#02


 商業区。

 その名のとおり、ありとあらゆる種類のお店や屋台で埋め尽くされている区。昼は買い物のために訪れたたくさんの人々が絶えず往来し、夜は酒場といった一部のお店が賑わいを引き継ぎ、国内で唯一眠ることのない場所だとされる。

 小さなお店なら居住区や工業区にもいくつか存在しているらしいが、たぶん、商業区のそれとは比べ物にならないのだろう。種類に品揃え、質や規模といった、何もかもが。

 そんな私の予測や想像は、商業区という風景を実際目にしてみても、頭の中に描いていた図と大してかけ離れていなかった。

 しかし――。

「わ、わわ……」

 結局のところ、予測や想像なんてものは、私の自己満足と自己完結でしかないのだと即座に思い知らされた。

 ずらりと並ぶお店や屋台の数々と、その一つ一つに作られた順番待ちの列。区と区を横断するように伸びた大通りを、右往左往し忙しなく行き交う人の波。

 人垣の奥からは、もてなす声や客引きの声。同時に聞こえてきたのは、ぱちぱちぱっと脂の弾ける音や、じゅーじゅーと肉の焼ける音。

 更に追い打ちをかけるのは、ふと漂ってくる色々なにおい。それは何も香ばしいにおいだけに留まらず、砂糖やクリームの甘く柔らかなにおいなんかも交じっていて。

「ほ、ほあぁ……」

 全部、話やイメージだけじゃ、絶対わからないもの。

 実際に、じゃないと、伝わってこないもの。

 次から次になだれ込んでくる膨大な情報量や、気圧されるほどの熱気と生気。私は区の入り口に立ったまま、右へ左へ目移りしっぱなし。

そんな感極まっている様子を見たご主人さまは、くしゃりと破顔する。

「じゃ、どこから行こうか?」

「え……洋服屋さんに行くんじゃないんですか……?」

「ほら、ヴィオラちゃんがあっちもこっちも全部行きたいーって顔してたからさ」

「……そ、そんな顔は……」

「いいからいいから。遠慮しないの」

 そう言われましても……。

 どんな状況においても『はい』と『いいえ』のうち、『はい』しか許されなかった私は、簡単な取捨選択ですら中々言葉にできない。それどころか、今の状況は、こちらのリソースに対して選択肢があまりにも多すぎる。

「えっと……えっと……」

「……とりあえず適当に中をぶらぶらしてみよっか?」

「あ……は、はいっ」

 そして、皮肉なことに。

 選択肢を提示された途端、私は『はい』とあっさり頷いてしまうのだった。


 扇状の石畳が敷かれた路道は、王族区の反対側、工業区との境目まで一直線に続いている。そんなメインストリートから枝分かれするいくつもの細い道にも、土地を余すことなくたくさんの店が立ち並んでいた。

 ただ、本通りと比べて、サブストリートはちょっぴり風変わりなお店が目立つ。

 たとえば、アンティーク家具を取り扱っていたり、動かなくなってしまった機械を販売していたり。中には、一体何に使うんだこんなモノ……とつい言いたくなってしまう道具が商品として置かれていたりもする。

「……なんだろう、これ」

 ほら、こんなふうに。

 ふらりと立ち寄ったレトロチックな外観をしたお店の奥で、私は今、何度も首を傾げていた。疑問の原因は、目先にある、藤色の長い紐みたいなもの。

 理由はわからないけど、なぜか無性に心が惹きつけられたのだ。

「ん? ああ、これは……」

「それ、使われてる素材はすごくいいんだけどねぇ……どうにも色のくせが強すぎてねぇ……」

 隣のご主人さまが何かを言いかけた時、作業をしていた店主らしきおばあさんが突然声を重ねてきた。

「……おや?」

「な、なんですか……?」

「そいつにずいぶんと似合いそうな白い髪だこと。どうだいあんた、安くしとくよ」

 私の髪とそれを何度か見比べた後、おばあさんが購入を勧めてきた。

「え、えっと……その……」

 しかし残念なことに私は無一文。

 いくら利害が一致していても、私には、どうすることも……。

「んじゃーそれ、くださいな。ちなみにおいくら?」

「……えっ、あっ、ご、ご主人さま?」

「そうだねぇ……どうせ売れやしないし、こんなもんで」

「おっけー」

「あ、あの……」

「ちょうどぴったり百マキナですよっと」

「まいどありぃ」

 おばあさんがぴっと人差し指を立てて値段を提示したり、快諾したご主人さまが懐から硬貨を取り出し渡したりと、私を置いてどんどん話が進んでいってしまった。

 そして、ご主人さまはそれを差し出しながら優しく微笑みかけてくる。

「はい、どうぞ」

「……べ、別にそこまでしてくれなくても」

「でも、欲しかったんでしょ? ヴィオラちゃん、わかりやすいから」

「う……」

「強引な手段を取っちゃったのはごめん。だけど、君はまだ遠慮しちゃうと思って」

 深くて痛いところを突かれてしまった。

 意識していても、悪癖というのはなかなか抜けない。たとえ、それが自分以外の者に植えつけられた欠点だとしても。

「まぁ、とにかくさ、受け取ってよ。せっかく買ったんだし」

 胸の中に広がっていくのは、さっきとは別の、変などきどきだったり。または、じんわりと広がっていく温かさや、ちくりとした痛みだったり。色々な何かが何かとぶつかり合い、頭と心の中に複雑な螺旋を描いていく。

「……ありがとうございます」

 少なくとも、今の私には、言葉以外何も返せない。

 言葉以下のものも、等しいものも、それ以上のものも。

 だから、いつか、心に在る何かがちゃんとわかるようになった時。

 手を引かれるままじゃなくて、一人でも、きちんと歩いていけるようになった時。

 違った形で、たくさんのものを、ご主人さまに返せたら。

 そんな汚れのない願いを、すっかり汚れてしまったこの手に込めて。

 売られているもの、ではなく、人に贈られるものとなったそれを。

 私はようやく、おそるおそる受け取った。

「でも、これ、どうやって使えば……」

「あ、そうそう、ちなみにそれはね――」


 そうして、ご主人さまの手できゅっと優しく結ばれたそれは。

 私の髪の上でひらひらと楽しげに踊ったり、時には、白い花に止まるように。

 都度、その小さな存在と吹き込まれた生命を主張するのだった。

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