第2話 隔離された主
黒塗りの高級車が閑静な住宅街の合間を縫いながら、愛美を彼女の地獄たる場所へと運ぶ。先刻、緒方と名乗った自分付きの執事はハンドルを握り、バックミラー越しに愛美の様子を伺っているようにも見える。
そんなことは露知らず、愛美は慣れない状況下に置かれているからか緊張で身動き一つとれずにいた。なんとなく察するところではある緒方の視線も感じながら、現実逃避しようと車窓の向こう側を眺めるが、今の自分の目に映る景色は酷く派手な色を放っているようにも感じられて、すぐ俯いてしまった。
ふと何も考えず視線を横にずらせば、その先にあるのは自分の鞄。愛美は鞄を引き寄せると、今朝自分にいろんな方面から大ダメージを与えてくれた手紙を取り出し、そういえばこんなものが入っていたなと思い出したように取り出す。
それは黒色のアンティーク調の鍵。今朝は混乱していたため気づかなかったが、掌にひっそりと収まる大きさであるにも関わらず、それはずっしりと重たく己の存在を強く主張していた。何度か掌に乗せたまま上下して重さの感触を確かめていると、運転中の緒方が愛美の様子に気付いたのか声をかけてきた。
「姫。その手にしていらっしゃるものは、一体何でしょうか?」
「あ…これはこの手紙の中に入っていたんです…」
「ああ、お屋敷の鍵ですか。」
「お、お屋敷?!」
「はい。その鍵は姫が本日から住う新たなお屋敷の鍵でございます」
「そ、そうなんですか?!……知りませんでした」
「はい。ご説明させていただきますと、そちらの鍵は新しく選出された姫君方専用のお屋敷に使用する物になります。大抵は執事である我々がお預かりし、お屋敷の番をする事となります」
「ならこの鍵は学校に着いたら緒方さんに渡せばいいのですか?」
「左様でございます。本日は姫のお荷物を屋敷へお届けしなければなりませんので、お預かり致します。もし、私が信用ならないのであればご自身で管理されても構いません。その点においては任意になります」
「……分かりました。鍵は緒方さんにお渡しますので、管理も合わせてお願いします」
「かしこまりました。お屋敷の鍵はこの緒方が責任もってお預かりします」
「すみません、何もわかっていなくて……」
「いいえ、姫はまだご存知ないのは無理もありませんし、恥じる必要もありません。これからわかっていけば良い事です。その為にこの緒方を使っていただければ」
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。私は姫の執事なのですから、本当に手足のように使ってくださいませ。それが私にとっての存在意義であり、使命なのです」
「はい……」
緒方はミラー越しに微笑んで見せると、また正面を向いて運転に集中し始めてしまった。愛美はそっと手の中にある屋敷の鍵を一度制服のポケットにしまって、緒方が見つめる先の景色を覗いてみた。車は大通りを走っており、次の信号を右に曲がれば学校正面の通りに出る。
車が最後の信号を曲がる。心臓は早鐘を打ち、体が震え始めた。何とかそれを押さえつけようを自らを抱きしめるも震えは尚も収まる気配はなく、挙句には涙まで出てきてしまった。
幸いなことに彼女の目には歩道を歩く多くの生徒達の姿を映していなかった事だ。きっと彼女が今、学校へ通う生徒達の姿を見たら…きっと取り乱すだろう。
「姫。大丈夫ですか?」
「いえ…な、何とも……」
「何ともないという様には見えませんが…」
「………………」
「……姫、登校時間にはまだ若干の余裕がございます。間も無く到着しますので、着き次第保健室へお運び致します」
「そ、そこまでしなくていいです!!大丈夫ですから……いつもの事だから……平気です」
「いつもの事なのですか?」
愛美は俯きながらも頷いた。
「この緒方にお話しも叶いませんか?」
「ごめんなさい……」
「畏まりました。今は深く追求致しません…ですが、今日は姫になられたばかり…昨日までとは置かれているお立場が異なります。せめて本日だけは、一度保健室に…担任教師には私からお伝えしておきますので」
緒方はそういうと車を停め、愛美の方を振り向いて俯き震える彼女を見つめている。
緒方からの視線を感じて顔を上げた愛美は、寂しげに心配する緒方の顔を見て、更に涙を流す。
「姫、とりあえず保健室へお運びします…よろしいですね?」
愛美は首を横に振る。
「人目…人にわからない様に……教室に行かなきゃ……」
「教室へ行ける様なご様子では御座いません。人目が気になるのであれば、人に見られない方法で保健室へ連れて行きます」
「……?!?!」
この人は何を言っているんだろう。そう思っているうちに車は動き出し、その進路は正門を抜けると職員専用玄関に向かっている。
「この時間ならば、職員玄関にはもう誰も居ないはず。それに執事である私が一緒ならば、ここから一番近くて尚且つ人気がない"第二保健室"まで直通です」
「第二保健室……?」
「はい。詳しくはそこの主である保健医の先生に伺うのが一番です」
緒方はそう言うと車を職員玄関前に停めて降りると、後部座席のドアを開いて愛美に降りるよう促す。愛美は緒方の行動にされるがまま車を降りると、そのままお姫様抱っこをされてしまった。
「な、何して…!」
「念の為です。このままお運びします」
「待って下さい!歩けます!一人で歩けますから!!」
下ろせと講義と抵抗を試みるが、緒方はビクともしない。彼は靴を脱ぎ、揃えられたスリッパに履き替えると、トロフィーや校旗が飾られているショーケースの脇に伸びる少し薄暗い廊下へ歩を進める。
漂う空気はひんやりとしていて、人が発する音と言えば二人の呼吸と一人の足音のみで、緒方の言う通り人気は無さそうだ。
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"第二保健室"
そこは島外から転入してきた生徒を保護する場所である。普段、一般生徒が怪我や病気などの諸症状があった場合に利用する保健室と用途が異なり、"島外"からきた生徒専用となっている。
第二保健室の場所は教師や来賓などが専用で使うA棟の一階、突き当たりになる。A棟への出入りは教師陣だけが持っているIDカードがないと出入りできないようになっており、もし生徒が出入りをする時には、基本教師が同伴しないと立ち入りできない。
そんなA棟の片隅・・・厳密に言うと一番突き当たりにその部屋は存在する。扉についているすりガラスの小窓からは部屋の明かりが漏れて、ぼんやりと扉の前に立つ人間の顔を照らす。
一般の生徒が立ち入れない、ましてや滅多にやってこない島外からの転校生専用……普段ここに縁もゆかりもない生徒達には謎の多い場所とあって、囁かれている噂は様々である。
根も葉もない様々な噂話の中で唯一真実を語っているものといえばーーーー第二保健室の主と言われる保健医についてくらいだ。特にこの件の人物の話は、男子生徒よりも女子生徒の間でしばしば話題に上がる。
年頃の女子生徒達の口々に語られるのは『第二保健室の保健医は、誰もが一度目を奪われる程に容姿端麗である。まるで絵にかいたような王子様のような男性』やら、『視線が合うとふわりと微笑み会釈をして、こちらが声を掛けようと一言目発する前にスッといなくなってしまった』等…年頃の乙女たちの淡い恋心と好奇心を擽るには御誂え向きなものばかりだった。
そんな噂のど真ん中、第二保健室の主人の男は今日も今日とて誰も訪れる気配もなく、事務机の上に置かれたノートパソコンと現在進行形でにらめっこ中である。画面には本日付の地元紙(ウェブ版)だ。1面にはデカデカと『女王候補決定!!』の文字が、我が物顔で占拠している。男は小さく息を吐くと2次元の中でページを捲った。
彼が記事に夢中になっているとコンコンとノックがされる。ビクッと顔を上げ、動揺を含んだ声音で返事をすれば見慣れぬ女生徒をお姫様抱っこした燕尾服の男が入って来たではないか。さらなる驚きに一度瞬きをし、男は平常心を取り戻すと口を開いた。
「おはようございます、急患かな?」
女生徒をお姫様抱っこしている赤い瞳の男がそれに返す。
「おはようございます、先生。少しこのお方を見ていただけませんか?」
視線の先には怯えたような表情を浮かべ、不安そうに抱き上げている男の服を握り締める女生徒。どうやら"このお方"というのは彼女の事のようだ。心配そうに女生徒を見る彼と女生徒を交互に見れば男はこちらへと言って、本来ならばこの場にそぐわないだろうふかふかのソファーへ二人を導く。
女生徒を下した燕尾服の男はソファーに腰掛けず、女生徒の背後に回って佇む。女生徒は不安げに燕尾服の男を見つめ、行く当てがなくなった腕で自身の鞄を抱きしめて震えている。彼女の仕草と目の奥に浮かぶ怯えを確かめると主の男は頷き、燕尾服の男へ視線を向けると微笑んでみせた。
「彼女は動揺しているようだから、ある程度時間はかかるけれど落ち着けば問題ないよ」
「大事なくて良かった」
燕尾服の男はほっと胸を撫で下ろす。
「さて、朝礼の時間まであと少しというところで来てくれたから…とりあえず先に担任と学年主任に連絡を入れなくちゃいけないね。学生証を見せてくれるかな?」
女生徒は頷いて制服の胸ポケットから紺色のカバーに包まれた学生証を取り出して差し出す。しかしその視線は下を向いてしまっていて、先程見えた焦げ茶色の美しい瞳を拝むことはできない。
”ちょっと残念だな”と内心苦笑してみせ、受け取った学生証に記載されているプロフィールでクラスと名前を確認し、内線電話で担任と学年主任に連絡を済ませる。そして、二人の方へ戻ると向かいのソファーに腰掛け、女生徒に学生証を返した。
一つ呼吸すると第二保健室の主は柔らかく微笑み、一言
「第二保健室へようこそ、隔離されたお姫様」
第2話 隔離された主 END
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