第8話 肝心な事程 霧の中に

 

  ”もう後戻りはできない”


 懐かしい誰かの声が頭の中に響く。その声はとても温かくて、酷く悲しく響いてはズキンと心を突き刺すようだった。

 誰だと思い出そうとして、記憶を辿る…だが、声の主の姿はまるで濃い霧に包まれてしまったようにハッキリとしない。霧に浮かぶ曖昧な人影はユラユラと揺れた。

 久我は一人、第二保健室にいる。時が経てば緒方という執事に連れられ、愛美がやってくるだろう。それまでは、ここに一人…今までと何も変わらない。そう、いつもと変わらなかった。


  コンコン


 ノック音が部屋に響く。時計が示す時刻は午前7時、他の職員達が出勤してくる時間よりも圧倒的に早い時間にいる自分もだが、扉をノックしたであろう人物もなかなかに物好きか…或いは。

 あまり深く考えるのはやめよう、そう思ってから久我はドアを開くと、そこには愛美の担任が立っていた。ビール腹と口ひげが特徴的な中年男性、その表情は普段優しい笑みを浮かべている時とは打って変わってひどく怯えていた。

「おはようございます…久我先生」

「おはようございます。あの…大崎先生、どうかされましたか?」

「いや…ちょっとお話しなきゃいけないことがありまして…」

「はぁ…ここで立ち話も何ですから、どうぞ中へお入りください」

「あ、ああ…失礼します」

 大崎大悟、愛美の担任で現在在籍する教員の中では比較的古株に近い存在だ。そんな人物が第二保健室に…久我は珍しい来訪者に少々驚きつつ中に入るように促した。大崎は落ち着かない様子で部屋に入ると久我が扉を閉めた途端に大きな溜息をつき、鍵を閉めるように言った。

 久我は大崎の様子を見るからに何かあるのだろうと思っていたのもあり、頷いてカチャっと鍵をかけてカーテンもついでに閉めてソファに腰掛ける。向かいに大崎も腰掛け、小脇に抱えている小包らしきものをテーブルの上に乗せ、まずは一言詫びた。

「朝早くに申し訳ない、久我先生…あー…実はさっき言ったようにお話しなきゃいけないことがあってね。それとこれは君の記憶に関わるものになる」

「はい、ありがとうございます。それで、大崎先生…お話とは神田さんについてでしょうか?」

「そうなんだよ、久我先生。実はね、神田さんが今回の【王冠戦争】の候補に選ばれたことが、なぜか教員の中で出回っていて」

「…大崎先生、今何て…おっしゃいましたか…?」

「”神田さんが【王冠戦争】の候補に選ばれた”」

 頭に大崎の言葉が響き渡った。久我の顔色はどんどん悪くなっていき、手が震える。

「今回の【王冠戦争】は7人制、もしかしたら神田さんの身に何が起こってもおかしくないんだ。久我先生…」

「…確か、7人制は女王の一存で命のやり取りになりかねない制度でしたよね」

「そうだ、だから…今神田さんを預かってくれている久我先生には伝えておかなければと思ってね。この時間に直接訪ねたのは、女王陛下の腹心である王でない限り、ここへの生徒の来訪はないし…尚且つ、ここが唯一執行部と諜報部からの監視ができない場所だから」

「そうだったんですね」

「ああ、電話ですら監視の範疇だから…ここへきて直接話さなければとなったんだ。本当にすまないね」

 大崎は頭を深く下げ詫びた。それよりも久我は先程の大崎の言葉がショックだったらしく、脳裏で何度も繰り返していた。


 ”もう後戻りはできない”

 ”神田さんが【王冠戦争】の候補に選ばれた”

 ”神田さんの身に何が起こってもおかしくないんだ”


 ズシンと心に何かか重く圧し掛かるような感覚がやってくる。久我は頭を押さえて、同時にやってきた突き刺すような頭痛に呻き声を上げた。

 ”どうしたんだろう…何故、こんなにも…僕はショックを受けているんだ”

「久我先生?」

 大崎が心配そうに声をかけるが、久我を襲う頭痛はさらに激しさを増して、最早久我に応答している余裕はなかった。久我は蹲り痛みに喘いで、大崎は傍に寄って久我の様子にオロオロするばかりで、全くと言っていいほど役に立たない。


 ”僕は……君を……した……”

 ”そう、貴方は彼女を……した”

 ”だから……あなたは、僕を……”

 ”ええ、これは貴方に与える罰。貴方が彼女を……したから”



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 気が付くと久我は一人、保健室のベッドに仰向けになっていた。起き上がり顔を上げると時計は間も無く午前8時を示す頃合い、溜息を吐いてベッドを抜けた。

部屋を見渡すと大崎の姿はなく、代わりに書き置きが一枚。内容は愛美の件についての詳細は小包に入っている紙を見るとわかる事、そしてその件は必ず愛美に伝える事、小包は必ず持ち帰る事とあった。

久我は早速小包の封を開け、中身を取り出す。書き置きの通り中には数枚の紙と指輪やネックレスといったアクセサリーを保存する小箱、そして色褪せた手紙が入っていた。

 色褪せた手紙の宛は自分の名前だが、差出人は書かれていない。元は白かったであろう封筒は今は少し黄ばんでいるし、一部焼けたのだろうか焦げて黒くなっている部分がある。

 中を見ようと封を見れば、すでに開封済みのらしく覗き込んでみれば手紙ではなく銀色のブレスレットが入っていた。

「これは…?」

久我はブレスレットを出して、物の試しに自分に合わせてみると丁度良く、緩くも硬くもなくつけられそうだ。銀色のそれには3つの窪みがあり、一番左の窪みには水晶らしき物が嵌め込まれている。

「見た目的に男物だよね。ならこれは僕の物?」

内心趣味じゃないんだけどなと困り気味に溜息をついて、元の封筒へ戻した。少し懐かしいなと心のどこかで誰かが呟いたが、さして気に留めることもなく久我は資料に目を通した。



 【資料一枚目 手紙】


  久我君へ

 久我君、今回は本当に申し訳ない。本来ならば私が神田さんの立場を守る役目を負わなくてはいけないんだが、君に頼らざるを得ないようだ。

 君がこの神を読んでいる頃には、神田さんの情報について君に話してある状況のはずだ。何者かが教員全員に神田さんの情報を流している。同じ教員の中に流している人物がいる可能性は十分高いが、今のところ誰がやっているのかまでは把握できていない。如何せん、姫に関する情報は基本的に秘匿情報として取り扱われるから、女王陛下の関係者でない限りで回ることはないはずなんだ。

 この件は私の方でも探りを入れておくから、分かり次第また君に知らせることにしよう。神田さんを君に託した状態で申し訳ないが、私も私で協力する。

 どちらにせよ私が彼女を守るには、少々老いがすぎるところがある。若い君ならばきっと”騎士”として、彼女を守り切れるはずだ。


 本当に申し訳ないが神田さんの事は頼んだよ。シンデレラを守れるのは、きっと君以外にはいない。

 以下資料にはもう知っているかもしれないが、現段階での私からの情報提供だ。おさらいも含めて目を通しておいて欲しい。


 大崎大悟より



 【資料二枚目 王冠戦争プリンセス・ロワイアル


 王冠戦争プリンセス・ロワイアルとは次代の女王を決める戦いである。今回は記念すべき100回目とあり、一つの大きな節目と言われ最も過酷な内容になると関係者らは呟いているようだ。

 今回の姫君は全てで7人。女王陛下は、一定のルールだけを設けた命懸けの戦いをご所望のご様子というのは教師陣ならば伝えられている情報だ。神田さんがシンデレラという姫に選ばれたという情報はさておき、他の6人の姫が誰なのかは不明だが大凡の予想ならばいくつか上がっている段階。


 ・歴代で最も女王の座に就いてきた白雪姫は健在

 ・白雪姫の強敵といえるラプンツェルも健在

 ・親指姫と人魚姫、眠り姫も健在

 ・アリスについては詳細不明。存在はしていると明言

 ・騎士契約締結期限は一週間以内に行い執事立ち合いの元、儀式を行うこと


 【資料三枚目 騎士について】

 騎士は姫が直々に自身の護衛と協力を求め、契約を交わす特別な男性教員を指す。騎士は姫を守り、姫の力となる存在だ。君には姫に選ばれた彼女を守ってほしい、島外から来た生徒とはいえ私の大事な教え子であることには変わりはないのだから。

 ・騎士は姫の盾となりその身を守る

 ・騎士は姫の武器となりその身を守る

 ・騎士は姫の支えとなってその身を守る

 ・姫との間に築かれた信頼の絆は、更なる力を呼び覚ます

 ・騎士は年若ければ若い程有利に働く事例が多い


 【資料四枚目 執事について】

 恐らく神田さんにも、もう執事と呼ばれる人物がいるだろう。直接当人から名乗りがあったかと思うが、私の知っている限りでの執事はこういうものだったとだけ

 ・執事は姫の世話役で、姫が学校にいるとき以外は基本傍にいる

 ・世話役が基本だが、姫の意向と一定の条件が満たされれば戦いに参加できることがある

 ・執事は女王への連絡役もこなす

 一番最後の事項については君も用心しておいて欲しい。完全に神田さんの味方と言えるかどうか君自身で判断するべきだと考えている。



「要約するとこんな感じかな。大崎先生らしいや」

 苦笑いながらに要点をまとめると、時刻は登校時間になっていた。

「さて、お姫様はそろそろお見えになるかな?」

 資料とその他諸々を片付けると洗面所の鏡をみて身だしなみを整えて、両手で頬を一発パチンと叩くと頷いた。


愛美が緒方に連れられ、この部屋のドアをノックするまで、後僅か


 第8話 肝心な事程 霧の中に END

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