第壱幕 地中海突破作戦:下
四
攻撃隊の撤収後、伊艦隊はどうにか混乱に収拾を付け、再び日英艦隊に向かって来ていた。まだまだ、戦える。
接近する伊艦隊は、脱落した(その後沈没)「リットリオ」のかわりに「ヴィットリオ・ヴェネト」を先頭に、日英艦隊のいる南東に移動している。その戦艦部隊の両側を、小型艦艇およそ二十隻が、十隻ずつ挟むように進んでいた。水雷戦隊である。
対する日英艦隊は若干並びが代わり、先頭が英国艦隊、その右後方へ並ぶように「金剛」を先頭とした打撃部隊、さらにすぐ後ろに水雷戦隊と、見かけ上一列に並んでいる。
戦艦と巡洋艦上では、打撃戦を控え、着弾観測用の水上偵察機が次々と撃ちだされ、上空を旋回している。
「でぇい、状況がゴチャゴチャして……」
この期に及んで、参謀たちは状況の整理に手こずっていた。
「損害、未帰還は艦爆艦攻各三機、零戦二機、損傷二十三機、
撃沈『アクィラ』級空母一、撃破『リットリオ』級戦艦一、
おかしい、数が合わんな」
「どうした、神少佐」
「あ、少将。『リットリオ』級が一隻行方不明であります」
「何かのみ間違いであればいいが」
と、そのとき、左舷側を見ていた見張りが大声を上げた。
「西の水平線上に、マストを発見しました!」
「なに? 見せてみろ」
神が双眼鏡を奪い取ってそちらを見た。
「これは、軍艦の可能性が高いな。空から確認してもらおう」
水偵から、返事がすぐに戻って来た。
『センカン ジュウジュン カクイッセキ。シンロミナミ。シャルンホルスト ト プリンツオイゲン ト ミトム。』
通信文が読み上げられると、「金剛」の艦橋が凍り付いた。
南には、大事な空母と輸送艦が。今、それらの護衛はわずか。
「うむ、見事に釣られたな。わっはっは」
栗田は唐突に大笑いした。一同、目が点になる。
「かまわん。今はこのまま前進しろ。ただし、相手を見失うなよ」
さらに距離がつまり、まず先頭の「プリンスオブウエールズ」と「ヴィットリオ・ヴェネト」が撃ち合いを始めた。
英艦隊がやや西に進路を取って、右砲戦に持ち込んでいる。
また、西側の水雷戦隊が、軽巡「ジュゼッペ・ガリバルディ」を先頭にして、日本艦隊の方に突撃して来ている。やや遅れて、東側の戦隊も日本艦隊に向かって来ていた。数の少ない英艦隊は戦艦に任せて、日本艦隊は数で押そうという腹だ。
「勇敢ではないか。噂と大違いだな」
栗田は、突っ込んで来る敵を見ながら言った。
神が「まったくです」と、それに相づちを入れた。
「それでは、行くか。全艦……」
「はっ、全艦!」
「全艦、一斉旋回頭、面舵一杯!」
「え?」
「復唱せんかぁ!」
「ぜ、全艦、一斉旋回頭、面舵一杯!」
これが後に「栗田の大回転」とか「栗田ターン」とか言われることになる。
「コラ!どこに行く!」
と、英艦隊ホーランド提督が窓を叩きながら叫んだ。
目の前で味方が回れ右している。
「提督、ご冷静に」
副官のウイリアムズ中佐がそれを静止した。図体のでかいウイリアムズが、小柄なホーランドをふん捕まえているようにも見える。
「わたしの考えるところ、あれは自らおとりになっているのでしょう」
ウイリアムズは、分厚い眼鏡越しにホーランドを見下ろしながら言った。
そこへ『ずどーん!』と何度目かの射撃音が響き渡る。
「戦艦以外を全て釣り上げるというのか?」
ホーランドは目を吊り上げて聞いた。
そこに、栗田からの通信が入った。
『ゴランアレ』
それを聞いたホーランドが「なんだそれは」と言っていると、自軍の水上偵察機から、ドイツ巡洋戦艦発見の報告が入った。
腕を組んで考える事五秒。
「そういう事か。仕方あるまい、戦艦は引き受ける。このままいけ!」
『ずどーん!』
五
「よしよし、釣れたようだな」
栗田が薄く笑みを浮かべた。
一斉回頭をしたおかげで、今は水雷戦隊の「鬼怒」が先頭だ。
栗田は、敵に一番近い「金剛」から、追いすがる敵との間合いを測っている。
「そろそろだな。打撃部隊、再度一斉旋回頭! 水雷戦隊は、全速で輸送部隊を救援に向かえ!」
新たな命令が下り、長い一本の棒だった艦列が、真ん中から二つに分かれた。
細い方の艦隊は、軽巡(もしくは雷巡)三隻とと駆逐艦五隻で構成される水雷戦隊。艦隊戦速三十四ノットにも及ぶ韋駄天ぶりを発揮し、シャルンホルスト級(グナイゼナウと判明)に追いすがる。
一方、再び回れ右した太い方の艦隊は巡戦「金剛」「比叡」軽巡「最上」「三隈」「鈴谷」「熊野」の六隻。こちらも、艦隊戦速三十三ノットの快速ぶりを発揮できる。
「取り舵三十。西よりに進路を取り、敵水雷戦隊を遮れ。速力二十五ノット」
栗田は回頭が済むなり命じた。
敵の追撃を阻み、味方の移動を助ける形だ。
「砲撃許可を!」
艦の進路が決まると、「金剛」の指揮をとる副長が聞いて来た。敵艦隊は右舷側から急激に接近して来ている。
「よろしい。距離二万で砲撃開始せよ」
栗田は、むくりと仁王立ちになって返答した。
「主砲、発射よぉーーい!」
副長が叫ぶ。
十四インチ砲連装三基、既に照準は定まっている。各々片側の砲身をもたげ、さながら獲物を狙う熊のごとし。
しばしの静寂――
「撃てぃ!」
『ずどぅうん』という、爆弾の炸裂とはまた違った轟音を轟かせ、三発の砲弾が撃ちだされた。それを合図に、後続艦も射撃を開始した。
そして、わずか十秒ちょっとの間を置くと、もう一本の砲身からも撃ちだされた。日英共同開発の新型装填装置が、大口径砲としては驚異的な速度で次の砲弾を用意する。
そのおかげで、改装時に主砲塔が減っても、攻撃力はかえって増していた。
さらに、二万という近距離。
射撃開始から一分足らず、四回目の射撃が先頭の「ジュゼッペ・ガリバルディ」をとらえた。所詮軽巡でしかない「ジュゼッペ・ガリバルディ」は、火を噴きながら壁にぶち当たったようにその場で停止した。
互いに高速で接近するこの状況では、すぐに距離が縮まり、「金剛」が敵二番艦に射撃を開始したときには、巡洋艦も撃ち合いに参加し始めていた。
伊二番艦「アルブリッチ」が撃ち返して来るが、火力と装甲の差はいかんともしがたく、「金剛」「比叡」の集中放火により短時間で撃破。
しかし、ここから「金剛」が予定外の真価を発揮し始めた。
「主砲は二列目の先頭に目標を変更、手前の敵は副砲で対処せよ」
その瞬間に、後楼の副砲術長に一二・七センチ砲連装一二機の指揮権が移った。
中央と右舷側の各四機がぐるりと向きをかえ、すぐに猛烈な射撃を始めた。
高性能な照準機と、並の駆逐艦数隻分の砲弾をぶちまける攻撃で、手前の水雷戦隊は近寄るそばから『なで切り』にしていった。
いきなり撃沈こそしないものの、そこかしこで伊駆逐艦が煙と炎に包まれて停止している。
「うむ。視界が悪すぎる」
栗田がぼそりと言った。
撃破した艦から出る炎と煙は、図らずしも煙幕を張ったような形になっていた。
そこに、砲術長から二番手艦隊を見失ったという連絡が入った。
「まずいな。水偵を呼び出してくれ」
「上空から見ていると、これほど視界が悪いのは分かりにくいですから」
神が相づちをうって、呼び出しにかかる。
空からはすぐに返信があった。
『敵ハ 二手ニワカレ 熊野ト鈴谷ニ 急接近チュウ』
同時に、もうもうたる煙の中から、五隻ずつ二列に分かれた水雷戦隊が現れた。
そして、金剛の遥か後方、艦隊後尾に向けて突入してきた。
「イカン! 主砲!」
六
そのころ、「プリンスオブウエールズ」「レパルス」擁する英艦隊は、戦艦同士の猛烈などつき合いをしていた。
「プリンスオブウエールズ」は伊戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」相手に二倍数の砲弾と三倍の命中弾を与えていたが、いかんせん十四インチでは威力が足りず、決定打を与えられていない。
また逆に「ヴィットリオ・ヴェネト」からの命中弾は威力があるが手数が少なく、状況は互角と言ったところだった。
しかし、何十発目かの砲弾が「ヴィットリオ・ヴェネト」へ命中した時、変化が起きた。
英艦隊からは、突然「ヴィットリオ・ヴェネト」が向きをかえ、体当たりをしてくるように見えたのだ。
「コラ、何をしておる!気がふれたか!?」
聞こえるわけが無いのにホーランドが叫んだ。
「このままではぶち当たる。回避行動をとれ!」
やむなく、英艦隊は敵から離れてしまうのを承知で左に変進した。
ところが、「ヴィットリオ・ヴェネト」は徐々に失速しながら急激に向きをかえていった。
「舵の損傷でしょう。放置して敵二番艦に集中するべきです」
ウイリアムズがほとんど棒読みのような口調で言った。
「うむ。だが、この位置では間の敵艦が邪魔だ。北側に回り込んでくれ」
英艦隊がゆっくりと敵の後ろに回り込むように向きを変えると、目の前で信じがたい事態が起きた。
旗艦が向きをかえたため、慌ててついていこうとした三番艦の「ジュリオ・チェーザレ」が、ぐるりと半回転した「ヴィットリオ・ヴェネト」の鼻先に突っ込んでしまったのである。
艦首を破壊された「ヴィットリオ・ヴェネト」は、そこからの急激な浸水を起こした。さらに、衝撃で 電気系統が機能しなくなった。そして、電気系の故障でうまく応急注水が出来なくなった「ヴィットリオ・ヴェネト」は浸水とともに急激に横に傾き、ざんぶとその場で横転してしまった。
また、「ヴィットリオ・ヴェネト」の艦首を破壊し、己の艦首も大破した「ジュリオ・チャザーレ」は、速度と自重で急激に浸水し、つんのめるようにその場に停止した――かと思うと、内部隔壁の閉鎖が追いつかないのか、そのまま頭からずぶずぶと沈んで行き、あっというまにスクリューを高々とあげて沈没してしまった。
そして、独り取り残された二番艦の「カブール」は、あわてて向きをかえてシチリア島の方に一目散に逃げてしまった。
あまりの唐突な終わり方に、「プリンスオブウエールズ」の艦橋は静まり返った。
「追撃しますか?」
ウイリアムズがはじめに口を開いた。
「いや、よかろう。それよりも、ボートを出して勇敢な敵水兵たちを救おうではないか。もっとも、どれだけ助けられるかわからんが」
ホーランドはそう言うと、沈み行く敵艦に向かい、心の中で祈りを捧げた。
七
「金剛」の主砲がゆっくりと後方に向きをかえていく。
本来堂々として頼もしいこの光景だが、今はその遅さがもどかしい。
その間にも煙の中から現れた敵艦は急接近し、艦隊の尻に噛み付こうとしている。
敵の艦列は二つ。各々「デュカ・ダオスタ」級軽巡に先導された、五隻ずつの水雷戦隊だった。
「金剛」の栗田の目には、必死にそれを阻止しようと撃ちまくる「最上」級巡洋艦の姿が映る。たしかに命中弾は多数出ているが、なかなか撃ち倒せないでいる。
「主砲、斉射!」
射撃命令が下る。
一撃で倒すべく、交互射を止めて六門斉射に切り替えた。
『ずどぅうーん』
ひと際大きな音を轟かせ、大口径砲にとって至近距離を走る敵艦に砲弾が浴びせられた。
直撃、水中弾各一発。最後尾の「熊野」に迫る伊巡洋艦は、真っ二つになって瞬く間に海に没した。
が、それは一足遅かった。
既に五隻分、三十発近くの魚雷が「熊野」に向かっていた。
「熊野」は必死に回避行動をとるが、一つ、二つ、三つと次々に舷側に水柱が立ち上った。
「鈴谷」に迫った部隊は、発射手前で一隻を脱落させる事に成功したが、やはり四隻分の魚雷が襲いかかり、二発を食らった。
『ワレ 被害甚大 総員 退艦ス』
「熊野」そして「鈴谷」から相次いで打電して来た。
それを尻目に、雷撃を行った部隊は、反転してシチリアの方に去っていった。
同時に、「金剛」に迫っていた部隊の生き残りが三隻、去っていった。
伊艦隊としては、もう一撃するつもりだったのだが、戦艦部隊敗退の知らせを受け、撤退を決断したのだった。
去り行く伊艦隊に「金剛」と「比叡」はさらに主砲を撃ち、もう一隻を撃沈したが、それまでだった。
敵が立ち去ると、栗田は追撃はせずに、二巡洋艦の生存者を救助する方を選んでいた。
「イタリア軍、そう簡単に勝てなかったか。噂より遥かに勇敢ではないか」
救助用ボートを出すのを見守りながら、栗田は呟いた。
八
空母と輸送艦の護衛、吹雪型駆逐艦四隻が、空からの索敵支援を受けながら、真っすぐに独巡洋戦艦に向かっていた。
せめて時間稼ぎでもしない事には、接近戦に持ち込まれて、空母と輸送艦が壊滅の憂き目に遭う。空母から攻撃隊を出したいところだが、戻ったばかりですぐには出せない。
敵側の索敵機がいる様子は無いのだが、なぜかまっしぐらに空母部隊めがけて「グナイゼナウ」と「プリンツ・オイゲン」が進んでいた。(後に、艦隊上空を旋回する飛行機を目印にしていたと判明)
「上は完全に我が軍の支配下なのだが」
護衛戦隊指令の村上大佐は、常に上空を旋回する日の丸を付けた飛行機を見て言った。
空から的確に誘導され、砲撃圏のだいぶ手前で独艦隊の捕捉に成功していた。
魚雷を撃てる距離まで接近しようとするが、そのだいぶ手前、距離およそ三万で「グナイゼナウ」の主砲が火を噴いた。
「取舵三十。真っすぐ走ってたら、食らっちまうぞ!」
相手の砲は二十八センチと二十センチ。戦艦なら平気だが、こちとら駆逐艦だ。
直撃されたら終わり。照準をはぐらかすために、無作為に蛇行しながら間合いをつめていくしかない。
村上は、相手を右舷側に見ながら旗艦「吹雪」を蛇行させ、後続がそれにならっていく。
だが、接近するにつれだんだんと照準が正確になり、ついに三番目を走っていた「磯波」が直撃を受けた。水柱と火柱を同時にあげ、瞬く間に沈んでいく。
村上らは怯む事無く接近を続けたが、さらに二番艦の「潮」が二度挟叉を食らった。このままではまたやられる。
「魚雷発射よろーし!発射したら、取舵一杯にて退避せよ!」
少し遠いがやられては意味が無い。
距離およそ一万五千。各艦から一斉に魚雷が放たれた。
三隻合計二十四本のの酸素魚雷が、「グナイゼナウ」めがけて突き進む。
この酸素魚雷だが、これが実戦での初使用であり、その力は未知数だ。
発車後の水雷戦隊は反転して離脱を図る。ドイツ艦隊は、魚雷の存在を知ってか知らずか、そのまま直進を続けた。(後に分かったのだが、この時独艦隊は魚雷に全く気づいていなかった。)
さらに二度の射撃を受け、ついに「潮」が撃沈されたところで、「グナイゼナウ」舷側に一本の水柱が上がった。複数命中させるには、少し遠かったようだ。
「グナイゼナウ」は、魚雷が開けた穴からの浸水を受け、速度を落とした。慌てて追突を避けるプリンツ・オイゲン。
魚雷が直撃したが、このクラスとしては重防御を誇るこの艦は、やや傾斜したものの沈む気配はない。やはり、一発ではだめだ。
撤退しつつある「吹雪」からよううすを窺う村上の前で、「グナイゼナウ」は見る間に復元していった。
そして、やや足は鈍ったものの、再び進撃を開始した。
駆逐艦二隻によって稼いだ時間はわずかであったが、大きなものだった。
全力で追って来た水雷戦隊が、ここでようやく追いついたのである。
「敵巡洋戦艦捕捉!」
先頭の「鬼怒」の見張りが叫んだ。
「『北上』に打電、南雲少将に伝えろ!」
「鬼怒」で(事実上、艦隊の)指揮をとるのは、高木中佐。しんがりをまかされるなど、南雲からの信頼は厚い。
一方、本来の指揮官である南雲だが、もっと上の地位にいてもおかしくない人物だ。しかし、あえて小沢や栗田のようなイキのいい後輩に席を譲り未だ少将の地位にいる。それに、彼は水雷屋でありたかったのだ。
「司令部から入電『追撃続行セヨ。進路ハ任セタ』」
既に艦隊の速度は三十五ノット。本来の最大速度を超えている。
今、水雷戦隊は、魚雷を食らって速度がやや鈍っている独艦隊をじわじわと追いつめつつあった。
少し距離を置き、左舷側に相手を見ながら、敵の主砲の射程ぎりぎりを少しずつ蛇行しながら追い越していく。
この時、それを見た南雲に「見事な先導だ」と言わしめている。
高木は、急な取り舵、ゆっくりと反対に弧をえがいたりと、巧みな動きで敵艦を翻弄している。それを正確に追尾するあたり、艦隊各艦の錬度は高い。
そして、水雷戦隊は、いつの間にかだいぶ距離をつめていた。
徐々に「グナイゼナウ」の副砲や「プリンツ・オイゲン」からの砲弾も飛んで来ている。水雷戦隊側からもパンパンと打ち返し始めた(豆鉄砲に等しいが)。
「そろそろ、頃合のようだ。指令部に雷撃許可を打診!」
すぐさま、司令部から「可」とだけ返信されて来た。
「さすが南雲少将。判断が早い」
高木はそう言うと、少し見回して命じた。
「よし、もう少しだけ敵に近づく。とぉりかーじ!」
その瞬間、艦後部に火柱があがった。
内火艇が直撃弾を喰らい、木っ端微塵になる。
後方でも駆逐艦の中にも火災を起こしているものが見受けられた。
さして大きな弾では無かったが、それを皮切りに「鬼怒」の周りにバシャバシャといくつもの水柱が立つようになった。
「よーそろ、よーそろ」
高木はそのプレッシャーに耐えた。その顔は笑っていたとも伝えられている。
「よぉし、撃てい!」
バシュバシュと音を立て、酸素魚雷が海に放り込まれていく。
「後続も、合わせて撃ってくれているはず」
その数、「鬼怒」だけで二十本。続く陽炎型駆逐艦が四隻三十二本、そして「大井」と「北上」合わせて四十本。
わずか二隻の艦に、近距離から百本近い魚雷が一変に襲いかかっていく。
発射を確認した高木は、ストップウォッチを押すと、離脱を決めた。
「面舵一杯、いったん離脱せ……」
そこで高木の意識は唐突に途切れた。
「『鬼怒』に直撃ぃーー!」
「北上」の見張りが叫んだ。
南雲がそちらを向くと、巨大な火柱があがっているのが見えた。
「まずいな」
先導がいなくなった水雷戦隊は、烏合の衆になりかねない。
と思ったが、先頭になった駆逐艦「陽炎」がセオリー通り一目散に退散し始めたので、深く考えるのはやめた。
「ここは、ひとまず逃げるしかないからな。さて、敵さんはどう出るか」
敵艦は、「陽炎」退却を始めるなり二隻とも舳先をこちらに向けて来た。
追撃のつもりか、それとも魚雷に対する被弾面積を減らすつもりなのか。
が、南雲にとって、それはどうでも良かった。
それで砲撃は一時的に止まり、魚雷は真っすぐ突き進んでいる。
航跡が残らない酸素魚雷は、こちらからも見えない。
南雲が「そろそろかな」と双眼鏡に目を当てた瞬間、回頭中の「グナイゼナウ」の土手っ腹に水柱があがった。
「ちゃくだーん!」
誰かが大声をだした。
水柱の数は、ひとつ、ふたつ.みっつ。そして沢山。
プリンツ・オイゲンにも、四本ばかり水柱があがっている。
巨大な水柱がたっぷり時間をかけて消えると、二隻の独艦は見事に横倒しになって沈み行くところだった。
「少々無駄遣いし過ぎかな。まあいい。敵が消えたところで、『鬼怒』の救助にでも向かわせるか。しかし、何発あたったんだ?」
後の調べて「グナイゼナウ」への命中は十四、「プリンツ・オイゲン」には四本であることが判明した。
なお、それらは全て「グナイゼナウ」を狙ったものであり、「プリンツ・オイゲン」を沈めたのは、その流れ弾でしかなかった。
九
「巡洋艦三隻と、駆逐艦三隻を失ったか。航空機もそれなりに無くしているな。大変な戦いだったようだな」
海軍総司令官山本大将は、大陸の向こう側からきた被害報告を見て呟いた。
その他にも、損傷艦がいくつか出ているらしい。
今のところ、これ以外の連絡は無い。
無事大西洋に出られたのか、それとも連絡が取れないのかすら不明。
待っていても何も出来ないので、さしあたり焼酎を少し呑んで仮眠の床につく。
翌日、朝一でジブラルタル突破の報告が届いた。
前の報告以来これと言った被害が無いとの事で、司令部一同おおいに喜んだのは言うまでもない。
そして、昼頃になってようやく戦果報告が届いた。
・撃沈
戦艦「リットリオ」級 二
「ジュリオ・チェザーレ」
巡戦「シャルンホルスト」級
巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」級
「デュカ・ダオスタ」級
「アルブリッチ」級 二
駆逐艦等 八乃至十
・撃破
駆逐艦等 六 乃至 八
航空機 百四十 乃至 百五十
なお、「リットリオ」級の一隻は航空機により撃沈。
「なんじゃ、これは」
山本は報告を三回ほど読み直し、拍子抜けしたような声で言った。
「だ、大戦果と思います」
横で見ていた参謀があたふたと言った。
「大戦果か? これが?」
「はい、見事であります」
「よく見ろ、これは『撃滅』もしくは『殲滅』というのだ! まったく、予定外だ」
山本は眉間に深々としわを寄せた。
「わ、悪いのですか?」
「悪い。というか困る。あまり勝ちすぎると、あれこれ他国を刺激していまう」
「第三国からも脅威に思われると」
「そんなところだ。まぁ、後戻りもできんから、これからの事を考えよう」
「では、司令部付きの参謀を集めますか?」
「そうしてくれ」
十
「あれ?ここは、もしや、天国か?」
高木が気づくと、目の前に金髪美女の見事な胸が立ちふさがっていた。
美女は「お~!」とと叫ぶと、なにやらよくわからん事をしゃべりながら、去っていった。
起きて周りを見回そうとするが、体が言う事を利かない。
どうにか首と目玉だけ動かして、様子をうかがう。
「なんだ、どこかの病院か。しかし、英語ばかりだ。だとすると、今の美女は英国人看護婦(当時の表現)かな?」
天国でなくて残念なのか、生きてたのを喜ぶべきか。
高木はそんな事を考えていると、目の前にどこかで見た男が現れた。
隻眼の軍人、これはどう見てもあの男。
「く、栗田中将閣下!? イテテテ」
高木は敬礼を使用として、失敗した。
「手ぇ~~~~!」
「バカ、落ち着け。男が片手を無くしたくらいで騒ぐな」
とんでもない台詞だが、隻眼提督が言うと、何か説得力があった。
「で、高木『少将』」
「は? 私は中佐でありますが」
「いや、少将になった。二階級特進だ。おめでとう」
「なんか、殺された気分であります」
複雑な表情の高木。
「わはは、実は戦死したと思われたのだ。「陽炎」に拾われた時、服はぼろぼろ、顔は痣だらけで誰だか分からなかったからな」
「腫れが引いたら、死んだはずの人間だった、と?」
「そうだ。いまさら撤回できんから、退院したらがんがん働いてもらうぞ」
十一
戦後の調べによるが――
実はこのとき、フランス海軍はジブラルタル手前で迎え撃つ算段をしていた。
シチリアの空軍と、独伊艦隊の攻撃により大打撃を受けたところを、出口を塞いで包囲殲滅するはずだったのである。
しかし、独伊の惨憺たる有様を知り、急遽引っ込んでしまったのである。「急な侵攻のため間に合わず」ということに建前なっていたが。
実際のところ、派遣艦隊はかなり消耗しており、フランスの艦隊が現れていたら歴史が変わった可能性は高い。
また、この戦いでイタリアは海上戦力を大きく損耗させてしまったため、その後の北アフリカ作戦が著しく支障を来す事になる。
そして、この第一次遣欧艦隊のもたらした多数の航空機と搭乗員達が、英国上空で繰り広げられている「バトル・オブ・ブリテン」に劇的な影響を与える。
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