第3話 嫌悪感の理由
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
キャンパスの最寄り駅で私たちは別れた。
雛子はすぐに雑踏の中へ姿を消し、それを見送った私もすぐに自分の家へと足を向けた。
私の頭の中では、さっきの雛子の言葉がリピート再生されていた。
『昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだった気がするけど?』
違う。そんなはずはない。
確かに人一倍責任感が強かったから、同級生に色々と注意とかしていた気もするけど、あの子ほどじゃなかったはず。
『昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだった気がするけど?』
ちがう。そんなはずはない。
あの子みたいに正論を振り回すようなことを、私は――
『昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだった気がするけど?』
チガウ。チガウチガウ、チガウチガウチガウ、チガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ……
『昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだった気がするけど?』
「違う、私は……」
「何が違うんですか?」
唐突に掛けられた声に、私はハッと我に返った。
気付けば、家の近くの公園まで来ていた。
「もしもーし、聞こえてますか?」
「え、ああ、うん」
そして声の主は私のすぐそばに立って、私を見上げていた。
「しかし、よほどお嫌いなんですねえ」
「え、あ、うん?」
頷きかけて違和感を感じた。私、あの子のことを話したっけ?
私を困惑させたその子は、綺麗な碧い瞳で私を見つめている。左右で結んだ金髪が夕陽に照らされて、柔和に輝いている。ハーフか、外国人だろう。
その子はうやうやしくスカートの端を持ち上げて、お辞儀をした。
「初めまして。私、時の魔法使いクロノスと申します」
「え、ああ、どうも……」
自分より背丈の低い、小学生ぐらいの女の子に予想外の挨拶をされてさらに戸惑ってしまった。
そんな私を見て、その子はくすりと笑って言った。
「ふふふ、イマドキの方にこういう挨拶をしたらどうなるのか、試してみたかったんですよ。面白い反応をしてくださってありがとうございます」
「え、うん」
ダメだ。一方的にペースを握られてる。とても小学生とは思えない。いや、ひょっとして最近の小学生ってこれくらいませちゃってるものなの? それとも世間知らずのお嬢様とか? いや、そんなの、マンガじゃないんだから……
何だか訳がわからなくなって、思わず足元から頭まで服装をチェックした。白地に薄いピンクのラインが入るスニーカー、黒のハイソックス、ホワイトのフレアスカート、濃いめのピンクのブラウス……お嬢様、というよりかは普通の小学生、かな。というか私は何をしているんだろう。
どうにも調子を乱されていけない。ひとまず落ち着こうと深呼吸をした。
どうにか落ち着いたところで、腰を屈めて女の子――クロノスちゃんと目の高さを合わせた。
「えっと、何か用かな? クロノスちゃん?」
「まあ、用があって話しかけたことには違いないんですけど……お姉さん、独り言呟いて危ない人になってましたよ?」
「え、あ、そう?」
「そうですよ」
そういえば、雛子の言葉がぐるぐると頭の中を回っている最中に話しかけられた気がする。あの時、ぶつくさと独り言を呟く危ない人になってたのか……こんな幼い子に聞かれていたなんて、いや、他の人にも聞かれているかもしれない。
考えるだけで嫌になってきた。もう忘れてしまいたい。
「大丈夫ですよ。私以外に見ていた人は居ないと思いますよ?」
「あ、そう。それは良かった」
クロノスちゃんの言葉にほっと一安心。あれ、でも……
私はじっとクロノスちゃんを見た。クロノスちゃんはただニコニコとしている。
……気のせいかな。
「気のせいではないですよ」
「え?」
クロノスちゃんは笑ったまま、信じられない言葉を続ける。
「私は魔法使いですから、何でもお見通しですよ」
「魔法、使い?」
そういえば、さっきもそんなことを言っていたような気がする。
えーっと、プリ○ュアとかの真似かな? 私、詳しくないから困ったな……昔は見ていたから多少なりともわかるけど最近のは知らないし、大学生にもなってそんなことするの恥ずかしいし。というか、そんなことなら早く切り上げて帰りたい。
そんなことを考えていたら、クロノスちゃんがぷくっと頬を膨らませた。
「ちょっとお姉さん、私はふざけてる訳じゃないですよ?」
「え、あ、そうなの?」
ということは、真剣にプ○キュアごっこしてるってことかな。
なんて思ったけど、クロノスちゃんの目に涙が滲んできた。あれ、あれれ?
「しょうがないなあ……」
クロノスちゃんはそう言うと、パチンと指を鳴らした。
「……?」
意図がわからなくて首を傾げ……あれ?
確かにそうしたはずなのに、実際にしたという感覚が無い。
(ど、どういう……)
こと、と言おうとして気付いた。口が、動かない。言葉を発することができない。呼吸すらもできなくなっている。体がまったく動かなくなっている。
(どうですか、これで少しは真面目に話を聞いていただけますかね?)
クロノスちゃんの言葉が、直接頭に響いてくる。
私の目に映るクロノスちゃんは、指を鳴らした状態のまま微動だにしていない。
(これは、一体、何?)
(私が一時的にこの世界の時間を止めました)
(はあ⁉)
思わず素で反応してしまった。
こんなのあり得る訳がない。そう、きっとこれは夢……
(夢じゃないですよ。これは現実です)
(………)
即座に否定されて、黙るしかなかった。というか、私の考えが……読まれてる?
(とりあえず十分ですかね)
直後、体の感覚が一気に戻ってきた。風が肌を撫でる感触、私を包む空気の温度、木の葉の擦れる音、遠くで響くクラクション……ほんの数瞬消えていたもの、いや、普段でもあまり意識していないようなものが一気に押し寄せてきた。
「はあ……」
何だか、どっと疲れてしまった。
公園の入り口までふらふらと歩いて、逆U字柵に腰掛けた。
「今日は厄日か何かなの? あの子には悩まされてばっかりだし、変な体験はするし……」
「ごめんなさい。お姉さんを困らせるつもりはなかったんですけど」
ひどく申し訳なさそうにしながら、クロノスちゃんは私の前に立った。
「本当に魔法使いなの?」
「ええ、そうですよ」
まだ信じ切れていない私の質問に、クロノスちゃんは胸を張って答えた。
「さきほども言いましたけど、私は時を操る魔法使いです」
「時を操る魔法使い、ねえ……」
とりあえず頬をつねってみる……痛い。
「典型的な確認をされるんですね」
「まあ、時間が止まっている時にやりたいけどね」
時間が止まっていた時、同時に私の体も動かなくなっていた。だから、頬をつねろうにもきっとできないのは間違いない。
クロノスちゃんはにこやかに笑って言った。
「お姉さんの推測通り、時間が停止している最中は身動きが取れません。本来であれば術者以外の生命の意識も止まるんですけどね。さっきは例外としてお姉さんの意識は止めませんでしたけど」
「そう、やっぱりね。あと、私の思考をあなたが読めるって言うのも本当みたいね」
「ええ、もちろん」
またクロノスちゃんが胸を張ったのを見て、私は無意識にため息をついてしまった。雛子の言う通り、ため息をよくつくようになってしまった。十中八九あの子のせいだ。
「それで、その時を操る魔法使い様が私に何の用かしら? 声を掛けられるような覚えは無いんだけど?」
「実はお聞きしたいことがありまして……お姉さんは、過去に戻れるとしたら何をしたいですか?」
「過去?」
私を見るクロノスちゃんは真剣な表情をしていた。茶化した答えなんかできない雰囲気だった。
「特に浮かばないわね。やり残したとか思うこともないし」
「そうですか。でも、
「……?」
思わせぶりなクロノスちゃんの言葉に、私は眉をひそめた。何が言いたいんだろう。
「ふふ、少し話を変えましょうか。お姉さんには今、相当嫌いな人が居ますよね?」
「そうだとして、何かあなたに関係ある?」
言葉にトゲがあることをはっきりと自覚した。あの子に対する嫌悪感を、最早隠せていなかった。こんな幼い子に八つ当たりしてしまうなんて……最低だ。
「どうしてそこまで嫌悪しているんですか?」
「……どうしてそんなことを知りたいの? そもそも全部お見通しなら聞かなくてもわかってるんでしょ?」
いけないと思いつつも、言葉がキツくなる。それでも、クロノスちゃんの口調は変わらなかった。
「それは簡単ですよ。あなたが認識している理由の他に、あなたが意図的に無視している理由があるからです。そしてその理由こそが、私があなたに声を掛けた理由にもつながります」
「私が無視している嫌悪感の理由? あの子の信念を受け入れられないこと以外に?」
嫌悪感の理由を明確にすべて言語化できている訳じゃない。それでも、そんなに多くの理由を考えられない。
クロノスちゃんは私の顔を覗き込んで続けた。
「心の底ではわかっていても、認められない理由があります。それは、嫌いな人が過去の自分とそっくりであること――つまり、『同族嫌悪』です」
「ふざけないで‼」
その瞬間、私は衝動的にクロノスちゃんの襟首を掴んで立ち上がった。クロノスちゃんを持ち上げるほどの力は無くて中途半端に腰を浮かせる形になってしまったけれども、手加減なしの全力で握って思いっきり睨みつけた。
「あ、ごめん……」
まったく動じずに私を見返すクロノスちゃんの瞳を見て、我に返った。そのまま手を離してまた柵に座った。
私は、一体、何を、して、いる、の?
「大丈夫ですよ、想定の範囲内でしたし。しかし間違いありませんね。嫌悪感の1番の理由、それは過去の自分を見ているような気持になるから。自分が忌み嫌う過去の自分と重なってしまうから」
反論する気力はなかった。体の奥底から何かを引きずり出されたかのように、全身から力が抜けて中身が空っぽになっていた。認めるしかない。私が今の今まで目を逸らし続けていたこと、否定し続けていたこと、認められなかったこと……認めたくなかったこと。
「何が望みなの?」
かろうじて出た言葉。声は弱弱しく震えてか細く、そのまま空気に溶けて消えてしまいそうだった。
「望み、ですか。強いて言えばあなたをお助けしたい。そういうことでしょうか」
「助ける……?」
「そうです。あなたの嫌いな人――過去の自分を乗り越えるお手伝いをしたいなと」
そして、クロノスちゃんは私の耳元で囁いた。
「過去に戻って、あなたの思う通りに過去を変えてみませんか?」
その言葉は、空っぽになった私の体の中にするりと入り込んで、全身に染み渡っていった。
過去を変える。
それは一筋の光明のように見えた。
「……でも待って。過去を変えたら予期せぬ変化が
段々と調子を取り戻してきた頭で考える。下手に過去を変えると未来が変わってしまうとかいうことを聞いた覚えがあるし、そもそもタイムトラベルもできないとか――
「大丈夫ですよ。お姉さんの心配するようなことは起こりません。現在は過去の積み重ねの上に成立していますが、過去は現在とは独立的に存在しています。過去をいくら変えたところで、現在には影響を及ぼしません」
「そう……え、でも、それじゃあ」
「そうでもないですよ」
そう言うクロノスちゃんは……少し悲しげに、いや、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「確かに、現在におけるお姉さんの過去は微塵も変わりません。しかし、お姉さんの中には違う過去が生まれます。自己満足的な結果にはなりますが……少しは変わるものだと思いますよ?」
「そう、なのかな……」
「そうですよ。まあ、試しにやってみませんか?」
クロノスちゃんの小さな手が、私の前に差し出された。
その手を見て、私は無意識の内に手を伸ばした。あともう少しで触れる、というところであることに思い至って手を止めた。
「何が、欲しいの?」
「え?」
キョトンとするクロノスちゃんに、もう一度尋ねる。
「過去に行くために、私が払わなければいけないものって何?」
何かをする時には何らかの代償、対価が必要なあるいは生じる時が多い。目的地まで快適に速く着くために運賃を支払ったりするし、他人を助けたら感謝されたりする。そもそも何らかの行動を起こす時には、大なり小なり報酬等に対する期待が存在している。
それなのに、今までの話の中でクロノスちゃんは一度たりとも私に対価を求めていない。
時間操作という特殊なことをするんだから、それ相応の対価が必要なはず……
そう警戒する私の前でポカンとしていたクロノスちゃんが、急にお腹を抱えて笑い出した。
「な、え、え⁉」
「ぷくく……あは、ごめんなさい。ちょっと予想外でして。対価なんて要りませんよ。もらわない主義なので……まあ、それで納得できないということであれば、私の道楽だと思ってください。自己満足のためにやっているのですから、見返りとかは要りません」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、クロノスちゃんは言葉を続けた。
「お姉さんは面白い方ですね。理想と希望を捨てたのに、自分の中の『正しい』心は捨てていない」
そして、また手を差し出してくる。
「……そんなこと無いよ」
私は今度こそ、その手に触れた。
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