[礼の心]10
俺は水に濡れたパーカーをかぶって、それから裾で口を覆いながら煙の充満した部屋を急いだ。
玄関からすぐの広い部屋に先生と小さな女の子がいた。
あれが、ひな…か
女の子は動けないように先生に抱えられたまま、堪え切れない恐怖で泣いていた。
虚ろな表情だった先生は俺を見るとハッとしたように立ちあがった。
その動作で女の子も一層激しく泣いた。
「お前か。なんでこんなとこに来た?説得しようったって無駄だぞ。何を言われたってもうおしまいだ」
説得しようとなんて思っていなかった。
俺は、フード付きのパーカーを脱ぐと、そのまま先生に言った。
「その子離してやれ。怖くて泣いてる。かわいそうだ」
「うるさい!こいつは柚稀の身代わりに連れて行くんだ。あいつはその罪の意識を一生背負うんだよ」
「…それなら、なおさらその子がかわいそうだ。離してやって」
俺が嫌に冷静だったから、先生は不思議な顔で沈黙した。
俺も、自分でも不思議なくらい、とても冷静だった。頭の中が静かで
どこかなげやりみたいに、それでもせめて優しく言った。
「俺が代わりに、あんたと一緒にいってやる」
「…は?」
言ってから、なんだか少しはずかしくなった。
ほんとに何言ってんだ俺は………
だけど
外にいるはずのくにひこと、かわせの姿が脳裏をかすめた。
「俺じゃ、…だめか」
「ははは、」
先生が頭を抱えて小さく笑った。
先生が俺から目を離したその瞬間、ぐいっと強い力で後ろに引っ張られた。
痛いくらいのその力の先に、国彦の横顔があった。
冷静だった俺の頭ん中が、途端わっと思いだしたように混乱し始めて、おろおろとただくにひこの背に隠されるみたいに押しやられながら
「ばかかれえ、絶対そんなの許すか」って本気で怒った声で言われて、俺は全身の力が抜けそうになった。
「くそ、くそおお、五嶋またお前だ!!お前こそ俺と死んで償え!」
くにひこの姿を見た先生は激しく逆上し始めて、そう叫ぶと女の子を離した。
わっと泣きながらくにひこに抱きついた少女に、俺はあわててさっきまではおっていたパーカーを頭からかぶせて口を覆って抱きしめた。
頭の上からくにが俺を呼んだ。
もう、涙目と煙で、すっかり滲んだ真っ赤な視界にくにひこの顔が間近にあるのだけ感じた。肩を掴まれた腕がとても熱かった。
「れえ、頼む陽菜つれて外出て」
「…嫌だよ、だってお前は…?」
「れえ早く」
「嫌だ!嫌だ!!絶対にダメだ!」
「れえ、すぐ後追って出るから、な。」
ああ、
こんな時なのに、俺
くに、お前の事、本当に好きなんだ
離れたくないよ
「…絶対、生きて出てこなきゃ、ぶっ殺す」
「……わかった」
国彦に、そっと押されて、俺は走り出した
木下の叫び声が聞こえた
それから施設の外に出るまでは無我夢中で細かな事は覚えていない
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