チョウエンソウ

與世夜

第1話 雨と青年

五月晴れって言葉はどこ行った?

そんなことを考えながら青年は降りしきる雨を眺めていた。

例年よりもやや早い、いや早すぎる梅雨入りを気象庁が発表してから五日ほどたつが見事に雨が降り続いている。

その律儀さに青年はため息を漏らさずにはいられなかった。

「弱みでも握られてるんじゃないのか?」

独り言は雨音に紛れたので遠くまで届くことはなかったが、近くにいた息子の小さな耳には届いていた。

「よわみってなーに?」

「他人を自由に動かすリモコンだよ」

「じゆうってなーに?」

「奪われるものだよ」

「?」

青年は丁寧に少年の問いに回答していく。

ただ、あまりにも偏った人生観による回答なので、少年はさらに混乱しているようだ。

「要するに弱みを使うと何でも願いがかなうって事だ」

「なんでも?」

「まぁだいたい」

「パパにつかったら、おもちゃかってくれる?」

「残念、パパのはもうママに取り上げられてね(だから雨が降っている中、休みを潰して外に出る羽目になったんだ)」

「ママにとられたんだ…じゃあしょうがないね」

「そうだな、しょうがない」

青年パパは哀愁を漂わせた肩をすくめた。

幼い少年も小さな肩をすくめた。

「それより、見つかったのか?」

悲しい現実から逃げるように、青年は我が子に尋ねながら辺りを見回す。

「まだー」

少年も父をマネて周囲を見渡す。

周りには奇妙な形をした物体が一定の間隔で配置されていた。

その謎の物体たちを守るように設置された屋根の下で親子は話しているのだった。

「じじいめ、どれだけ知名度低いんだ」

「じじいじゃないよ、おじじだよ」

「どっちでもいいだろ」

「じゃあ、おじじね」

「…そういう強引な所、ママにそっくりだ」

「ママとおんなじ?いぇい!」

無邪気に喜ぶ我が子を前に、皮肉が通じないとはまだまだ子供だなと笑みが浮かぶが、

すぐに子供相手に皮肉を言う自分に嫌気がさした。

そんな自分から目をそらすように、青年は目的のものを探し始める。

「さーおじじ様のはどこかなー」

「おじじのどこかなー」

少年もすかさず続く。

「あれかなー」

「あれかなー」

青年が目に付いたオブジェを適当に指さすと、少年はそこに向かって走り始めた。

その小さな背中を見ながら青年は、昨夜の事を思い出していた。



翔太が一枚の紙切れを突きつけてきたのは、夕食の後だった。

「おじじからのてがみー」

「手紙?」

青年パパこと、佐藤正一は露骨に眉を潜めて問いかえす。

「亡霊でも出たのか?まだこの世に未練があったとは業が深いじじいだ」

「ちょっと!自分のお爺さんをじじい呼ばわりしちゃダメでしょ!」

「ダメでしょ!」

台所がある背後から大きなおしかりの声が飛んで目の前にいる小さな山からやまびこが返ってきた。

「くそじじいから妥協したのに…で、本当に亡霊でもでたのか?」

「これにあったの」

翔太が2つに割れた奇妙な物体を差し出してきた。

ねじくれた形をしているが卵を割ったあとの殻のようにも見える。

「これの中から出てきたのか?」

「うん、よんでー」

「はいはい、えー『翔太へ、お元気?おじじは元気です』ってあんた死んでるじゃないか…」

「つづきー」

「へいへい、『おじじは元気です。実は翔太にお願いがある。同封した地図にある場所に行ってチョウエンソウのスイッチを押してほしい。』ちょうえんそう?何のことだかさっぱりだ」

「つづき!」

「わかったわかった。ん?『翔太1人では心配なので、おじじの子分4号を連れて行ってください。お母さんに言えば借りれます』……くそじじい!!!誰が子分4号だ!!」

思わず身体が反応して、手紙をたたきつける。

「ぼくのー!」

抗議の声でハッと我にかえる青年の脳裏を荒れ狂う忌まわしき記憶、それは手紙の主に子分の十戒なるものに名前を書かされ、小さな手形をとられた時から始まる。

青年の祖父こと正二郎は、その子分の十戒を盾にエキセントリックな日々を孫である青年改め正一を引き連れ駆け抜けた。

最後に子分の十戒は正二郎から結婚祝いとして、妻のあゆみにうやうやしく進呈されて的確に使われている。

ちなみに、妻への譲渡を阻止するべく飛び出した正一を羽交い締めにした父こと裏切りの3号とは未だ交戦中であり、

「貴様もこちらへこい」

そんなセリフと共に父が浮かべた冷笑は、思い出すたび正一の頭を熱くしてくれるのだった。

「子供の前で子供みたいに騒がないでよね。おと~さん?」

怒りの走馬燈が正一の頭を駆けめぐっていると、ふいに近くで声がした。

いつの間に洗い物を済ませたのか、拾い上げた手紙をしげしげと眺めているあゆみの姿があった。

「『スイッチを押すべきタイミングは地図の場所にいればわかる。』だって。行ってきなさいよ」

「いく!」

「断る!!」

どちらが誰の返事なのかは言うまでもない。

「パパ…行かないの?」

「いかない!」

当然、正一は首を横にふった。

「ママ…パパいかないの?」

「いくわよ」

当然、あゆみは首を縦にふった。

「ちょっと待て!」

「なによ?」

「なぜお前が答える」

「だってここに私に言えばいいって書いてあるじゃない」

「断じて認めない!」

「要は保護者をつけたいんでしょ?正ちゃん行ってあげなさいよ」

「保護者ならどっちでもいいじゃないか!」

「じゃあ正ちゃんね、やったね翔太パパ行くって。いぇい」

「いぇい!」



「やったー!」

正一が遠くを見つめていた視線を現実に戻すと、適当に指さしたオブジェが当たりだったらしく、ぴょこぴょこ跳ねる我が子の姿が目に入ってきた。

その姿に軽いデジャヴを覚えながら、当たりのオブジェへと歩を進める。が、近づくにつれてその足取りは重くなっていく。

それは手だった。手の群と表現した方が正しい。

まず中央に大人が見上げるほどの巨大な掌が羽を広げた蝶のように陣取っており、その周囲を形は小さいがやはり蝶の羽のような掌がちりばめられていた。

こういった物にうとい正一は、ブロンズで作られるものだと思っていたが、この掌の塊には硬質な印象が感じられず、むしろ生物的な生々しさが感じられる。端的に言うと気味が悪い。

「さすがじじいが作っただけのことはある。」

変な感心の仕方だったが正一は納得したように、うんうんと頷いた。

「みてみて、ほらおじじ!」

翔太に言われて作品の説明文をのぞき込んだ正一は、そこに、『チョウエンソウ 作:佐藤正二郎』という文字を見つけた。

「手紙にあったのはこれだな。で、どこだスイッチとやらは、さっさと押して帰ろう」

「たいみんぐでおさないといけないんだよ」

「今がそのタイミングなんだ。子供には分からないかもしれないけど大人なパパにはわかる。今がそのときだ」

「えー」

疑わしそうに突き刺さる視線を無視して、正一はチョウエンソウの周りを、ぐるぐる回る。しかしスイッチらしきものはいっさい見あたらなかった。

5周ほどしたところで、正一の怒りのスイッチの方が入った。

「スイッチなんてないじゃないか、クソジジイ!」

「パパってこどもより、おこりんぼだよね」

我が子にあきれられたことにも気づかず、正一がオブジェの中を探そうとして、怒りにまかせて掌によじ登ったところで駅員が走ってきた。



駅員への言い訳で疲れ切った体をベンチに預けた青年は深いため息をつきながらブツブツと不満を吐き出していた。

「俺はファンじゃないと言ったのに、なぜ信じてくれない…」

「きにするところがちがうとおもうよ」

「そんな悲しそうな目をするな、俺も泣きたい」

どちらからともなく『もう帰ろうか』と呟こうとしたとき親子を引きとめる声がした。

またたびを好みそうな声の主は、応えるようにもう一度鳴いた。

すぐに反応したのは翔太で、にゃーにゃーと挨拶しながら近づいていく、しかしもう少しで手が届く距離になったとき、真っ黒な毛玉は逃げ出してしまった。

翔太が残念そうに戻ってきた所で、猫の逃げ去った方向を見ていた正一が、

呟いた。

「お茶でも飲んでから帰るとするか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チョウエンソウ 與世夜 @yonahayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ