五章 2/5 〈藤の香り〉
刑事の聞き取りのあと、動きたくなくなったから居間で寝転がってニュースで眺めながらぼんやりしていた。明後日の祭り当日の天気はどうやら雨になりそうだ。
打ち上げ花火は会場近くの
祭り会場にバンドを呼んでいることも鑑みると、二日三日の延長が妥当だろう。すべては天気と川の水位次第だが、梅雨も明けているのだから中止になるような影響はないはずだ。
あるとすれば、人体一部発見事件と、橋本大紀の行方不明事件のほうだ。
雨による延期が災いして、その間にもし行方不明が殺人事件に結びついてしまったとき、中止は免れないだろう。
僕はテレビの電源を落として、さっさと眠ることにする。
自分ではどうしようもないことをいつまで悩んでも疲れるだけだ。花火大会自体に思い入れがないからでもあるが、あのうさんくさい刑事の聞き取りがまだ頭の端にこびりついていて気持ち悪くて仕方ないのだ。こういうときは眠って気持ち悪さを緩和したかった。
有子からよく聞くに、田舎の古い民家は年間室温を低く感じるらしい。体感そうだというだけで、実際のところはわからない。確かに真夏冷房つけなくても三十度以上になったことがないのだから、涼しいほうだとも言えるかもしれない。いや、三十度は暑いが。
家の間取りが基本広く作られているのもあるだろう。温度の循環がゆったりなのだ。あとは、道路から遠いのもある。焼かれた鉄板から離れていれば当然熱は伝わりにくいというものだ。
僕の自室は広くないけど、戸を開けっぱなしにすれば蒸し暑さも遠のく。ベッドにごろんと寝転がり、お腹にタオルケットをかぶせたら身体は自然と眠れる準備に入る。夏は虫の喧しさ以外は過ごしやすい家だと自覚している。
冬は寒すぎて、冷蔵庫いらずかなと毎朝の気温で震えるしかないのも欠点だが。二度は寒い。
眠気が僕の意識を包み込んでいく。脳の中心よりやや後頭部に近いところから光のようなものが、前頭葉そして僕の両目を覆っていく感覚がする。
そして、夢を見た。
人生で何度あるかないかの自覚する夢だ。たぶん五度目かもしれない。
僕はひとりで立っていた。
背景がどこまでも暗く、であるのに霧が立ち籠めているのを視認できていた。 既視感がある。有子が神棚をいじっていたあのときも、同じだった。気がする。
だが、今回は夢だとわかっている。五感がついてきていないからだ。霧を肌に感じない。あの苔むした臭いもしない。神楽鈴の音もしていない。
夢とわかれば僕の望んだ世界を構築したいところなのだが、どうにもそうはいかないようだ。例えるなら引力のような、引き寄せられる力を一つの方角から感じ取っていた。引く力自体は弱くて踏ん張る必要もないのだが、この力が僕の想像を阻害している。
あれだけは僕の夢ではない気がしてならない。
何かある。
直感的に悟る。
暗闇と停滞する霧しか見えない向こう側を覗こうと目を凝らしたみた。すると、僕の視界の端を何かが通り過ぎた。
驚いて飛び退いてそちらを見やれば、僕のすぐ側に人の列があった。それは引き寄せる力の方角へ続いて、暗闇の向こうまで成している。生気のない顔の老若男女がただ一つを目指して歩いていた。
この列は突然現れた。
ここは夢だ。引き寄せられる力に意識を向けたことで、僕がイメージ化してしまったのだ。
しかし、想像の外のイメージ化は僕の想像と言えるのかと、無言で続く人の列に思う。この列への異物の感覚が拭えなくて気持ち悪い。
その列に僕は唯一知っている横顔を見つけて、堪らず叫んでいた。
「暁登!」
中学の頃の友人。親友であり、有子の彼氏だった。
彼は、中学生の姿のままで参列していた。表情はない。生気もない。顔は色白で、目はどこを見ているかも定かではない様子だ。それでも。僕はそこに暁登がいるだけで、追いかけるべきだと決断した。
追いつける。この列は歩いてるだけだ。こちらが走るなら、暁登の肩に触れるのは難しくなかった。ところがだ。
「だめ!」
張り詰めた少女の声が僕の身体をしばりつけた。
途端、正気が冷水ように僕の感情を冷ます。人の列は暁登の後ろ姿も残さず、暗闇に溶け込んでいった。情けない声が僕の口から一音だけ漏れる。未練は無様な右手の先で、届かないのだと知った。
しばりつけはすでに溶けている。哀しくて動けないでいた。
しゃん、と神楽鈴の音が、反射的に身体をこわばらせた。何もない暗闇で突然に藤の花が現れた。梁から紫の綺麗な花を垂らしている。
また神楽鈴が鳴る。
暗闇は依然としたままだが、参道と砂利が現れた。見覚えがあった。僕は、ここを知っている。
また神楽鈴が鳴る。
社が現れた。榊木町の素盞嗚神社だ。素戔嗚尊を奉っている。見事な藤棚の境内が、僕の夢で形成される。藤の花の香りもしてきそうなほど、見事なくらい藤の花が僕の頭上いっぱいに咲き誇っている。
また神楽鈴が鳴る。
白い布を顔にさげた、巫女がひとり立っていた。いつかの早朝、白い参列で化け物の顔を見せつけた集団の恰好をしている。
しかし、その人は、僕の前に立っているだけで動かない。待っているかのように見えた。
だから、僕は。
「君は誰だ」
夢は覚める。
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