第3話 灰被り娘の望み

---”第二保健室へようこそ” そう微笑んだ彼はどこかの王子様なのではと感じました。

 

 時刻は午前9時。チャイムが一限目の開始を告げる頃には愛美は落ち着きを取り戻していた。彼女の目の前には何やらバインダーを持ち書き込んでいる保健医の男と、自分の傍に跪き心配そうに様子を伺う緒方の姿があった。

「姫…落ち着かれましたか?」

「はい……すみませんでした、こんな取り乱して…」

「いいえ、私こそ配慮が行き届かず申し訳ございません」

「そんなこと…ないです。ありがとうございます」

「勿体なきお言葉でございます…本当によかった」

 二人のやり取りに気付き保健医の男は顔をあげ微笑みながら言う。

「どうやら落ち着きを取り戻したようだね、お姫様」

「あ…あの……すみませんでした、えっと……」

「あ、自己紹介がまだだったね。君が落ち着くのを待っていたら忘れていたよ、ごめんね。僕は久我宏光(くが ひろみつ)、この第二保健室を担当する保健医だよ。君は神田愛美さんであっているかな?」

 柔らかく暖かな日差しのような微笑みを絶やさず久我と名乗った男は愛美を見つめる。愛美はまじまじと突き刺さる視線に耐えられず俯き頷いて見せた。

 久我は愛美の様子を見ると一言顔を上げてくれるかい?と声をかける。改めて顔を上げた愛美は真っ赤になっていた。内心可愛らしいなと思いながら久我は続ける。

「さて、君がここに来た理由は概ね察しているけれど…自分の意志でここへ来た訳ではなさそうだね」

「はい…緒方さんがここへ連れてきてくれました…」

 いつの間にか愛美の後ろにまた立ち尽くしている緒方を見やると頷き緒方が続ける。

「我が主人である姫をここへお連れしたのは、ご様子から察するにここが一番用途として最適な環境下にある場所と判断したまでです。正門から程近く、他の生徒との接触もない…何よりもメンタルケアの場所と記憶しておりましたので」

「有能な執事さんだね。でも80点ってところかな…緒方さんだったか、君は神田さんが”島外からの生徒”と知っていてここにつれてきたのかい?」

「…正確に申し上げますと確信はありませんでしたが、恐らくそうであろうと思っておりました。ご自宅へお迎えに上がった時の周囲や学校に到着する直前のご様子、そしてお体に触れた瞬間に流れ込んできた記憶…総合してここへお連れするのが最善と」

「…え、記憶?」

 愛美は素っ頓狂な声を上げて首を傾げる。

「はい。緒方は触れるだけで触れた対象の記憶を読み取ることができるのです、勿論手袋を通じても解ってしまいます。今回は咄嗟の事という事態もありまして、すっかり失念しておりましたが…」

「成程、本当に有能……いや、訂正しよう。とっても特殊な執事さんなんだね、緒方さんは。分かったよ」

 久我は一つため息を吐いて苦笑しながらが言うと視線を愛美に戻して続けた。

「緒方さんのお察しの通り、神田さんは”島の外からきた生徒”なわけだから、いろいろあったと思う…ここ第二保健室はそんな”島外”から転校してきた生徒専用の部屋で、僕の役目は転入生を保護する事なんだ。この島の人は皆、外からきた人間に対して執拗なまでに毛嫌いする傾向が強くてね、まぁ僕も半分島の外から来た人間の部類だからそれなりの迫害に近いものは受けたよ。それは当然生徒間も起こり得る話、僕は理事長と女王陛下に進言してこの場所を作ってもらったんだ」

「それで私は……これからどうなるのでしょうか?」

「今後登校するならここへ来ることになる。授業は隣の部屋に用意してある学習室で受けられるから安心して欲しい」

「は…はい…」

「いろいろあったとは思うけれど、ここでは君に害を成す人はいない」

「でも私は…」

「姫、緒方は貴女の御身が最優先事項と考えます。昨日まで置かれている立場が異なるのです…」

「……そうですね」

 ワインレッドの手紙。まだ今朝届いたばかりなのに、すでに彼女にとっては濃厚な一日を過ごしている気分だ。緒方の気持ちもわからなくはない、ましてや記憶を見られてしまったのだ…言い訳なんて無意味だ。

 愛美は久我を見ると表情は何やら考えているようにも感じられる。恐る恐る愛美は声をかければ、ごめんごめんと苦笑しながら答えてくれた。

「そういえば、お姫様に選ばれたんだよね。神田さんは」

「はい…」

「それはラッキーだ。どんなに望んでもお姫様に選ばれることはないが多いと聞くし、転校生でなれるなんて滅多にないんだよ」

「本当に私なんかでいいのかと思ってしまいます。お姫様はもっとキラキラした人がやるべきかと」

「神田さんが選ばれたのは何かしらの意味があるはずだ。女王陛下が選ぶんだから、少なくとも女王陛下は君に興味を示していることに間違いはないさ。それに女王候補に選ばれたなら、女王になった暁には好きな願いを一つ叶えられる…」

「好きな願いを…」

「君にも願い事の一つや二つあるはずだよ。人からしたら小さくてどうでも良いものだったとしてもね」


 ”神田麻衣さんは亡くなりました”


 脳裏に響くあの男の一言。そうだ、流神学園ここへ来たのは何の為だったのか。自分に問いかける。


「願い事なら一つだけあります」

「そっか。ならそれを叶えるためと思えばお姫様は最も有効な手だ、そうだよね?緒方さん」

「はい。我が主たる貴女の為ならば、緒方は協力は惜しみません。好きなように、お気に召すまま、何でもお申し付け下さい」

「ありがとうございます…どうしても私一人では無理だと思っていたところなので」

 毎日飽きもせずに隠される上履き、声をかけても無視され、口を開こうとすれば黙れと腹を殴られる。移動授業なのに集合先は明かされず、やっと分かったと遅れていけば担当教師から罰則という体罰を喰らう。勿論誰も止めに入ろうとはしない、皆笑ってみているだけだ。そんな毎日を過ごしながら、姉に関する情報を集めるなんて到底できない。

 予期せぬクラスチェンジによるオプションだが、まだ100%信用できるわけではないが少なくとも自分の事を守ろうとしてくれる緒方。まるで幽閉された王子のような久我は、ここで自分の身の安全を保障してくれると言ってくれている。

 今頃学生棟で有意義に授業をうけて、休み時間を過ごし、部活で仲間と時間と青春を分かち合う”平凡で幸せな生徒”に比べれば、切れるカードは限られている。答えは”Yes”の一言だ。

「どうやら心は決まったようだね」

「はい。本当にすみません…」

「謝る必要性はないさ、それに僕もこうして転校生がくるのは随分久しぶりだから、仕事ができるよ。以前通ってた生徒は自殺しちゃったからね…」

 久我はさらりと恐ろしいことを言っている自覚はあるんだろうか。後悔の声音が混じったその言葉は愛美はズキリと胸が痛くなる。つい先日まで本当に自らを終わらせようか画策していたのは事実なのだから。

「自殺ですか…」

 緒方が目を伏せる。

「止められなかった。自分の無力さを思い知ったよ…でも、今度はそうは行かない」

 久我の声音は後悔から決意に変わっていた。そして、微笑む。

「先生…」

 そう呟いた愛美の声音は、やっと重くて暗い雲の隙間から差し込む日差しに安堵したようなものだった。



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「女王陛下、ご命令通り各姫君への通達完了を確認致しました」

 広い部屋に一人の男の声が響き渡る。男は跪き顔を上げることなく、自らの絶対的な主人へ報告をすると紡がれる言葉を待っていた。

 ヴェールで隔たれている先、玉座に腰掛ける人物はスッと左手を上げると何かを撫でるような動きを取る。男はその瞬間自分には勿体ない事でございますと歓喜の声を上げた。主人たる女王はそのまま男の顎を撫で顔を上げさせる。男の表情は恍惚として目は虚ろだった。

 ヴェールの手前、女王の前に立つ一人の男子生徒はやれやれと溜息をつき女王に代わって答える。

「ご苦労様、陛下も大変喜んでおられる。次の命を与えるから、現実に帰ってきてよ」

「はっ!し、失礼いたしました!!」

「はぁ…陛下もいつまでも可愛がるのはおやめください」

 女王は手を下すと手を叩いた。すると一人の女子生徒が何やら箱を持って現れる。箱はどうやら小さいながらも取っ手と鍵のついたジェラルミンケースのようだ。

「科学部へこれを運んで欲しいんだ。中身は今回のイベントと関係があるから詳しくは言えないけれど、とても重要な物だからくれぐれも慎重にね?」

「御意」

「よろしく頼むよ」

 男が出ていくと男子生徒は女王の方を向き、微笑みながら問いかける。

「陛下、楽しみですね」

 女王は頷くと立ちあがり部屋を後にする。コツコツとヒールならではの足音を立て彼女が出ていくと男子生徒は溜息をつきつつもニヤリと笑う。


「本当に…心底楽しみだ」



第3話 灰被り娘の望み  END



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