第6話 変わり始めた日常

 

 執事と共に帰宅する。それも高級車に乗って新しい我が家へと帰るというものだから、普段からそんな生活を送っていなければ、相当適応能力がずば抜けて高くない庶民である自分には大分きついものがある。

 黒塗りの高級車で快適に過ごせるようになる日は来るのだろうかと思いつつ、夕方のオレンジ色が差し込む窓に愛美は身を預ける。

 新居となる場所はどんなところなのだろう、果たして自分はそこで上手くやっていけるだろうか等々…不安を抱えながら揺られていると、車は今朝まで自分が住んでいた住宅街を通り過ぎ、鬱蒼とした森へと入っていく。

 その森は外からの印象とは裏腹に、煉瓦で道が舗装されている。意外な組み合わせに驚きキョロキョロと愛美は見渡した。すると緒方は愛美の反応に気付いたらしく、苦笑しながら声をかける。

「驚きましたか?こんな如何にも何かが出そうな不気味な森だというのに、道がしっかり舗装されていて…」

「はい…返って不気味にも思えますけど…本当にこの先に新居があるんですか?」

 不安感が圧倒的に大きくなってしまったと言わんばかりの声音で緒方に尋ねる。

「間違いありません。この先に姫専用のお屋敷がございますよ。因みに、つい先日完成したばかりの新築ですので木の匂いが心地良いお屋敷となっております。詳しくは到着してから、順にご案内いたしますので…到着まで今しばらく辛抱下さいませ」

 緒方は微笑んで言うと、また運転に神経を集中させてしまう。声音から感じたのはとてもワクワクしているような、楽しみで弾む心を何とか抑え込んで愛美に、大丈夫ですよと言いたかったのかもしれないと考えた。都合が良いと言えばそうだ。だが、完全に不安がぬぐわれたわけではない…

 考えていても仕方がないと一息つき軽く目を閉じる。昨日までの日々は今朝を境に反転した、私は素直に泣いて笑っていいと言ってくれる人ができた。

 ”助けて”と誰に届くこともなかった手を取ってくれる人が現れた。私は一人ではなかったんだと、触れる手の温もりが教えてくれた。

「お姉ちゃん…」

 誰にも聞こえないような小さな声で、今はいない姉を呼んでみる。

 この学校へ進学の為に家を出て行った姉…年に二度来る、自分と父を心配する手紙。内容は殆ど自分の事ばかりだった。手紙に記される姉の字はとても丁寧で、未だ記憶に残るあの優しくて暖かい声が聞こえて来るようだったのを思い出す。


 ”愛美…”


 物心付かない内に母を亡くした愛美にとって、母にも等しい姉。それはまるで太陽の様な存在だ。かけがえのない太陽を奪ったこの学校を……姉が出て行った当時の自分ときたら、とても憎んでいたし恨んでもいた。そして、真偽の分からぬ”姉の死”ーーーー

 今一度、なぜこの場所へ来たのか思考を巡らせる。姉の死は果たして本当のものだったのだろうか、もし本当であったとしても”何故、姉は帰ってこない”のか…それを暴かなければいけない。次代の女王を決める争いに参加している場合ではないはずだ、ましてや周りの人間の協力を得なければ進まないのに…

 バックミラー越しに愛美の様子をふと見た緒方は、人知れず溜息をついて愛美に声をかけた。

「姫、間もなく到着いたします」

 愛美は返事をすることなく顔を上げる。どうやら自分の思考が回るにつれて背中が曲がって、頭まで垂れてしまっていたようだ。

 そして、視界に入ってきたのは立派な鉄と煉瓦で出来た門だ。緒方は少しずつ車の速度を落とし門の前で止まると、門はひとりでにその口を開いて車を迎える。

「開いた…」

 信じられないと驚いている様子の愛美をその場に置いてきぼりに、車は門を抜けて先に進む。間もなくして今日から愛美の生活する場所となる屋敷が見えてきた。

 先刻緒方が”お屋敷”と言っていただけ、その建物は自分と緒方の二人で暮らすには使い切れないほどの大きさを誇っている。外観はまるで御伽噺に出てくるような洋館で、玄関の扉の前には雨よけの屋根とこの車が余裕で駐停車できるほどのスペースが確保してある。

 門から扉までの間の道は美しい花や東屋、大きな噴水が島自慢の美しい水を惜しげなく溢れさせている。時刻は夕方、水が反射する夕焼け色はとても美しい。

 今までテレビや写真でしか見たことがない光景を目の当たりにした愛美は言葉を失い、只々その光景に目を奪われてしまっている。

 緒方は車を玄関につけるとエンジンを切って降りる。愛美は緒方が下りた事にはまだ気づいておらず、緒方が後部座席のドアを開いて声をかけてくれるまで呆けたままだった。緒方が差し出す手をとって、今朝とは変わって今度は自分の足で屋敷に立つ。

 真っ黒な絨毯が敷かれた大きく緩やかな階段を数段登り、扉とは少し距離をとって立つと緒方が今朝預けた鍵を懐から取り出し、鍵を差し込んで右に回す。大きくカチャっと鍵が開く音が響いた。

 チョコレート色の木製の大きな扉が緒方の手によって開かれる。両開きの片方を開いて先に入ると緒方は扉を持ったまま、どうぞ、お入りくださいと言った。愛美は頷いて促されるまま屋敷へ足を踏み入れると緒方は扉を閉める。ドンッと重みのある扉の音がエントランスホールに響き渡った。

 緒方は愛美の前にでて振り向くと胸に手を宛て、一度お辞儀をしてから言う。


「おかえりなさいませ、我が姫・シンデレラ」


 緒方は今朝とは違って柔らかく微笑んで、今度は自分の主を迎えた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 放課後、城崎まりはまだ生徒会執行部の本部室にいた。立派な机の端には処理済みの書類を山積みにして、自分は紅茶を啜る。

 コンコンと軽快なノック音がしたので一言返すと、真っ白な長い髪をポニーテールで纏めた青年が入ってくる。白髪の青年の瞳は藍色で、中性的な顔つきは面長、どこか狐のような細い目つきをしていた。細くて華奢とも取れそうな体に燕尾服を纏い、彼はピンと背筋を崩すこともなくお辞儀を一つ。

「我が姫・白雪姫。ご命令通り、執事・椿がお迎えに参りました」

「ご苦労。新居への荷物の移動とセッティングは終わったか?」

「はい、滞りなく完了しております」

「そうか。なら良い」

「はっ」

「そういえば、今朝他の姫が私に接触してきたんだが…ここの監視カメラ及び盗聴器等は約束通り全て排除してあるんだろうな?」

「その点も抜かりありません。ご指摘いただいた箇所とそれ以外で私の力で分かった分は全て排除済みです」

「分かった。今朝珍しく諜報部長が直々にきたものだったから、些か不安だったのだ」

「申し訳ありません。こちらから改めてお伝えすべきでした」

「いや、もう済んだ事だ。お前がきちんと働いてくれているならば、結果はきちんと出る。私はそれを元に”今後お前をどう使うか”考えなくてはいけない。姫という立場になった以上、私はお前を使役しなければいけないのだから…」

「はい。どうぞ何なりとお申し付けくださいませ」

「よし。では早速で悪いが顧問の柊先生のところへ行って、これを渡して欲しい」

 そういうとまりは引き出しからワインレッドの手紙を出すと、それを椿に差し出した。差し出されたものを見ると一瞬驚きはしたが、表情は崩さず確かにお預かりしますと受け取ると胸ポケットにしまった。

「何故この手紙を先生に渡せとと思っているか?」

「…はい」

「いずれ分かる…とにかく、それを届けてくれ。届けたら先に屋敷に戻っていろ、後から向かう」

「畏まりました。お夕食はいかがしましょう」

「夕食は外で済ませる。8時頃には戻るから、風呂と寝床の用意は頼む」

「承知しました。では椿はここで失礼いたします」

「頼んだぞ」

 椿はお辞儀をもう一度すると部屋から出て行った。

「全てで7人…明日には共にこのゲームに挑む仲間を決める一週間が始まるのか」

 少し憂鬱にぼやいては溜息をついてみる。独りきりの部屋に溜息はより空気を重くしたように思えた。

 机の上にひっそりと立ててある写真立てを見つめる。写真には今よりもまだまだ少女だったころの自分の姿と男女の夫婦らしき2人、そして学園の制服を着た女生徒が写っている。写っている4人皆が幸せそうな笑顔を浮かべて、酷く遠い夢の様に思えた。

「……必ず女王になってみせます。必ず」

そう言うと写真立てを伏せ、まりは一度深呼吸する。そして、荷物を纏めて部屋を出て行くのであった。


窓の外、彼女の様子を1羽のカラスが見て鳴いた。



第6話 変わり始めた日常 END

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