第2話 味の薄いショートケーキ
「はあ……」
「どうしたの? ため息なんかついて」
放課後、私と雛子はキャンパス内の喫茶店でケーキを突っついていた。
よくあるチェーン店ではないから、個人経営のお店だろう。音楽を流していたりはしないけど、暖色系の内装のおかげか暖かな雰囲気だ。
「何かよくため息ついてるよね。昔はそんなことなかったのに」
「そうだっけ……もう昔のことなんて忘れた」
ぱくり。ケーキを一口頬張る。何の変哲もないただのショートケーキ。つまりは普通のショートケーキということ。ただいちごは少し酸味が強くて、クリームの味は薄い気がする。まずい訳でもないけど、美味しいという訳でもない。やっぱり普通と言うべきかな。
「ひょっとして、鈴村さんのこと?」
雛子の言葉に、私の手が止まる。
「……わかってるなら聞かないでよ」
フォークをケーキのそばに置いて、私は窓の外を見た。朝方の陽気な日差しは消えて、空には薄い雲が広がっている。
「まー、確信的なものはなかったからねー。あくまで直感、みたいな?」
「そう……」
雛子はゆっくりとガトーショコラを食べ続けている。昔のことは忘れたなんて言ったけど、雛子は昔と変わらずマイペースな子だ。
「鈴村さんと何かあったの?」
「何かあったと言うか……まあ、ちょっと気が合わないっていうか」
言うか言うまいか少し逡巡して、結局言った。
「あの子、いつでも自分は正しいと思ってるっていうか、いや、言ってることは正論なんだけど、正論ばかりで融通が利かないっていうか……うーん、世界は善意で回ってるって信じ切ってるのが気に食わないというか……」
「えっと……世界は善意で回っていて、だから常に正しくあり続けて、正しいことを周りにも求めているのが気に入らないってこと?」
「まあ、そんな感じ、なのかな……」
私が感じている嫌悪感を言葉にするのは難しい。いや、ただ言葉にするなら簡単。ただ一言「嫌い」と言ってしまえば済む話だ。ただどこそこが嫌い、って簡潔かつ明確に説明するのが難しいから困る。あの子が拠り所にしている世界観、信念を私が受け入れられないということは間違いないけど。
私ももう大人だから、個人の信条とかにとやかく言うつもりはない。個人の中に収まってくれているならそれでいい。私に何ら影響を及ぼさないでいてくれるなら、それでいい。ただ、あの子は違う。自分が「善」だと、「正しい」と信じたことを周りにも押し付ける。求めてくる。
しかもあの子の言うことはいつでも正論に聞こえるし、正論だから
はっきり言って、気に入らない。
世界は善意なんかで回ってはいない。むしろ悪意こそが世界を回していると言ってもいい。正しいことは捻じ曲げられ、歪められ、潰される。正しくないことの方がこの世界には満ち溢れている。
だいたい、人間自体がそんなものだろう。正しいことばかりで人間は構成されていない。必ず正の側面と負の側面がある。それが正常で、
なのになぜ、あんなに純粋に居られるのだろう。
「でもさ……」
考え込んでいた私の意識を、雛子の声が現実に引き戻した。
「あ、ごめん、何?」
「ううん。今は違うけど、昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだったけどなーって」
「え?」
思わず聞き返した。雛子は変わらない調子でガトーショコラの欠片を口に放り込んで言った。
「だからー、昔の智代ちゃんって鈴村さんみたいだった気がするけど?」
「そんなこと……ッ!」
反射的に怒鳴りかけていた。雛子が動きを止めて驚いた顔で私を見返す。雛子だけじゃない。他のお客さんからの視線が集まっているのを感じる。厨房から聞こえる音を除いて店内は静まり返っていた。
「あ、ごめん……」
雛子に謝り、同時に他のお客さんにも軽く頭を下げる。
一瞬の静寂など無かったかのように、店内は温和な雰囲気を取り戻した。
「ごめんね」
「あ、いや、ごめん……」
店内が元通りの空気になっても、私と雛子の間には微妙な空気が流れていた。
お互いに黙々とケーキを崩しては口に運ぶ、その繰り返し。
『お店でそんな大声出しちゃダメだよ? ゆっくり落ち着いて話そうよ』
思わず周りを見回した。
あの子は、居ない。
何であの子が居ないところでまで、私はあの子に煩わされなきゃいけないんだろうか。
ショートケーキを味わう余裕なんて、無くなっていた。
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