#07
……なんかあったのかな。
私とご主人さまは、日を改めて、アーガスさんのお店にやってきたものの。
「さっきからどったのヴィオラちゃん」
「その……なんというか、今日は空気が……」
先日と違い、商業区の空気にぴりついたものが感じられるようになっていて。明るく賑やかな雰囲気だからこそ目立つ違和感と異物感に、私はまたしても身をよじる。
寄った寄ったと張られる声に、苛立ちや緊張といった成分が含まれていた。
人波の中を探るように飛び交う視線も、まとわりつく蜘蛛の糸みたいで心地悪く。
「あー……まぁ、昨夜ちょいと厄介事があったみたいだから。仕方ないよ」
うんざりした顔でため息を吐くご主人さま。次いで、気まずそうに頭を掻くアーガスさん。二人はどうやらその厄介事とやらについて知っているらしい。
「……昨夜、一体、何が……?」
すると、ご主人さまとアーガスさんは顔を見合わせて。
「そこまで隠すことでもないか……」
「まぁ、そのうち嫌でも耳にしちまうだろうしな」
二人揃って観念したような前置きの後。
ご主人さまがちょっと困った顔で。ぽつりとした口調で。
「いわくつきの物取りが出たんだってさ。で、そいつは現在進行形で絶賛逃走中」
ああ……。即座に理解した。理解できた。どうして二人が言いづらそうにしていたのかも。
「なるほど、それで……」
「……そゆこと。でも、気にしなくていいからね」
「ああ、嬢ちゃんが気にすることじゃねえ」
「お、お気遣いありがとうございます……私は大丈夫です……」
そう言いはしたものの、ただそれだけでこの話を閉じることはできそうにない。
物取りが出ること自体はさして珍しいことじゃない。どこででも起こり得る事件だと思う。だから、問題なのは『いわくつき』という部分のほうだ。
「あの……その物取りさんは本当に……、……そうだった人、なのでしょうか……」
「さー?」
……真面目に聞いたのに。てんてんてん……と無言でご主人さまを見つめる。
「いやいやいや、別にふざけたわけじゃないってば」
「このタイミングでする言い方じゃねえだろバカ……」
違う違う違うと手を振るご主人さまだったが、心底呆れた様子で額を押さえる隣のアーガスさんを見て。
数瞬の末、帽子をいじりながら、言い方が悪かったねと仕切り直す。
「えーと、僕が言いたかったのはね……みんなにしてみれば結局どっちでもいいんだよってこと。物取りがいわくつきでも、そうじゃなくても」
「…………」
困ったことに。悲しいことに。どうしてと聞くよりも先に、人を人たらしめる、汚く黒い裏側が想像できてしまった。そして、理解も納得もできてしまった。
絶句にも近い私の沈黙が、場に気まずさを呼ぶ。
そしてそれは、雨に濡れた服のように貼り付き重さを増していく一方で。
「……――きゃああっ!」
「も、物取りだ! 昨日の物取りが出たぞ! 誰か捕まえてくれ!」
外から突然、この場とは対照的な、慌ただしさと騒がしさが。
「このっ……くそ、こいつっ!」
「路地裏のほうに逃げたぞ! こっちだ! 逃がすな!」
悲鳴と怒声の波が、止まっていた私たちの時間を力任せに動かす。
だが、それぞれの思考が、何かを紡ぎ出すよりも前に。誰かが、何か言葉をと、声帯を震わせるよりも先に。
そんな、直後にも同時にも感じる空白の隙間に。停止と再開を結ぶ余白の最中に。
「よし、後はここらでやり過ごして……ん?」
ばたばたっと――物取りらしき女の子が勢いよく転がり込んできていた。
「………………やっべ、空き家じゃなかった」
私の意思だけじゃ――この話を閉じることはできそうにない。
人知れず抱いていた先程の予感は、どうやら、見事に的中してしまったようだ。
****
「……行ってくれたみたいです」
「ふー……もしバレてたら全員揃って牢獄行きだったねえ」
「それで済みゃいいけどな……ったく、なんて危ねぇ橋を……」
去った一難にほっと胸元を押さえる私。その隣で一仕事終えた後のように息つくご主人さま。眉間にしわを寄せているのは巻き込まれただけのアーガスさん。ごめんなさい、巻き込んで……。
そんな私たちを警戒するようにじっと見ている……物取りの女の子。
私もあまり人のことは言えないけど……。
ばさついた黒い髪と、幼い顔つきに似つかわしくない敵意剥き出しの赤い瞳。擦り切れ破れたボロボロの服に、傷や痣のついた手足。
彼女の身なりを見るに、尾ひれがついた結果のいわくつき扱い……というわけじゃなさそうだ。
「さてさて……」
ご主人さまがちらり瞳を向けると、女の子はより目つきを鋭くさせて。自分の肩を抱き、歯を食いしばって。
「……なんだよ。匿ってやったんだから出すもん出せってか」
「いや違うけど……」
「嘘つけ。お前みたいなやつがあたしみたいなやつに見返り求めないわけない」
「あのね、僕たちは別に」
「そういうのいいから。あ、それとも口でしろってこと? そっち派?」
「……お願い、人の話聞いて?」
「どの口が言うんだよ。お前らだってあたしらの話聞かないだろ。それどころか聞こうとすらしないだろ」
「…………ごもっともで。……いやはや、前途多難だなぁ」
棘と毒にまみれた彼女の言葉たちに私は確信を持つ。完全にこちら側だ……と。
飴と鞭。後に突き落とすための甘言と方便。一割の真実と九割の嘘。それらを嫌でも何度でも食わされ呑まされてきた者だからこそ、揶揄はするし卑下だってする。
「お前が相手じゃ取り付く島もなさそうだな、こりゃ」
やれやれとでも言いたげにこぼしたのは、一連の流れを見ていたアーガスさん。しかし彼はご主人さまの返答を待たずにそのままふいと目配せする。
意味深な瞳のスライド。外れては戻る刹那の中にいたのは――私だった。
「確かに僕よりは話が進むかもだけど……うーん……」
「なんだ、なんかまずいのか?」
「んー、単にうちの姫が悪い影響受けちゃわないかしらと」
「何言ってんだお前……」
「ほら、悪いお友達と付き合うのはやめなさい的な僕なりの親心ってゆーか」
「いや、それをお前が言うのは――」
よくわからないやりとりを始めた二人を、遠巻くように眺めながら。
彼女に聞きたい『どうして』はたくさん浮かんでくるけど、その中で私が一番聞きたい『どうして』は『どれ』なのか。ただでさえ回転の遅い頭を必死に稼働して、思考の泥沼をまさぐり手探り。
「ふーん……」
――と、そこに割り込んできたのは彼女の声。
おたおた視線を元の高さに戻せば、閉じるぎりぎりまで狭められた瞳がすぐ近くにあったせいで、思わず肩が跳ねた。わ……いつのまに……。
そうして、体感、わずかよりもちょっと長いくらいの間が過ぎたあたりで。
吟味するように私を見つめていた彼女が、大きく一歩分の距離を後ずさった。瞳に宿した敵意の炎や表情の硬度を少しだけ和らげつつ。
「あたしと同類なんだな、お前は」
「……私も、あなたと同じようなことを思っていました」
「あー、やっぱりか。不思議とわかるもんな、そうだったって」
隷属共鳴……とでも呼べばいいのかな。そういった経験や経緯がある者は、外側の世界じゃ独特の雰囲気というかニオイ的なものを発しているらしい。
だから、相手もわかった。気づいた。たとえ自分と全然タイプが違くとも。
「お前、名前は?」
聞かれ、びくりとしてしまった。まさか私が、ご主人さま以外の人に、しかも同じ年くらいの子に名前を聞かれるとは思ってなかったから。
ただ……なんでかな。あまりよくない予感がする。
けど、そんな黒いさざ波は、私の気のせいだと振り払って――。
「ヴィオラです」
「ヴィオラ……あれ?」
――振り払ったつもりだった。
しかし、寄せては返すのが波。なら、引いては返すも波。
ネガとポジ。プラスとマイナス。光と影。陰と陽。
どうしたって避けられない表裏一体を突きつけるように、彼女が発した次句は。
「お前さ……あたしとどっかで会ったこと、ある……?」
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