最終章 2/4 〈銀の鍵:亜〉
「この惨状はヨグ=ソトースの残滓のなのか。まさか、銀の鍵か……!」
僕の真正面、拝殿を背後に構えて、白の同族から一歩出た奴が歓喜と憎悪の声を上げる。どいつもこいつも顔が見えないのは相変わらずで、白い布で隠している。上下白の神職装束を身に纏っていて、肉眼での見分けは体格以外に難しい。
だが、白い布の内側の表情が畏怖に染まっているようで、個性すら見えてきそうなのが気味悪い。ちくしょう。僕にはこいつらが識別できてしまう。
どいつもこいつも化け物だが、その基盤は人間だ。
あれらは人間に芽吹いた怪物だ。
「いや違う。あれは亜種だ。模造にも劣る。だが、我らが歩むべき頂に至る星だ。どういうことだ。ネクロノミコンを取り込んだからか。応えよ。汝は誰か」
「わかってんだろ。繋がっているはずだ。だったらなぜ問う。言葉を使う」
「同一に至っていない。応えよ。汝は誰か」
僕には繋がっていると思えることなのだが、彼らにはまだ及んでいないらしい。もしくは違いのずれのせいで同じ結果に至れていないのか。
ああ。なんだよ。ちくしょう。
結局僕はひとりらしい。
寂しいな。
哀しいな。
悔しいな。
それでも。……愉快で。
爽快だ。
人生ではじめて誰かを見返してやったかもしれない。最高に気持いい。
だから、僕は白い布の下で、顔の縦に裂けた口を笑みに歪めた。てめえらにも伝わるだろ。
「櫟、朝一だよ」
宣言を持って、決別を提示する。
空気が緊張する。白の同族が一斉に飛びかかってきそうだ。
多勢に無勢は明らか。
正直、先ほどモノをどっかに飛ばす赤い線をどうやっていたかなんてわからない。頭に叩きつけられた何かの声に従っただけだ。いまや燃え尽きて声すらない。
銀の鍵の亜種らしいのだが、僕がそうなのかさえ自覚もない。
ただ、できることはわかる。
わかるのだが。
「我らが幾重にもしてきた頂の道を砕きかねない蛮行は赦さない!」
あっという間に僕の周囲は白の同族が現れていた。逃げ道の隙間すらないほど溢れかえって、その化け物の肉塊が僕を圧殺すべく、ただの一点を目指してかけ出していた。
逃げられない。
間に合わない。
僕はまだ、自分のできることの方法がわかっていなかった。まだ変革して間もない。知識が間に合わない。何もできず殺されてしまう。
もう少しの時間が欲しかった。
今度こそお役御免になるかと思った。
だが。
「お前には、必要ないと言ったはずだ」
酷く懐かしくて胸やけしそうな声が聞こえたのだ。
嘘だと確かめさせてくれ。泣きそうで堪らなくなった。
ここでいよいよひとりでしかないと覚悟したはずなのに。
僕を守るように白の同族が八方を見据えて数名立つ。彼らの背中に僕は近しい気配を感じた。異形の繋がりからのそれではない。家族なんて曖昧で不確かなものだ。
間違いない。
今、僕の目に前に、父親がいた。
姿カタチは間違いなく化け物だろう。振り向けば、僕と遜色違わない異形がいるはずだ。それでも彼を父だと認識させる何かを感じざるを得なかった。
「なんで、だよ」
僕のぼやきを置いて、すでに白の同族数名は僕を守るための結界を作り上げていた。視界情報では認識が及ばない壁を、ヒトならざる声で呪文を唱えて成している。
原理も原典も、方法も、僕では測りかねているが、僕を襲おうとしていた白の同族が、ある一線から近寄れずにいるのは確かに現象として起きていた。
見えない壁を突破できない同族は後ろの同族から押され潰れていく。さらに圧迫は強まり、次々と押し寄せて、潰したパンのような出来の悪い肉塊が積み上がっていく。結界が赤い紅い体液に染まっていく。
なおも僕を守ろうと壁は耐えている。
ぎしぎし軋んでいつ決壊してもおかしくないのに、盤石に信頼が持てた。
「急げ。次期に限界だ」
「――っ!」
言葉足らずにもほどがある。
結局この男は、僕に十分な説明をせず、時間さえも許してくれない。
僕は、ただ、この男の行いを無駄にはしたくない一心で最後の手探りを完了させる。
時たま発作的に襲われていた、世界を張りぼてに見做す視点のチャンネルを見つけていた。僕はかれた樹木の根のような手を自らの首の付け根に刺した。
拍子に、僕の顔を隠す布が落ちてしまうが構わない。世界に化け物を晒して嗤ってやる。
自分の声のはずだが怖かった。
「ぐちゃぐちゃにしてやる」
途端。
白の同族がばちんと弾けた。首、四肢とが千切れて飛んで、胴体がねじ切れる。僕の近くから浸食を強めていく。僕を守る父親ごと、この霧の世界を崩していった。
砕き、千切り、崩して、溶かす。
世界が脆く儚い造り物だと教えてやるんだ。
世界は神のただの副産物。汚らしく吐き散らかした、衰退を辿る泡沫の庭だ。基盤からこの有り様であれば、どんなに築いたところで、崩れやすいのは定理というものだ。
僕はそれをいじり回す。
初動は短く。だが、伝播は幾重の現象の引き起こして続いてく。まるで疫病だ。ただ一点からの崩壊を、この世界は許容できなくなりつつあった。
「あ――――――…………」
どうやら僕も例外にならなかったらしい。
むしろ元凶なのだから相応しい顛末と言える。
どりゃり、と僕は自分の崩れ落ちる音を聞いた。地面との衝突に感覚がなかったのは、僕の機能損失を教えてくれる。
視界が地面と近い。横たわっている。首は繋がっているかさえもわからない。腕、足、胸、背中も動いてくれない。化け物に成り果てたはずだが、再生の限度を超えたらしい。
八女津姫の権能を破ったときに壊れた身体は治っていた。その傷さえ治す再生力でも補えなかったのだ。
予備動作にも満たない力で、崩壊しか起こせないのは僕の力量不足だ。いかに模造で猿の真似事にすぎなくても、どこぞに繋がる門くらい出せるはずなのだ。
崩れた僕に残されてたのは、意識を暗闇に飲ませて、残骸は他の勝手に委ねることだ。
もはやここまで。
僕は十分やれたのだと、ようやく意識から力を抜きつつあった。
最期にどうして父親が現れたのか、だけでなく助けてくれたのかは、僕自身で確かめることができなくなってしまったが。ここまでたどり着けたのだから、些細にできるだろう。
……百合ちゃんたちは、せめて地上に出られただろうか。気になるところだが。
有子も、たぶん頑張ったと褒めてくれるはずだ。
あいつもどこかで見ていてくれたのなら嬉しい。
消えかけの意識が、声を拾う。意思の伝達を拾ったのほうが正しい表現かもしれない。
二人の会話だ。
「離反。裏切り。だが緑の神との盟約はもやは途切れない」
「否だ。裏切りはしていない。櫟の単独はただの緊急措置だ。愚息に加勢はしたが、我らが櫟に裏切りはない。これは起こるべくして起きた。いずれのいつかが早まったにすぎない。次期にこの歪みは核に留まらず末端をも蝕み、砕く」
「緊急、措置だと……」
男と、父の会話だろう。
その男から
「まさか有り得ぬ。正常動作!? ならば我らが崇め奉る八女津姫はいったい何なのだ! 緑の神は何処に居るのだ! 応えよ! 櫟!」
「我らがショゴスに緊急を値させるものはひとつ。ああ。ちくしょう。せめて、お前には、ひと、らしい、……、………」
父の意識が、消えた。
相手の意識も風前の灯だ。疑念にかられて、辛うじて繋ぎ止められているだけにすぎない。
僕は、ただの肉塊に成り果てた父に、苦言を残すべく意識をそこへ集中した。せめて一言クソ親父に、聞こえないとわかっていても、ぶつけておきたい言葉があったのだ。
ところが。
なんだ……!?
消えかけの僕でさえ、脅威に震えてしまいそうになるものが来るのを、察知した。
肉体の機能を失ってもなお、畏怖で固まりそうだ。
崩れた拝殿の底。何かが来る。
迫ってくる。
奴は、ここにいるすべてを喰らうつもりなのだ。
わかっていても僕にどうにかできる術は残されていない。
父も他の櫟の一族も事切れている。
白の同族も動かない。父と話していた男も、消えかけの意識で疑念を繰り返すのが精一杯だ。
満たされたはずの僕の心が今さら恐怖で逃げ出したくなった。
だが、逃げられない。
どうしようもない。
僕は。
途端。拝殿の残骸をはね除けて這い上がってきた、木の根のような、怖気がするほど悍ましい赤灰色の触手が霧の世界を埋めつくそうと溢れる。
僕は赤灰色の濁流に飲み込まれた。
意識が砕かれる。
咀嚼される。
ああ。喰われる。
喰われている。
僕が。
喰われていく。
融ける。
融けていく。
僕が、なく、なる。
ああ。……ああ! ああああああああああ!
あああああああああああああああああ!
ああああ、……あ。
……あ…………あ……あ、…………――――。
…………………………。
…………。
……。
――――――を、知覚した。
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