼻っつらについているマーリンだ。残りはブルースと、日本人のマサの機体についてる。

 胴体はっつーと、日本から持ってきたショーク。じゃないショーキ。

 ぶっとい空冷星形から、細長い液冷にかえたものだから、言われなけりゃ誰もコイツがショーキだなんて気がつかない。重心をとるのに苦労したらしいが、ラジエーターの位置を工夫したら巧く行ったらしい。

 ショーキの小柄な機体に千四百馬力を超えるエンジンを積んだものだから、この速いこと。おどろいたよ、スピットを軽くぶっちぎるんだから。

 まぁ、直線番長なんだけどさ。

 おっと、旋回は苦手だけど、ロールは速いぞ。もう、ぐるぐる回る!

 ぐるぐるまわって、上下に揺さぶってやれば、このとおり、フォッケだってひとひねりさ。わっはっは!


「なあ、ブルース『ショーキ』って言いにくいよな?」

『そうだな』

「ちょっと違うが『シャーク』ってのはどうだ? サメだ。いいだろ?」

『『シャーク』か、いいな!』

『おい、ブルース、ジミー!喋ってるヒマはねえぞ!』  

 ブルースと無線で喋ってたら、マサが割り込んで来た。

「お、おお、どうした?」

『フォッケを喰って腹一杯になっちまったか? 本来の獲物が上にいるぞ!』

 おっといけねえ、コイツの本業は爆撃機の迎撃だ。

 そう簡単にはロンドンに爆弾を落とさせないぜ!

 

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 一ヶ月後。

 トンテンカン、トンテンカン

 飛行場の片隅にある格納庫。そのまた片隅で、早朝から金属を叩くハンマーの音が響いていた。

「みんな、good morning! 朝からごくろうさん」

 『日英共同実験隊』の資材調達を指揮するテイラー大佐が、部下の押す大きな台車を先導して現れた。

 元気に挨拶してみたテイラーだが、帰って来たのは「ぐっどもーにん」という、地味な返事だけ。

 ブツをどうしようかと困った顔をしていると、中から若い男が駆け寄って来た。

「お早うぐじゃいます、じぇねらるたいらー!」

 男はへたくそな英語で挨拶をした。

 彼、というかそこにいる全員がなんと日本人。

 彼らは、陸軍工兵部隊から選りすぐりの「職人」と、次世代を担う有望な若者を集めた「特別職工中隊」の面々だった。材料さえあれば、飛行機でも戦車でもなんでもでっち上げてしまうという、とても頼もしい部隊である。

「あの話が、今頃役に立ってるねえ」

 テイラーは中隊の皆の姿を見てつぶやいた。

 一昔前、若いテイラーは金剛にも搭載されているキングジョージ五世型戦艦の、主砲開発メンバーの端っこに名を連ねていた。

 半ば見習いとして働く中、ベテランの士官に何となく言ったひとこと……「尺とフィートがだいたい同じで、二ヤードで一間。なんとなく、他にもいろいろ日本と合わせられないかなあ」。

 小さな言葉だったが、それが広がって、いつの間にかネジやらバネやら小物から、一部の弾丸や砲身など、寸法や目方がいろいろ日英で共通化されている。

「いくら達人といえども……」

 こうも短時間にでっち上げられるわけがない、とテイラーは思った。

「達人、か。うん」

 今はまだ出来たばかりの「これから」という組織だ。

 なお、教育に当たる「職人」たちは、引退した街の板金工や技術者などの志願により集められた、いぶし銀のふるつわものばかりである。

「あ、あははは。それじゃ、頼まれたアルミ板、置いとくよ。あと、僕は『テイラー』」

 結局単位はメートル法でやってるが、と

「し、失礼ごじゃました!」

「気をつけてね~。じゃ、僕はここで。これから、寝るぅ~」

 またも徹夜のテイラー准将。やっと仮眠が取れる所だった。

「はい、有り難うごじゃますテイラー閣下! それでは、ハッピーバースデイ!」

 テイラーは「そりゃhave a nice dayじゃ!」と言いたいのを我慢しながら格納庫を出た。

 飛行場の上空では、今日も朝から飛行機の飛び回る音がする。

 見上げると、上では新型スピットファイアと、実験隊で「でっちあげた」戦闘機「シャーク」が、上を下へと格闘戦の演習をしていた。

「お、ジミー達か。あらぁ~、新型スピットがブッちぎられてるでないの。バレルロールから、ズームアップして、チェックシックス。シャークの勝ちだ。いやアッパレ」

 そこまで見ていた所で、テイラーはそこの芝生の上にバッタリと眠り込んでしまった。


「テイラー准将!生きてますか~?」

「ンあ? ジミーか。さっきはお見事」

「お見事、じゃないありません。もう十月なんだから、こんな所で寝てたら風邪引きますって」

 どれだけ寝てたのか、テイラーは降りて来たジミーに起こされた。

 ほゎ~っと伸びをして、起き上がる。

 目の前の滑走路を、ざーっと音を立てて降りて来た「シャーク」が通り過ぎた。

「ちょっと、寒いかな。ところでジミー。『シャーク』はどうだい?」

「いいですね、ものすごく。曲がらないこと以外は」

 ジミーは宝物でも見つけたみたいに言った。

「なんだかな~。最初はただ速いだけの直線番長で、鈍い爆撃機しか相手に出来ない、なんて言ってたのに」

「使い方があるんですよ。ノーマルの鍾馗もテストしたんですがね、エンジンを換えたおかげで、なんか、すごく良くなった」

「ふ~ん。何がよかったんかねぇ。ぶっとい空冷から細い液冷マーリンに換えて、細くなった分速くなるのは分かるけど」

「パワーは一緒ですからね。要はいい感じなんです、こう、なんつーか、バランスがいい。あと、ロールが異様に速い」

「ほぉ、ロールか」

「旋回性は悪いんですが、旋回に入るまでが速い。くるっと回って、慌てて相手が着いて来た所に、もうひとひねり。そんな戦い方ですね。あとは、徹底して一撃離脱」

「ほぉ~~、って、よくわかんないんだけどね。そっちはシロートだし」

「あはは、いいすよ」

 二人が話していると、倉庫の中からがらがらと牽引車に引かれて新しい「シャーク」が出て来た。

「あ、ジミーサン、てすと、てすとぉ~! 新しいの、またでけただよ!」

 牽引車から若い日本人が手を振って来た。

「おぅ、サンキュー! あっちにおいといてくれ!」

 ジミーは飛行場の端を指差して言った。

「驚いた。毎日凄い量の材料を使うから、何かと思ったらまた凄いペースで作ってるんだな~~。手作りだろ?」

「ええ。それで、毎日一機か二機、きちんと完成させてきますよ。最初の試作機を作ったウチの技術者さんたちなんて、一機作るのに一週間かかったのに」

 見渡すと、いつの間にやら完成機の数がずいぶんと増えている。

「もう二個中隊分は作ったよねぇ」

「まもなく、その第二中隊が稼働しますよ」

「早いなぁ。ベテランをずいぶん引き抜いたからってなぁ」

「いまのところ、一種の天才肌ばかりです」

 そこへ、さっき降りてきた「シャーク」から降りて来たパイロットが二人、テイラーのもとに近づいて来た。

「テイラー准将、お久しぶりです」

 先に敬礼したのは、ジミーが前にいた基地から転属になったワトソンだった。

 そして、となりにピーターまでいる。

「あれまぁ、三人お揃いで」

 テイラーが目を丸くした。

「あはは、ジミーもピーターも中尉だ。階級で並ばれちゃったよ」

 ワトソンは帽子を取りながら苦笑いした。

 残る三人も「わはは」と笑った。

「あらぁ~。団体さんでどこに行くやら」

 テイラー達の頭上を、ものすごい数の日本軍機が北に向かって飛んで来た。

「なんか、大きな動きがありそうですね」 

 ピーターがそれを見上げて言った。

「どうだろう。その分こっちが手薄になるね。みんな、がんばろぅ。でもね、その前に、僕はぁ、寝るぅ~。ふゎああ~」

 テイラーはそう言うと、軽く手を振って宿舎の方にふらふらと歩いていった。

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