The same or different world

Extra Story : クロノス VS カイロス

「今日も上々、と」

 闇夜が覆う街の、比較的大型のオフィスビルの屋上。

 その縁に腰掛けた少女は、手の上で揺れるいくつかの光球を見ながら独り言ちた。薄紫のニット帽からは白銀の髪が少し漏れていて、漆黒の闇に溶け込んでしまいそうな黒のシャツを着ている。デニムのホットパンツからは色白の脚がすらりと伸び、茶色の編み上げのブーツを履いている。

「カイロス」

 背後から、誰かが少女の名を呼んだ。しかしカイロスは振り返らずに答える。

「何の用? クロノス」

「あなた、また人間を誑かしたんだね」

 カイロスは光球を握り込んで消すと、ため息と共に立ち上がって振り返った。その視線の先には、一人の少女が佇んでいた。闇の中でも輝いて見える金髪を長いツインテールにし、丈が長く淡いピンク色のワンピースを着ている。足元のサンダルのせいもあって、真夏の海辺に居るのが似合いそうな格好だ。しかし今は移ろいゆく季節の狭間、長くなり始めた夜の闇の下にあるビルの屋上だ。

「何、アンタ怒ってんの?」

 手を後ろで組みながら、カイロスはクロノスとの距離をゆっくりと詰める。クロノスは何も答えずにただカイロスを見つめている。

「でもさ、アンタに言えたことじゃないよね? アンタだって、自分が復活するために人間を利用してるじゃん」

 カイロスは愉悦に満ちた表情でクロノスに顔を近付けた。だがクロノスは変わらず無言のままだ。

「ねえ、アタシたち同類なんだからさ、仲良くしようよ」

「……私は、あなたとは違う」

「あはははははは‼ そうだよね! アタシもそう思う! だから……」

 ようやくクロノスが発した言葉に、カイロスは腹を抱えて笑った。そうしてひとしきり高い笑い声を上げた後、カイロスは声のトーンを低くして言った。

「アンタを、殺すよ。時の神は二人も要らない」

「――!」

 カイロスからほとばしった殺意に、クロノスが身構えた直後。

「神威解放」

 カイロスを中心にして、光の柱が突如として立ち上がった。それはあまりにも眩い閃光。その光の奔流の中で、カイロスは本来の姿へと変化を遂げていた。光が薄らぐにつれて、その体が露わになる。

 瞬く間に、少女から細身の大人の女性の体へと成長した。肩部、椀部、胸部、腰部、脚部にそれぞれ鎧を身に着け、しかしその面積はごく限られている。上腕部から薄い胸部の上半まで、そして腹部と大腿が大きく露出している。同様に大きく鎧の空白部分となっている背面からは、身の丈ほどもある翼が生えている。左右二本の衝角を付けた兜は頭部のほとんどを覆い、顔と左右に結い分けた長い前髪のみが見えている。

 髪、両翼、鎧。そのすべてが銀色――いや、より明るい白金色だった。

「神代の頃から、アンタのことが大っ嫌いだった。時の神はアタシ。紛い物の神は消えて」

 煌々と輝いて浮遊しながら、紅く光る瞳がクロノスを見下ろす。その手に握っているのは、五メートルは超えようかという長大な白金色の槍。中間からややずれた位置に円環の装飾が付き、そこが持ち手となっている。長短どちらでも戦える物だ。

「じゃあね、クロノス」

 その言葉とともに、翼を打って槍を振り下ろした。クロノスは横に転がり躱す。しかし発生した衝撃がクロノスを襲い、縁の段差で体を強打した。

「う、ぐ……」

「まだまだッ‼」

 呻くクロノスに向けて、カイロスは槍を振るう。

 ドォン‼

 振り下ろされた槍がクロノスの体を捉え、屋上をも凹ませる。

「っ……‼」

 声にならない苦悶の叫び。

 カイロスは恍惚として空を舞う。

「これで、終わり!」

 自らの体重と、翼による加速。音速の一撃が、クロノスを屠るべく天上からやってくる。

「――!」

 クロノスは渾身の力で跳ねて、その場から逃れる。軌道修正のできない一撃は、そのままクロノスが居た場所へと突き刺さる。

「ちっ、しぶとい奴だなあ」

 カイロスが舌打ちする一方で、クロノスは衝撃波に打ちのめされていた。

 しかし屋上に刺さった槍を引き抜いたカイロスの視線の先で、クロノスはかろうじて立ち上がった。口元には血が滲んでいるが、その体を淡い緑の光が包んでいた。それを見てカイロスはため息をつく。

「回復魔法を使われたんじゃ、殺しにくいじゃん……『変速』」

 カイロスの両足に小さな片翼が形成された。クロノスは、瞬時にカイロスの神術を看破した。対象の時間の経過速度を変える神術。クロノスはより遅く、カイロスはより速く進む。それはクロノスにとっては、カイロスが異常な加速を行ったということだった。

「準解放!」

 クロノスが身に纏う光が、もう一つ増えた。金色に煌めく光。それは部分的に神威を解放した証。カイロスの時間操作に対してさらに時間操作を行い、打ち消す。同時に、金色に輝く円形の盾を左手に現出させた。

「はあああ‼」

「う……」

痛烈な打撃。カイロスは槍を自由自在に振り回しながら、連続的に打撃を加えていく。クロノスはそれを躱し、あるいは盾で受け流す。しかし、素早く重い打撃を捌ききるのは不可能だった。

「うあ……っ」

 受け流しきれずによろけたクロノスの隙を、カイロスは見逃さない。クロノスに近い片足を曲げ、もう一方を斜め後方へと最大限伸ばす。同時に槍を返し、短部をクロノスに向ける。槍先で足元を捉え、長部を手前へと引く――いとも簡単にクロノスは尻餅をついた。

 曲げた脚をバネとして翼も使って体を起こし、再び槍を返して長部をクロノスに向けて構える。

 この時、間合いは四、五歩。

 四枚の翼を同時に打ち、カイロスはトドメの突きを見舞う。クロノスがかろうじて構えた盾に槍先が接触、接点を中心にヒビが盾の四方八方へと広がった。

(勝った)

 勝利を確信したカイロスは、しかしすぐに気付いた。

 壊れる盾の向こう、わずかに見えるクロノスの口元が、緩んでいた。

(な……)

 そして、もう一つ。

 壊れたのは盾の一番外側。破片が散る中、アナログ時計が姿を現した。クロノスが構えていたのは、大きな懐中時計と言っても良いものだったのだ。

 その時計が示す時刻は、十一時五十九分。そして秒針が最後の一秒を刻む。

 すべての針が重なった、まさにその時。

「神威解放」

 爆発が起きたかのように光が周囲を満たす。いや、まさしくそれは光の爆発だった。カイロスは思わず左腕で目を覆い、体を引いた。

 カイロスの神威解放と同じく、クロノスもまた本来の姿を光の中で取り戻していた。カイロスよりもふくよかで豊満な体へと成長した。カイロスと瓜二つの鎧を身に纏い、同じように翼を持つ。しかし兜は被らず、髪、両翼、鎧、両手にそれぞれ握る剣、どれも金色だった。剣は右手に握る物が左手に握る物よりも長く、柄には円環の装飾が付いている。

 燦然と輝きながら、碧く光る瞳でカイロスを睨む。

「『停止』」

 時間が、止まった。

 クロノスは動きを止めたカイロスから槍を奪い、その体を直立に近くさせた。そして左足を引いて体を斜め左に向け、右の長剣は脇に、左の短剣は上段に構える。それから一つ大きく深呼吸をすると、地を蹴り斬りつけ始めた。踊るようにカイロスの周囲を動きながら、次から次へと斬撃を繰り出す。


 それは、残酷な死の舞踏。

 カイロスから神威を抜くための儀式。


 みるみるうちに、カイロスの体に傷が増えていく。最後、クロノスは長剣と短剣を合わせて胸部――それも心臓を刺し貫いた。ズルリ、と引き抜かれた二本の剣には、血がべっとりと付いていた。

 だがカイロスはまだ、ただ傷つけられただけだった。

「『再開』」

 クロノスの言葉と同時に、時間が再び動き出す。そしてカイロスに刻まれた幾多の傷から、大量の鮮血が噴き出した。

「ぁ……」

 小さく音を発したカイロスは、虚ろな目をして力なく倒れ込む。

 べちゃり。自分自身の血の池に沈むカイロスを、クロノスは悲しげに見下ろす。じきにカイロスの体は光に包まれ、その光が弾けるとカイロスは少女の体に戻っていた。

「ぉ……ぅ、sぇ……」

 どうして、というカイロスの問いにクロノスは答える。

「彼を知り己を知れば百戦危うべからず……いいや、結構危なかったけどね。自惚れて私を見下したあなたなら、完全回復していない神威を消費してくれると思ったの。それにあなたが糧としていた人の欲望は、神威の回復に使うにはちょっとバランスを欠きやすい情念だから。あなたが思うほど神威は回復してなかったの」

 カイロスの目に、涙が滲んだ。

「私と共に在りなさい、カイロス」

 カイロスに向けられた長剣と、カイロスの体が共鳴するように光り始めた。やがてその体は光の粒子となって長剣へと吸い込まれていった。

「……さて、どこかに困っている人居ないかな」

 そう呟きながら、クロノスは少女の姿となっていずこかへと姿を消した。



 雨が降り始めた。

 たまたま外に出ていた人間が、帰るべき場所へと足早に歩いている。

 その人間が、あるオフィスビルの前を通った。

 そのビルの屋上。二人の少女が激突した痕は、何一つとして残っていなかった。

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時を操る少女 水無月せきな @minadukisekina

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