第5話

その痛々しい姿を半ば呆然と確かめていると、

川瀬の方は自分のした問いの答えを聞く前にすでに俺の隣に腰掛けようとしている。


「何もしねーならいいよ」

「あはは、くにひこ先輩女の子みたい」

そう笑うと遠慮なく距離をつめて、もうすこししたら肩に頭でも乗っけてきそうなくらいだ。

川瀬の顔をのぞき見た。

朝日に照らされて唇の端が切れて微かに血が滲んでいるのが見えた。


「別れたいって言うとそんなんされんの?こえーな」

「うんでも、俺もヒドい事言っちゃった」

「じゃあ、あいこか」

「しかも別れないんだって。別れるなら俺殺して自分も死ぬって言うの。本気じゃないかもしれないけど…怖いよね」


そんな真面目に怖い話してんのに、

川瀬の頭はもう俺の肩に当たり前みたいにもたれかかってたし、それどころか右手は俺のベルトをいつの間にかとらえていた。

いやいやいや、いっそすがすがしい…つうかむしろ笑えてくる

「…て、言いながらチャック探んな」

「ばれた」


川瀬はしばらく笑ってから、そして急に力なくまたぽてりと俺の肩に頭をもたれさせた。

さっきよりも脱力しているのがわかる。じっとりと体重が寄りかかっている。

「……疲れた。もう、なにも考えたくない」


演技かもしれない、それくらいしおらしい声だった。

自分の事でいっぱいいっぱいだったのとこれ以上関わるのが面倒だった俺も、さすがに心配になってくる。

大丈夫か尋ねようとしたら、俯いて寄りかかったまま、川瀬は俺の腰にするりと手をまわして抱きついた。


「…こら離せ。今やべーから」

「何がやばいの」

「俺も考えたくないから」

「いいじゃん、なら」

「だーめだ」


強く引き離しても、猫みたいな柔らかさで次の瞬間には俺の懐に滑り込んでくる。

遮るのすら途中から億劫になった俺は、身体から力を抜いた。


「すきなひと、できたから別れるって言ったの。ねえ、誰の事かわかるでしょ」

「……あ?」

「好きなの。また、可愛がってほしいの」

そう言うと川瀬は跨って、正面から上目づかいで俺を見た。

「ねえ、くにひこ先輩どんな子が好きなの?ビッチは嫌い?次からはちゃんと嫌がるから」

「はは、何だよそれ、そんなん意味ねーだろ。いいよ別に」

「カレシになってくれるの?」

「なんないよ」

「どうして?」

「俺の事本気なわけじゃないじゃんお前、身体でわかるよ」

「…え?」


川瀬が本当にきょとんとした顔で俺を見つめた。

や、ほんと何言ってんだ…俺。

でも、

別に全部が全部演技ってわけじゃないのはわかるし、見上げてくる熱を帯びた言葉に白々しさは感じられないんだけど。

見えないベールが一枚間に挟まっているような感覚を出会った時から感じていた。

俺にとっては、こないだも今日もどこか川瀬の接し方には心地いいといっていいくらいのがあった。


「なんの旨みがお前にあって、俺にこんなんしてんのかわかんねえけど、俺は俺で、

どうしたらいいかわかんなくなって色々想いを持て余してたから、少しすっとした。」

川瀬が跨ったまま俺から少し身を離した。逆光でやはりはっきりとは見えないが、どこか年相応な、そしてきっと見た事の無い冷静な表情をしているように感じた。

「……俺、くにひこ先輩の役にたったの?」


そうぼんやりとつぶやいた川瀬の事が、初めて本当に不憫に思えて、俺は川瀬の頭をぽんと撫でた。


「役にたつとか…わざと変な言い方するな」



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