#04


「……で、だ。わざわざこんな寂れた店にくるほどの用件ってのぁ?」

 どかっと荒々しく椅子に腰掛けるなり、アーガスさんが向かい合ったご主人さまに問う。言葉に棘しかないような気がするけど、実は根に持つタイプなのかな……?

 意外だ……なんて失礼ながらも頭の中でごにょごにょ考えていたら。

「洋服屋に来る用なんて一つしかないでしょうに」

「……相変わらずいちいち鼻に付く言い方する野郎だな」

「ほら、そうやってすぐ細かいこと気にするからハゲるんだよ、アーガスは」

「だからこれはハゲてんじゃねぇよ! 何回突っ込ませる気だお前は!」

 その横では、先程と似たようなやりとりが交わされていて。

 おそらくこれが二人の会話における平常運転なのだろう。傍から見ていると、なんとなくそんな空気感が伝わってきた。

 遠慮せず言いたいことが言い合える。我慢せず自分らしく振る舞える。きっとそれはとても素敵なことで、私のよく知る一方通行しかなかった世界とは正反対で。

 ――新鮮。

 そんな単語が頭の端っこに浮かんだ刹那、自分の口元がほんのわずか、動いたような気がした。しかし、心の芯まで染み付いてしまった暗く黒い経験が、いけないと頭の中で警報を鳴らしてきて。

 だから、慌てて口元を引き締めた。

「ふむ……」

 ご主人さまに向けていた瞳を隣の私へ移したかと思うと、顎に手を添えながら意味深に頷いたアーガスさん。

 そのままじーっと凝視され、思わずたじろぐ。

「あ、あの……?」

「アーガス、ヴィオラちゃんがいくら可愛くてもさすがに年の差は考えよう」

「違ぇよバカ……」

 ふざけた声音に盛大なため息を返した後、アーガスさんはやれやれとばかりに何度か首を回しつつ。それでいて、少しだけ恥ずかしそうにもしつつ。

「……で、なんだ。今回は嬢ちゃん用の服を作ってやりゃいいのか?」

 強面の店主さんは、事実上の承諾を口にしてくれた。私、これといって何もしてないのに、いいのかな。……作ってもらっても、いいのかな。

 だが、ご主人さまはこうなることを見越していたらしく、にやついた顔でぱちぱちと芝居めいた拍手を打っている。

「いやぁ、やっぱり持つべきものは心からの友だね、うんうん」

「心にもねぇこと言うんじゃねぇ。反吐が出る」

 結果、無言で戸惑う私だけが蚊帳の外。まさしく置いてけぼりだった。

 ただ、そんな状況下でも、お礼は言わなきゃと喉の奥からなんとか声を絞り出す。

「あ、ありがとうございます……っ」

「……礼なんぞ別にいい。それが俺の仕事だからな」

「その仕事はやたら選ぶくせにね。そのせいでいつも閑古鳥が鳴いてるのにね」

「いちいちうるっせぇなぁ……」

 床を蹴り飛ばすようにして椅子から立ち上がると、アーガスさんはカウンターのさらに奥、その先の扉をくいと親指で指差した。

「んじゃ、色々準備してくっから、ちっと待っててくれ」

「へいほーい」

「……お前に言ったんじゃなくて、嬢ちゃんに言ったんだが」

「あ、は、はいっ。大人しく待ってます……」

「んな姿勢よく待ってろだなんて誰も言ってねぇよ。もっと気楽にしてろ」

 ぴしっと居住まいを正しながら答えると、ふんと鼻で笑った後、アーガスさんは扉の向こう側へ消えていった。

 誰かを待つ時は、何があっても直立不動。相手にしか発言権や行動権はなく、こちらに許されているのは、相手の一挙手一投足に全神経を研ぎ澄ますことのみ。

 そんな礼儀だけを身体と心にひたすら刻み込まれてきたから、私を取り巻く今の世界は、どうにも慣れないことばかりだ。

 なんて調子で、心の着地点を見つけられずにいると。

「あいつはね、やる価値もないと判断した仕事は絶対に引き受けないんだよ。たとえどんなに大金を積まれても……ね」

 不意に、どこか愚痴めいた呟きが耳に届いた。

 思わず顔を向けると、ご主人さまがくすりと微笑む。

「……そういう意味じゃ、あいつも好き勝手に生きてる人間なんだけど。でも、君が知ってる好き勝手とは全然違うでしょ?」

 見透かしたような微笑に、私はこくりと首を縦に振ってしまう。

 時には飼い殺すための甘い毒を含んだ飴を与えられ、時には理不尽な理由でひたすら苦痛だけを与えられ。

 好き勝手に生きるとは、つまり、そういうことなのだと。この無機質な機械都市においては、縛られるもののない自由など、所詮は暴虐と嗜虐の象徴でしかないと。

 虐げられる側の人間なら、みんな揃って似たようなことを思っていた。

 だから。

「……こんな好き勝手があるなんて、知らなかったです」

「ま、仕方ないさ。誰だって自分が見聞きしたことしか知らないわけだし」

 ごもっともで……。

 イメージの限界と、実際に見聞きしたリアル。その差に目を奪われてしまった入り口での一幕を思い出しつつ。

 と、そこで独白と入れ替わるように、奥の扉が開く。

「すまねぇ、待たせた」

 戻ってきたアーガスさんは、様々な道具らしきものをカウンターの上に放り散らかしていく。

 釣られ見ていけば、色も大きさもそれぞれ違うペンや、何も書かれていない真っ白な紙。傍らにどさりと積まれた本の背表紙には、カタログやらデザインやらといった文字列。

「……これってマジも大マジな時にしかやらないやつじゃん」

「なぁに、ただのサービスよ」

「僕が頼んだ時は一度もこんなサービス受けられなかったんですがそれは」

「てめぇが言ったとおり仕事は選ぶ主義だからな」

「……ぐう」

 してやったりと言いたげに歯を見せ笑ったアーガスさん。歯がみするご主人さまもご主人さまで、まさか自分が言いくるめられるとは思ってもいなかったのだろう。

 意外だ……なんて失礼ながらも言葉にはせず口元をむずつかせていたら。

「……えっと、やっぱり顔に何かついてますか?」

 二人は、何故かじっと私を見つめていて。

「ああ、いや……」

「うん。ついてるよ」

 そうして、アーガスさんの言葉を継ぐように。あるいは、鳴り響く警報を言葉で遮るように、ご主人さまは。

「ただ……それは、絶対に取っちゃダメなものなんだ」

「絶対に、取っちゃダメなもの……」

 ――込み上げてくる悲しさを必死で抑えているような声で。

「そのことを、ずっと覚えていてほしい。もう二度と忘れないでほしい。今、ヴィオラちゃんの口にある違和感の作り方は、とても大切なことだから」

「とても、大切な、こと……」

 反芻しながら、私はそっと胸に手を押し当てた。

 暗くて黒い海の底。積もりに積もった汚泥の下。そこには、生きていくために何よりも邪魔で、一番必要のなかった『私』が今も朽ち果てている。

 きっと、その『私』なら。

 自己表現すらおぼつかない、今の私じゃなかったなら。

 だけど、そんな仮定をしたところで、所詮はないものねだりだ。一度でも手放してしまったものは、いずれ取り戻すことができたとしても、以前と同じ状態で戻ってくることはない。

 傷のついた中古は、傷のついていない新品には戻らない。

 二度と、戻ってはくれない。

 ただ、それでも。

 それを、わかってはいても。

「……はい」

 今の私でいることをダメだと言ってくれた、この人ならと。

 正反対の世界へと私を引き上げてくれた、ご主人さまならと。

 噛み締めるように、拙い復唱をして。

 頭の中で響く『いけない』を、今度は、はっきりと無視して。

 私は、再び。

「ずっと覚えておきます。もう二度と忘れません」

 口のあたりに、とても大切な違和感を作りながら。

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