第34話 『雅美』
舞子がアシスタントを務めるようになって東京メトロテレビの『夕方真っ最中!』の視聴率は急激にアップした。その勢い、在京キー局である湾岸テレビの『楽しいニュース』を押しのけ、首都テレビの『ニュース・スター』に追いつかんばかりである。こうなると、テレビ各局の首脳陣は「水沢舞子を起用した方がいいのではないか?」とか「ジャリーズ事務所に過剰に遠慮する必要はないかもしれない」といった意見が続出するようになり、舞子の株は水面下で上がってきていた。当然、其田事務所にも舞子に対するオファーが日に日に増え、舞子の女優復帰が見えてきた。しかし、舞子はオファーに難色を示した。
「どうしてだ?」
と問う其田に対し、舞子はこう答えた。
「有象教授には、たいへんお世話になりました。女優の仕事がくれば番組を休むか、降板するしかありません。たった二、三ヶ月の腰掛けでは教授の恩に報いることができません。最低でも三年はアシスタントを続けたいです」
其田は言った。
「その気持ちはわかるが、今のチャンスを逃す手はないと思うぞ。舞子は芝居をしたいんじゃないのか? それとも、タレントに転向して、バラエティ番組に出演する道を選ぶのか?」
「いいえ、あたしは女優です」
「それじゃあ、なおさらのことオファーを受けた方がいいんじゃないか?」
「でも、テレビ各局から干されたあたしを救ってくれたのは、有象教授と東京メトロテレビです。それを裏切るような真似は絶対にしたくありません」
舞子はきっぱりと其田に告げた。
「そうか……舞子がそう言うなら、好きにするといい」
そう言う其田は少し不満げであった。
そんなある日、『夕方真っ最中!』の収録終わりに、有象教授は舞子と其田、それに馬場正子を夕食に誘った。舞子と二人だけの食事だと、また写真週刊誌に嗅ぎつけられるかもしれない。有象の気遣いだった。
「水沢くんが番組に出てくれるようになって、番組が華やかになったね。視聴率も上がって言うことなしだよ」
有象はワイン片手に喋り出した。
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
舞子はお礼を言った。
「そのことなんですがね」
「はい」
「水沢くんの本業は女優だ。いつまでもローカル局の情報バラエティに出演する器じゃないと思うんですよ。今の立ち位置では役不足でしょう。そう思いませんか?」
「えっ?」
「君は、本来の女優の道に戻るべきだと思う」
有象は舞子を諭した。
「でも、それでは教授に恩返しができません」
舞子は反論する。
「いや、もう十分恩返しはしてもらいました。視聴率も上がったし、東京メトロテレビの認知度も上がりましたからねえ」
「…………」
「そろそろ、本業に戻ったらどうだろう?」
「…………」
口ごもる舞子に、其田が助け舟を出した。
「先生、そうすると、舞子は番組降板ですか?」
「ええ、そうです。すでに代わりのアシスタントも見つけてあります」
「誰ですか?」
其田が聞く。
「吉原美穂くんですよ。彼女、怪我をして舞台を休んでから、仕事が来ないそうです。プロデューサーの鹿馬さんに事務所が直接売り込みにきたそうですよ」
「ほう」
「水沢くんは私の期待以上に活躍してくれました。今度は不幸を背負ってしまっている、吉原美穂くんにチャンスを譲ってもらえないですか?」
「…………」
舞子は口を開かない。
「どうかですか?」
有象の問いかけに、舞子はやっと喋り出した。
「教授のお気持ちがそういう方向に向いているのなら、あたしは退きます」
「そうですか。ならば、水沢くんは女優の仕事に集中してください。陰ながら応援させていただきますよ」
「はい。ありがとうございます」
そう言いつつ、舞子は複雑な表情をした。
湾岸テレビの臼杵プロデューサーと脚本家の二山が、其田事務所を訪ねてきたのは、数日後のことだった。
「ドラマのオファーですか? ジャリーズ事務所はいいんですか」
其田は率直に尋ねた。
「そうです。たかが、一芸能プロダクションを敵に回しても、どうこうないです」
臼杵が答える。
「ところで、舞子はどんな役ですか?」
其田の質問に、二山が答える。
「冬枝雅美役です」
「えっ?」
「僕は雅美のことをドラマで、その生涯をあらわしたいと思っています」
二山が意気込む。
「雅美を……」
「だから、雅美の親代わりだった、其田さんに許可をいただきたい」
「雅美……あれが亡くなって二十年になります」
其田は遠い瞳をした。気持ちは二十年たっても色あせていない。
「雅美は今でも、伝説の女優として輝いています。でも、若い視聴者は雅美を知りません。それを舞子くんに演じてもらいたい」
「しかし、二山さんはコメディーが専門ですよね。私は雅美をコミカルには扱ってほしくない。大事な女優です」
「大丈夫ですよ。僕だって、真面目な台本を書くことができます。雅美は僕にとっても憧れの女優だった……」
今は亡き、冬枝雅美は天涯孤独の身であった。それが其田と出会ったのは、雅美十五歳の時だった。その頃、其田は芸能事務所を開いたばかりであった。大手プロダクションの敏腕マネージャーだった其田は、俳優、
その後は、とんとん拍子にことが進んだ。雅美の美貌と確かな演技力で急速にスターダムに乗った。其田は雅美のマネジメントにのめり込んだ。ホームドラマ、時代劇、アクションものと、雅美は八面六臂の活躍をした。だが、同時に病魔が雅美の体を侵していた。迂闊にも其田はそれに気がつかなかった。なぜ、気がつかなかったのだろうと、其田は思う。そして、大女優の称号を受ける一歩手前で雅美は力つきる。最期の言葉「死んでも女優はやめない」という雅美の叫びを其田は忘れることができない。
「雅美の役を舞子がやるんですね」
其田は臼杵と二山に聞いた。
「そうです。これ以上の適任者はいないでしょう」
臼杵は言った。
「舞子は雅美と似ている。姿形だけでなく、生い立ちも、演技に対するストイックさも。さしずめ、二代目、冬枝雅美だ」
二山が続く。
「雅美は雅美であって、舞子ではない。そこのところをお間違いなくお願いします」
「でも、舞子は雅美になりきるでしょう」
「そうですね」
其田は深いため息を吐いた。
舞子は冬枝雅美のことを知らなかった。其田は雅美の写真を舞子に見せた。すると舞子は、
「お母さん」
とつぶやいた。
「えっ? 何を言っているんだ。雅美は未婚のまま逝ったのだぞ」
其田が口を開くと、
「でも、唇の左側のほくろの位置まで同じです」
舞子は反論した。
「まさか……」
其田は頭の中で検証した。舞子は今、二十歳。雅美が亡くなった年に生まれた。その頃の雅美は超売れっ子で多忙な日々を送っていた。密かに子供を産むなど考えられない。考えられる結論は、他人の空似と言うことだ。
「舞子、お前のお母さんは今どこにいる?」
其田は聞いた。
「わかりません。父も母も行方知れずです」
「そうか、悪いことを聞いてしまったな。でも、雅美がお前の母親ということは物理的にありえない。世の中には、三人、自分に瓜二つの人間が存在するという。きっと、お前の母親は雅美と同じ顔をしていたんだろう」
「社長、この写真をもらってもいいですか? あたしは母の写真を持っていません。代わりにお守りにします」
「ああ、それならばいいよ」
「ありがとうございます」
舞子は雅美の写真を丁寧にしまった。それから、其田は舞子に雅美の人となりを話した。出会いから永遠の別れまでである。舞子は真剣にそれを聞いていた。その際、メモの類は一切取らなかった。頭の中に冬枝雅美を叩き込もうとしているのだ。そうしているうちに、舞子の心の中に雅美が生まれた。舞子の脳に次第と雅美が滲みこんでくる。やがて、九分九厘、舞子の心は雅美になっていった。その姿を見て、其田は思わず、
「雅美!」
と言って、舞子を抱きしめた。二十年間の空白が埋まったのだ。このドラマは成功する。其田は確信した。
ドラマの撮影は秘密裏に始まった。たぶん、ないだろうと思われるが、ジャリーズ事務所が横槍を入れてくるかも知れない。だから、出演者も非ジャリーズで固められた。其田の役はベテランの
「おいおい、現実とのギャップが激しすぎるよ」
其田はキャスティングを責めた。でも、顔は笑っている。結局のところ、二枚目俳優に自分を演じてもらうことが嬉しいのだ。若き頃の二山幸雄役には川崎健人がなった。他にも生前の雅美と親交のあった役者たちが、友情出演の形で登場する。華やかな開幕だ。でも、こうなると、隠密裏には撮影できない。当然、ジャリーズ事務所の耳にも伝わっているだろう。
しかし、ジャリーズ事務所は何も言って来なかった。世間の風が舞子に吹いたのだろう。それどころか、所属タレントの中島飛翔と滝翼を出演させて欲しいと言ってきた。雪解けはなったのである。
撮影のスタートは、雅美(水沢舞子)が其田(草舟正雄)に見出されたところからスタートした。何もかもが順調に運ばれていた。その時が来るまでは……
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