最終章 1/4 〈憧れに焦がれ燃ゆる、明星〉

 僕は、友達を殺しました。

 暁登を死なせてしまいました。自分が本当にどうしようもない人間だと思い知りました。

 ただの嫉妬。

 ただの仕返し。

 魔がさした。

 あれは、まだ学生で。暁登と有子が付き合いだして数ヶ月経つ十二月だったか。僕は、有子とはほとんど話さなくなって、暁登とはまだ友人関係が続いていて、たまに遊んでいる仲だった。

 そんなとき、暁登から相談を受けた。

 最近有子との仲がよろしくないらしい。連絡も返事もない状況が続いている。僕に任されたのは、仲を取り持つのではなく、約束を取り次いで欲しいとのことだった。

 気の進まない僕だったが、友人の手前、聞き入れないわけにもいかなかった。

 しかし、暁登なら僕の有子への想いにも気づいているはずだと、思っていた。だから、彼の頼みが、無作法で、彼の悪行に思ってしまったのも仕方の無いことだった。

 第三週目の日曜日、町中の裏通りの、小さな神社前に来て欲しいとのことだ。

 僕も神社の場所くらいわかるので、有子に伝えるのは難しくなかった。しかし、この二人だけにしか、その小さな神社の意味がわかっていないのを悔しく思った。僕から意識的に距離を取ってきた報いのようで、二人からの罰のようで、惨めな気持ちになった。 

 むしろ、暁登からの嫌がらせとも思えて。

 いっそ僕が嫉妬におかしくなれていたのなら、どれほど気が楽だったろう。おかしくなれていたのなら、僕がこれから犯す罪を、ただのイタズラか若気の至りにして、酒の肴にしてしまえる将来があったかもしれないから。

 ……僕は、罪を犯しました。

 友人に、嘘を、ついたのです。

 わかった、頷く僕の一言が嘘でした。

 暁登に頼まれた有子への伝言を、彼女に一切伝えませんでした。このまま仲違いを続けて、有子が相談しに来て、有子と親密になれる欲があった。

 魔がさしたのです。

 暁登は僕を信じて疑わず、有子が来ると信じて、約束の日時と場所にいたのだと思っています。だから、彼は持病の喘息を悪化させてしまった。

 僕たちは知らなかった。

 彼が喘息持ちで。

 僕たちのような普通の生活も、彼が自分で働かないとままならないほど家庭的に追い込まれていることも。

 喘息は身体が大きくなるにつれて落ち着いていたらしいが。有子へのプレゼントでアルバイトのシフトをたくさん入れて無茶して、また再発の頻度が増えていたことも。

 彼が発見されたときには、道ばたで冷たくなっていた。早朝、新聞配達の人が見つけてくれたらしい。だが、体調の悪化から立ち直れず、還らぬ人になった。

 意地汚い悪戯にも劣る醜い愚行が、僕の友人を殺す結果になったのです。

 ――ごめんなさい。

 僕は、有子が後悔で泣き崩れるのを、後ろから胸中で謝りながら眺めていることしかできなかった。罪の独白も、恐ろしくてできなかった。

 誰にも責められたくなかった。

 彼女に嫌われたくなかった。

 だから、僕は彼女が必要の無い自傷の涙に濡れることに甘んじたのです。

 僕は、本当に、どうしようもない人間なのです。そんな彼女を、自殺前日には苛立った態度で帰してしまうのですから。

 あの日、彼女は元気がなく無理しているのが僕でもわかるほどした。

 だが、引き籠もりの僕の話し相手になってくれていた彼女の献身的な行いを、僕は冷たい態度であしらい、酷い報いで返したのです。

 そうして、彼女は自殺で命を絶ってしまった。間接的にしろ、僕は彼女の自殺の背中を押したのです。

 友人ふたりも失って、それから事故で両親をも亡くして、僕はいよいよ孤独になった。

 ただ僕は自分の殻に籠もるばかり。

 こんな僕だからこそ、独りが相応しいのかもしれません。

 あいつが何喰わない顔で僕の目の前に現れても、僕の日常には、偽りの仮面が添えられるだけで何もありませんでした。

 ただ、いくつか、小さな変化はあったと思います。

 変わらないつもりで変わるのだと知りました。

 少しずつなら変わるのも、苦痛ではありませんでした。

 だからなのでしょう。

 僕の中に変わらずに残っているものに、ようやく気づけたのです。

 あの少年を見たとき。

 小さな女の子を助けたいと訴える子どもの姿を目にしたとき。

 僕の胸で燻り続けていたものに火が灯りました。そうありたいと。憧れに生きていきたいと思わせてくれるほどの、心地良い熱がありました。

 だから僕は、どうしようもない人間だと自覚しても、そこに追いつこうと思った。



 参道の、僕から左手側の白の同族が、二つに裂かれた。のだが、この表現はやや正しくない。燃える緑の実が残した赤い軌跡から一直線上に重なる一部が消失し、結果二つに分裂したのだ。

 まだだ……!

 振り上げていた右手を、下ろす。

 赤い軌跡は僕の動きに沿って描かれ、右手側の参道に赤い軌跡の壁が一瞬だけ造られた。宏太に覆い被さろうとしていた者たちから、その赤い壁に触れて消えていった。

 これはただの副産物だ。持続的な効果はない。

 だが、この一瞬で活路が完成する。

 彼女がこの機を逃すはずがない。


「止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ!」


 百合ちゃんがすでに僕の横を通り過ぎて、宏太の元へ急いでいた。

 彼女の言葉は拘束の権能だ。

 錯乱になりそうなのを必死に堪えながらの行使は、掛けられる側にすると堪ったものではない。むやみやたらに重複を繰り返されているため、抵抗力の弱ったものからぐちぐちと潰れていく。白の同族が自分の衣を赤く染めていく。

 僕も例外に漏れず、全身が万力に締め付けられているみたいで、頭が物理的に砕けそうに痛い。内臓が潰れて喉まで溢れた体液を吐く余裕すらなかった。

 緑の実を持つ手も腕もぐちゃぐちゃに潰れてしまった。

 上からの重圧も酷いから、油断するとぺちゃんこのトマトみたいになるだろう。


「コータ。どうしてここまで来てしまったの。何度も遠ざけたのに」

「言っただろ。お前がそんなの望んでないからだ」

「でも、こんなことしても、私はまた……!」


 どちらも大切に想い合っているから譲れないのだ。

 なんだか見ていられない。どのみち猶予も残されていない。


「――――行くといい。答えは出なくても無駄にはならないはずだから」


 ごぽりと温かいものを口から漏らしてしまったが、言葉として発音できたはずだ。鉄臭い。嫌な味だ。

 二人が振り返った。ところが、僕のほうを見て、はっとする。

 僕がもはや人の姿を成していないのかもしれない。百合ちゃんが申し訳なさそうに何かを言いかけて、でも、口を閉じた。それでいい。

 僕は務めて笑みをつくる。


「朝一さん、なのか……?」


 宏太の躊躇った問いかけが僕にを悟らせる。

 だったら。なおのこと覚悟は極まる。


「百合ちゃんを、守るんだろ。行け」

「……朝一さんも。あなたも一緒に!」

「百合ちゃん。わかってるだろ。君の力が続くまでが唯一の時間なんだ」

「でも」

「行けよ! 僕がいつまでも僕でいられるはずもないだろ。宏太、とっとと連れて行け。お前は何のために来た! わかるだろ……なあ……」


 ごめん、と少年の叫びが聞こえた。

 僕を呼ぶ彼女の悲鳴が祝福だ。誰かに思われることがこんなにも嬉しいのだと、再認識する。なんて非道。なんて残酷。なんて醜悪。

 気色悪い趣味だ。

 ただ、今はそんな愚行に酔いしれることを赦して欲しい。

 僕は八女津姫の権能を、一回転半身体をくるりと回って、割る。赤い軌跡が白の残党を刈り尽くす。ついでに首も半身の骨も砕かれたが些細なことだ。

 これから僕は人を捨てる。

 身体を、本来の持ち主ショゴスに返す。

 背中に子どもたちの気配と、彼女の声を感じる。

 なんて、恍惚に浸れる幸いの瞬間なのだろう。

 今から僕は彼らと同じ舞台にようやく立てるのだ。

 ぼくにしては。ぜいたくな最期じゃないか。

 八女津姫と崇め奉るご神体に繋がる拝殿を睨んで、は両の手を合わせて音を鳴らした。快晴の音。


「ここに境域は極まれり」


 境内には白の同族が次々と現れてくる。

 排除は一時しのぎだった。彼らはこれまでの積み重ねてきた供物と、人柱と祈りと、執念の数だけ奴らは溢れる。

 いいじゃないか。

 脇役ごときに手厚い歓迎だ。

 僕は合わせた両手をそっと離す。両の手の間に緑の実が燃えていた。宙に浮いて、月夜の闇が支配する霧の世界に赤い光で輝いている。

 白の同族が、おお、と感嘆と驚異の声を漏らす。今さらにこれがどういったものかわかったらしい。


「最初が呼応する最期の音にたった一度の神鳴りを成す。とくとご覧あれ。億と積み重ねてきた人の死骸の頂を、生き死ぬ刹那の人間ひとが飛び越えて見せる晴れ舞台を」


 僕は。

 宙に浮かんで赤く燃えるソレを。

 ――お前には必要ない。

 父親の言葉クサビを取り払う。このときを予見してかどうかなんて、この期に及んでどうでもいいじゃないか。

 ごと、僕は喰らった。


「お! おお! ごほっ!」


 ……今まで熱くなかった炎が、僕の喉を焼いていく。痛い。痛い。痛い。苦しい。熱い。痛い。吐きたい。捨てたい。やめたい。辞めたい。……怖いよお。

 砕けた首のせいで、なおさら下手くそで喉を通ってくれない。

 僕は口を必死に手で押さえて間違っても吐きだすまいと抗った。

 でも。ここで負けてしまってもいいかもしれないと、魔がさす。悪い癖だが性分だ。

 だって十分に働いたから。

 背中に子どもたちの気配はない。きっとこの神域から出て行ってくれたのだろう。彼女がいるのだから、それくらいはできて当然なのだ。

 だから、ここで負けても誰も責めない。よくやったと褒めてくれるかも知れない。

 ――――。

 ――――。

 不意にあいつが見てくれている気がして。

 僕は、口を力強く閉じたまま頭に手を添える。

 ごきん、と首を力尽くで強制した。

 現金な男の子でよかった。好きな人が見てくれているのなら頑張らない理由はない。

 僕は喉の爛れたごと緑の実を飲み込んだ。

 変革がはじまる。

 身体を作り替える。魂が飲み込まれる。

 全身のバラバラにさらに切り刻まれる痛覚は僕の自我を砕くに十分だった。

 ただ一瞬に過ぎないのが残酷で。悲運で繋ぎ止められた僕を歪に留める。


「ヒヒ、ヒヒヒヒ! ひゃははははははっ!!」


 を捨てる。

 黒き仔山羊に成り果てが、ここに。

 僕も星の輝きを成す。

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