第一幕 再始動。
#01
「ん……」
瞼を通して、太陽の明るさが目に届く。
そうして光の眩しさに導かれるようにゆっくり視界を広げていくと、曖昧だった意識がようやくはっきりとしてきた。
今、何時だろう……?
朝という時間帯にしては、やけに日差しの主張が強い気がした。また、照明が一切ついていないにもかかわらず、部屋全体が明るすぎる。
なんて疑問を抱きながら、私はふあと小さく欠伸をして。
そのままこしこしと目元をこすりつつ、壁にかかった時計に目をやれば。
…………。
短針はⅠとⅡの間を指していることを視認した直後、寝乱れした格好を直すこともせず、私はベッドから飛び出した。今の今まで一度も目が覚めなかった熟睡具合からして、無自覚な疲れが相当溜まっていたらしい。
ぱたたっと階段を駆け下り、物音のする部屋へ急いで向かう。
ご主人さまに連れられてやってきた新しい家は、貴族特有の嫌味ったらしい屋敷と違い、自己主張の少ない控えめな家だ。それでも、他よりは少しだけ目立っている気はするが、居住区の家並みを損なうほどではない。
だから、目的の部屋へはあまり距離もなく、大した時間はかからなかった。
同時に、相手も私の足音に気付いたようで、物音はぴたりと止まる。
「お、やっとお目覚めかい?」
「……ごめんなさい」
「んや、気にしないでいいよ。ぐっすり眠れたみたいで何よりだ」
寝坊という失態をご主人さまは優しく流してくれたが、どうにも心の収まりがつかない。その不納得の絡まりは、身にも心にも深く刻み込まれ、すっかり染み付いてしまったものが根源なのだろう。
でも、ご主人さまはそれをよしとしなかった。そうしたままでいることはダメだと言った。
ただ、そんなもつれの正しい解き方を、私は知らない。
結果、間違いじゃない言葉を手繰り寄せようとして、正解の行動を過去の外から探そうとして、ぽかんと口を開けたまま扉の前で立ち尽くしてしまった。
すると、一向に返事をしない様子を不思議に思ってか、そろりと扉が開かれて。
だけど、私の姿を見るなり、ご主人さまは勢いよく扉を閉めた。
「………………いや、ちょっと待って、何て格好してんの君」
「あっ、これは……」
「うん、とりあえず服とか直してくれるかな。……目のやり場に困る」
遅れて、中からごめんと一言。
そこまで純粋な反応を見せられると、私も対応に困ってしまう。私まで恥ずかしくなってきてしまう。
はだけたワンピースの肩口や捲れたままの裾を慌てて直し、跳ねている髪は手櫛で何度か梳いた。……これで大丈夫なはず、たぶん。
「もう、平気だと思います……」
遠慮がちにノックをしてからおそるおそる呼びかけると、今度はぎこちなく、先程よりも緩まった速度で扉が開かれて。
そして、私とようやく目を合わせてくれたご主人さまは、うんと短く頷いた。
「よし……それじゃあ、もう少ししたら出かけるよ」
「え? あ、えっと……はい。あの、どちらに……?」
「ちょっと商業区のほうにね」
「……商業区、ですか」
ここから商業区へは、機械車を使えば大して時間はかからない。ご主人さま一人なら問題のない距離だ。
しかし、私がついていくとなると、話は変わってくる。交通手段は徒歩へと制限され、片道一時間以上かかる距離を往復するはめになってしまう。
「でしたら、私は留守番していたほうが……」
「いやいや、ヴィオラちゃんが一緒に来なきゃ意味ないから」
そう考えた私はご主人さまを気遣ったのだが、どうやら思惑の食い違いがあったらしい。
「私が……ですか?」
「だってそりゃー毎日毎日同じ格好ってのは、色々まずいでしょ」
つまり、私の新しい服を何着か見繕いに行こうってことか……。
なるほどと冷静に理解を示す自分がいる一方で、ほんの少しだけ心が浮き足立ってしまった私もいて。扱われ方ががらりと変わったことにより、深い眠りについていた乙女の本能が呼び起こされたようだ。
そんな微々たる高揚でも、しっかり表に出てしまっていたらしく。
「いいねぇいいねぇ、女の子っぽい反応しちゃってさ」
「う……し、失礼しました……」
自然な流れで頭を下げかけた矢先、即座に手で制される。……あ、そうだった。
気を取り直して、仕切り直し。
といっても、こういう時どうすればいいかなんて、やっぱりまだわからないから。
「で、では……よ、よろしくお願いします……」
私は、さっきとまったく同じ行動を取るしかなくて。
でも、今度は手で制されることなく。
「……はい、よろしく」
代わりに、一拍の後。
優しい微笑を漏らしたような息の音が、頭上から耳に届いた。
****
半日ほど前に通ったばかりの道を、現在は遡る形で進んでいく。
月が太陽と入れ替わったことで、あちこちからは人々の喧騒が聞こえてくる。ときどき私たちを追い抜いていく機械車の走行音も、空の明るさが暗い感情をかき消してくれる。
夜の顔とは対照的な、ごくごく普通の国。それが昼間の機械都市だ。……まぁ、陽の出ている時間帯にほとんど出歩いたことがないから、こんなふうに勝手な所感でしか判断できないけど。
ただ、それでも、数少ない見聞きを元に作り上げただけの実態と。
こうやって、自分の瞳で見回す実際は、全然かけ離れていなくて。
だからこそ、妙な安心感の中に、隠しきれない不安もあって。
何しろ、この機械都市における貴族というのは、暴虐と嗜虐の限りを尽くす象徴でしかない。国にはびこり、私欲を貪り尽くす負の存在でしかない。
つまり、奴隷を連れている貴族というのは、そういう人間だと自ら証明してしまっているようなものなのだ。
たとえ、真実は違うとしても。一人の真実だけでは、多数ある事実の前で意味を成さない。数の暴力で押し流され、言葉の山に阻まれ、埋もれてしまう。
たとえ、誰かにとっての事実はそうじゃなくても。心の傷痕とすら呼べる民衆の先入観は、一個人が真実を主張したところで消えるはずがない。むしろ、主張すればするほど悪い方向へねじ曲げられてしまうだろう。
……私が一緒にいて、本当にいいのかな。
でも、行くと言ってしまった以上は、いまさら引き返すわけにも……。
……ああ、どうしたら。
私は、どうすれば……。
両手を胸の前に添えつつ、自分のすべき行動を必死で探していると。
「相変わらずだねぇ」
「……む」
こちらの迷いに気づいたご主人さまが、まるで微笑ましいものでも見るような視線を私に向けてきた。別に不快とまではいかないけど、なんだか釈然としない。
「あ、もしかしてちょっと怒った?」
「いえ、別に」
「ごめんごめん」
ひょいと腰を屈め、言葉と共に手刀を切るご主人さま。申し訳なさそうに笑う口元には、かすかにからかいの色も浮かんでいる。
……なんだかなぁ。
むず痒くて、歯痒くて。
くすぐったくて、なのに、ちくちくして。
そんな形容し難い感覚から、つい、私は目先にある表情から顔を背けてしまう。
すると、そのタイミングで――。
「わっ……」
ちょうど背後からやってきた機械車が、強烈な風を伴いながら、私たちの横を通り抜けていく。
ばたばたとなびく自身の髪を手で押さえつつ、反射的に閉じていた視界を再び開けば、車窓から大勢の人々が揺られているのが見えた。
だから、その行き着く先は、車内以上に活気づいているのだろう。
その賑わいは、私にとって、すごく怖いことで。
でも、乙女の本能がそうさせるのか、とても楽しみだったりもして。
びくびくと、わくわく。
矛盾した二つの気持ちを抱えながら、私は、どんどん小さくなっていく国のシンボルを瞳で追いかける。
昼夜問わず機械都市を半永久的に走りまわっている、黒く巨大な機械の塊。
それが向かっていったのは、二つの区間を結ぶ橋の先。そこに広がっている国で一番華やかなエリアが、ひとまずの目的地。私たちが今、進むべきところ。
計算上では長く感じられる距離も、これから考えなくてはならないことを考えていたら、あっという間だった道のり。
――気づけば、商業区はもう、すぐそこだ。
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