第7話 始まりの誓約

 

 翌朝、いつのも時間に目が覚める。どうやら自分の体は大きな変化があっても、通常運転らしい。我ながら図太いなと思いつつ、本日一回目の溜息をついた。

「やっぱり夢じゃなかったんだ…」

 もう通り過ぎてしまった昨日をまた思い返して、真新しい部屋を見回す。銀色のシルクを基調にした天蓋付きベッド、勉強用の机とキャスター付きの椅子、灰色のふかふかのソファ、上品な木製の白い食卓と椅子は緒方のチョイスで置かれたものだ。自分が持ってきたのは箪笥と服や小物が入った段ボールはそのまま放置してある。

 コンコンとドアがノックされる。起き上がりベッドの端に座るとどうぞと愛美は返事をした。失礼いたしますと心地の良い声音で入ってきたのは緒方だった。

「おはようございます、もうお目覚めだったんですね」

 緒方は少々驚きながら言って、愛美のいるベッドへやってくる。彼は持ってきた愛美の制服をベッドに乗せて、そのまま愛美の前に跪いた。

「我が主・シンデレラ姫、改めて…本日から貴女様の身の回りのお世話をする執事の緒方でございます。これから役目を終えるまでの間、どうぞ姫のお気に召すままこの緒方をお使い下さい」

「はい…」

 愛美は頷いて一言返す。

「それでは、まずはお召し替えをいたしましょう」

 そういうと緒方は立ち上がり、愛美の服に手を掛ける。愛美は真っ赤になって、緒方の手を掴みちょっと待って欲しいと制止した。

「お、緒方さん!着替えは自分で、で、できますからっ!」

「……」

 緒方は不思議そうに愛美を見つめている。

「身の回りのお世話をするのが私の仕事です。お召し替えもその一つ…何か問題でも?」

 当たり前でしょう?とさも当然と言える返答をするとジッと愛美の目を見つめた。いくら中性的な容姿をしているとはいえ、肩幅や腰回り、自分の服を掴むその手は男性のそれだ。

 愛美だって年頃の女の子である。顔は真っ赤、鼓動は朝から動かすにはしんどいくらいに早くて辛い。こうしてはいられない、同性に着替えさせられるのも困るが異性は当然アウトだ。愛美は羞恥心を無理くり押しのけて言った。

「緒方さん…緒方さんは男の人です!私は女として異性に着替えさせてもらうのはちょっと…というより、凄く恥ずかしいので勘弁して…下さい」

 愛美の様子を見ると緒方は少し考えてから、渋々分かりましたと答えて掴んでいた服を放した。

「…では、今後ご自身でされるということでよろしいでしょうか?」

 緒方からの提案に首を縦に振れば、緒方は大変失礼いたしましたと詫びた。

「終わりましたら、お知らせください。朝食をお持ちします」

「分かりました。終わったらすぐ呼びますので…」

「はい、では失礼いたします」

 緒方は一礼するとスタスタと部屋を出て行った。ほっと胸を撫で下ろすが愛美の鼓動はまだ大人しくなってくれそうにもないようだ。

 とりあえず着替えを済ませ、ドアを開けると、丁度緒方が朝食を乗せたキャリーを運んできたところだった。

「すみません、着替え終わりました」

「分かりました。丁度朝食をお持ちしましたので、一旦お部屋の中に…」

「あ、はい!ごめんなさい!」

「失礼いたします」 

 謝る愛美を見ると優しく微笑み、部屋の中にキャリーを入れると食卓の傍へ運ぶ。愛美が席に着こうとすると、咄嗟に緒方が椅子を引いて座らぜてくれる。こんな体験は父の仕事の付き合いで会食についていった時以来だ。

 食卓の上に手際よくテーブルクロスを始めに、朝食のセッティングをしていく緒方を見る。整った顔立ち、三つ編みにした銀髪は何か特別な手入れをしているのだろうかと思うほど艶やかだ。まさに美人、魅入られて心を奪われてしまうのではないかと危機感を覚える程と言っても過言ではない。

 昨日は状況の変化に思考と心が追いつくのに必死だったからか、改めて愛美は痛感した。そして、先ほど起こったちょっとした事件もついでに思い出してしまい、赤面。

 また己の思考に陥ってしまった愛美の肩を優しく突き、緒方が声をかけてくる。

「姫、ご用意ができました。どうぞ、お召し上がりください」

「あ‥えっと、頂きます」

 愛美は内心驚いたが手を合わせて朝食に手を付ける。温かいキャベツと人参のコンソメスープ・焼きたてだろうバケットにスクランブルエッグとソーセージだ。どれも食欲がそそられる…何より自分で作るご飯ではないというのが一番くすぐったかった。

「お味は如何ですか?」

「丁度いいです、凄く美味しい…」

「ありがとうございます!お口に合って良かった」

「本当に美味しい…温かい」

 正直な感想が零れた。クスッと緒方からも笑みが零れる。そんな温かくて微笑ましい朝食はあっという間に終わり、緒方は食器を片付けた。

 愛美はというと食後のコーヒーを堪能している。ブラックなんて苦いので、砂糖とミルクをたっぷりいれて味わっているようだ。

「姫。お飲みになりながらで結構ですので、本日の予定のご確認をお願い致します」

「はい」

「ありがとうございます。本日はこれからお車にて登校、昨日と同じように第二保健室になります。そこで授業を受けていただいて、5限目が終了頃にはお迎えに上がります」

「本格的に保健室登校なんですね」

「はい。久我先生に昨日確認致しましたが、担任の先生からも久我先生に全て一任すると改めてご連絡があったそうです」

「そうですか…」

「教室にお戻りになりたいのですか?」

「いえ…むしろ2度と御免です」

 愛美は首を横に振り、本日2度目の溜息をついた。

「姫…姫には緒方と久我先生がついております。何も心配する事はございません」

「はい…」

「少なくとも緒方はこの命を懸けて、姫にお使えします」

「緒方さん…」

 緒方は愛美の目を見つめ頷くと、愛美もつられて頷いた。

「姫の場合、信頼をしていただくためには相当な時間がかかるかもしれませんが…」

 最後に一言そういうとクスクスと笑って見せる。そして、一息つくとコホンと咳払いをした。

「さて…姫、お屋敷を出発するまで驚く程時間がございます」

「あ…」

「姫が相当早起きでいらっしゃるのは事前に聞いておりましたので、時間まで緒方から…今後の事についてご説明しなければならい事がございます」

「すみません…あ、その今後の事…教えてください」

「はい、では‥まずはこちらから」

 そういうと緒方はどこに持っていたのか、一枚の紙を置いた。

「こちらは此度の戦いに関する概要です」

 紙には【第100回 王冠戦争について】と銘打ってある。

「簡単にご説明いたしますと、まず【王冠戦争】とは【女王候補である姫】の中から【次代の女王を決める】もの、それは姫も既にご存知ですね?」

「は…はい、それくらいなら」

「結構。今回の王冠戦争は過去に多々見られた【5人の姫】ではなく、最も多く過酷と言われる【7人の姫】による戦いになります。

 この【7人の姫】とは、シンデレラ・白雪姫・親指姫・人魚姫・眠り姫・ラプンツェル・アリスの7つの称号。【5人の姫】ならばシンデレラとアリスを除いた5つの称号となります」

「えっ…ラプンツェルとアリス、シンデレラって、確か昔話ではお姫様ではないですよね?」

「はい。ですが、初代の女王がそのように決められ、以来この形式でやってきましたので」

 今更ながらに変えるのはちょっとと緒方は苦笑いをした後、また咳払いをして続けた。

「次に姫にはこちらの誓約書をご一読の上、サインをしていただきます」

 彼は誓約書をテーブルに置く。

「誓約書…?」

「はい、過去幾度も行われてきた【王冠戦争】ですが、先程もご説明しました通り”今回は最も過酷な【7人の姫】”で女王の座を争います」

「緒方さん……最も過酷というのは具体的にはどういう…」

「誓約書を見て頂ければ」

 目を伏せ、どこか物憂げな表情を浮かべた緒方が言う誓約書に愛美は目を移した。彼女の目が留まった内容はこうだった。



   【誓約書】


 私(以下乙)______は、以下の事項を厳守することをここにお誓い致します。


     記


1、如何なる状況においても、諦めずに最後まで戦います

2、対戦相手並びに自身の命のは保障はないものとして戦います




 ”命の保障はないーーーさらっと恐ろしい事が書いてある誓約書に、愛美の肝は冷え、顔色は見る見るうちに悪くなってしまった。そんな状態でカチカチ笑う歯を気にする余裕もないのか、彼女は緒方に尋ねる。

「お、緒方さん。こ、この二番目って…」

「姫のご様子からして、改めて私から口にするようなことは致しかねます」

「……」

「姫…?」

「私…死ぬんですか…?」

 心配そうに声をかけてくれた緒方に、愛美から漏れた一言だった。

「えっと…最悪の場合には…」

「殺される…という可能性は…ありますよね?」

「はい」

 震える愛美から搾り出される声音は恐怖と絶望を含んで緒方の耳に突き刺さる。昨日初めて出会ったばかりの少女に、2日目にして死刑宣告ともいえるような紙にサインをさせなくてはならない立場、己が抱く愛美に対しての哀れみの念で板ばさみになりながらも、愛美に返事をするだけになってしまった。

 少々いけない事ではあるが、この時緒方は内心、今回の女王に対して恨み言を吐いていたのはここだけの話である。

 一方、愛美は深呼吸をして自身を落ち着かせようとしていた。そして、顔を上げると自分の位置から丁度真正面にある棚の上、写真立てに飾られた家族写真が目に入った。それから息を飲んで、大きな溜息をつく。そして、大きく頷いてぽつりと一言。

「そうだね…」

 胸元で両手を強く祈るようにして握りしめて目を閉じた。まだ震えるその体を深呼吸で落ち着かせると愛美は緒方にペンが欲しいと乞う。緒方はその様子を見ていて、少々驚いている様子で言われた通りペンを用意した。

 ペンを手に取り、そっと目を開く。改めて文面を読み直しては溢れる唾を心許ない小さな決意と一緒に飲み込んで、不安で強張り震える体に喝を入れると一息に名前を書き込んだ。



 ”これで、もう後戻りはできない”



 脳裏で誰かが呟いたような気がした。




 第7話 始まりの制約 END

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