#03


 からんころんと鳴り響くドアベルの音を背にお店を出ると、先程よりも陽の高度は落ちていた。どうやら思っていたより長い時間滞在してしまっていたらしい。

 そして、空の色が青からオレンジへと変化したことで、つい先程知ったばかりの風景にも差分が発生していた。

 往来する人々の大半が、ぎっしりと中身の詰まった袋を手にしていたり。

 いつのまにか閉められているお店があったり、後片付けを始めたお店があったり。

 交代するように、鎧戸を開いて準備を始めたお店が増えてきていたり。

 となれば、ここで散策はおしまいにして洋服屋に向かうべきなのだろう。……もうちょっと、あともうちょっとだけという気持ちがないわけじゃないけど、仕方ない。

「今度はもうちょっと早い時間に来ようか」

 物言いたげな表情を浮かべてしまっていたのか、私の本音を察したかのようにご主人さまが隣でくすくすと笑った。

「う……す、すみません……」

「いやいや、責めてるわけじゃないから。半分は冗談だよ」

「は、半分……」

「まぁ、そんなタチの悪い僕の冗談は置いといてさ。そろそろ行っとこっか」

 単にからかっているだけなんだか、遠回しの苦言なんだか。妙な心の靄を抱えたまま私ははいと返事をして、ご主人さまの横をついていく形をとる。

 目的地である洋服屋は、数多くの屋台が並ぶエリアから少し進んだところにあったはずだ。もっと正確にいうなら、メインストリートと脇道の境界という表現になるのだろうか。

 そうして、行き交う人々と一体化するように来た道を戻ることしばし。立派な装飾の施された白塗りの外装と、ガラス張りの飾り棚が目を惹くお店が再び見えてくる。

 なんだか高そうなお店だけど本当にいいのかな……と思いつつも、お店の入り口に着いたので足を止めた――。

「違う違う、そこじゃないよん」

 ――直後、歩調の変化に気づいたご主人様がすぐに呼びかけてきて。

「あ、あれ……? でも、洋服屋さんってここ以外には……」

「うん、ぱっと見はね」

 含ませたような言い回しと得意げな表情から察するに、洋服屋は違うところにもあるみたい。……でも、それっぽいお店なんて他にあったかな。

「まぁ、とりあえずついてきてよ。特別に隠れた名店へとご招待するからさ」

「は、はぁ……わかりました……」

 答えを明かすまで毎回ワンテンポ置くあたり、ご主人さまもご主人さまで相変わらずな気が……。

 とはいえ、そういった野暮なことすら声にできないのが今の私で。だから、とりあえずは、言われたとおりに黙ってついていく。

 やがて、目的地だと勘違いしていた場所が背景として少し遠くなってきた頃。王族区側の入り口とたくさんの屋台があったエリアの、中間くらいの位置だと思う。

 そこへと戻ってきた時、ご主人さまが分岐した細道の一つを親指でくいと指差す。

「この先に……?」

「そそ、一応あるの。見た目はちょーっとボロっちく感じるかもしれないけどね」

「ボロっちく……」

「うん、ボロっちいの。でも、隠れた名店には変わりないから安心して」

「ボロっちいのに……?」

「……まぁ、ここじゃ見た目どおり中身まで酷いもののほうが多いからなぁ」

 なんて具合にオウム返しのような会話をしつつ、頭に何度も疑問符を浮かべたりしつつ、私とご主人さまは本通りから派生した道を進んでいく。

 ぎりぎり一方通行にならない程度の狭い通路は、夜にもなればきっと、カンテラなしじゃ壁と道の境界すらもわからなくなるほどに暗さの度合いが強い。

「ほ、本当に、こんなところに……?」

「そう、実はこんなところにあったりしちゃうの。……あ、ほら、見えてきたよ」

 だから、つい、暗くて濃い色の浮かんだ瞳を隣へ向けてしまったけど。

 いつもどおりの明るい声をご主人さまが返してくれたおかげで、示された方向へすぐに意識を戻すことができた。

 ――でも、次の瞬間。

「えっ……」

 さっきとは違った意味で、私はまたしても瞳を揺らしてしまうはめになった。

 ガラス張りの飾り棚なんてどこにもなく、あるのは、塗装の剥がれかけている白塗りの建物だけ。入り口らしきドアの窓からちらりと覗ける店内は薄暗く、人気もない道沿いという状況が得体の知れない不気味さを余計に加速させていく。

 メインストリートにあった洋服屋とは正反対で、確かに、ご主人さまが言ったとおりの印象を受けた。というよりもむしろ、言ったとおりの印象しか受けなかった。ましてや洋服を取り扱っているようなお店には全然見えない。

「ほ、本当に、こんなところが……?」

「全然見えないと思うけど、ここ、マジで洋服屋なのよ。一応はね」

 ……一応なんだ。

 懐疑的な心境に陥る私をよそに、ご主人さまは特にためらう様子もなくドアに手をかけた。

 ぎぎぎぃと古びた音が鳴り、からからと乾いたベルの音が続く。すると、店の奥から椅子を動かしたような音が加わって。

「……んだよ、ブラムスかぁ?」

 最後に、血の気の多そうな野太い声が静まり返った空間に響いた。

「こんな寂れた店に来るのなんて僕くらいでしょ?」

「あぁ? 喧嘩売ってんのかてめぇ!」

「ひっ」

「……ん?」

 威圧めいた怒号に思わず肩が跳ね、悲鳴まで上げてしまった。

 しかし、それが結果的には功を奏したようで。

「おい、誰だその嬢ちゃん」

「ヴィオラちゃんってゆー新しい僕の家族でーす」

「……深くは聞かねぇことにしとくわ」

 私の存在に気づいた後は、粗いながらもどこか優しげな声色へと変わり。

 おかげで私も、ご主人さまの背中越しにではあったが、ようやくその人物の姿を視認することができた。

 もう怒ってはいないんだろうけど、今も睨んでいるように見える顔つき。がっちりとした体格に似合う剃髪や、一切の飾り気がない服装。

 薄っぺらくお調子者な感じのするご主人さまとは正反対の、やたらと気難しくて頑固な感じがする人だった。……あとやっぱりまだちょっと怖い。

「こ、こんにちは……」

「……おう。その……なんだ、驚かせちまったみたいでわりぃ。俺ぁてっきりこいつ一人かと思ってたもんで……」

「怯えさせての間違いじゃなくて?」

「……うるせぇ」

 一瞬かっと目を見開いたもののすぐに抑えてくれたみたいで、ばつが悪そうにがしがしと頭を掻く……えっと。

 どう呼んだらいいのかわからず、隣のご主人さまへ瞳で答えを求めると。

「あぁ、そういえば紹介がまだだったね。彼はアーカスっていうんだけどさ……服屋やってるようには思えない顔してるでしょ? でも、一応はここの店主なの。こんな顔してるけど、服屋なの」

「一言も二言も余計なんだよ……ったく、人をなんだと思ってやがる……」

 生き生きと語ったご主人さまに横目で舌打ちしつつ、アーガスさんは改めて、今度はきちんと私の顔に真正面から軸を合わせてきて。

「……まぁ、っつーわけだ。よろしくな、嬢ちゃん」

 ぶっきらぼうなのと見た目が怖いだけで、実はいい人……? 少なくとも今のところ、それ以外の印象はない。

 だから、私も、同じように。ちゃんと目を合わせてから、ぺこりとお辞儀をし。

 今の自分にできる精一杯で、彼の挨拶に応えるのだった。

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