第33話 回り道

 春になった。

 舞子への仕事のオファーは全く途絶えてしまった。業界に巨大な権力を持つ、ジャリーズ事務所が、各方面に圧力をかけ「水沢舞子を使うな」と言って来ているらしい。舞子が活躍すればするほど、大看板である、三笠拓也に傷がつくという考えからだ。舞子の所属する、其田事務所はそれにあらがう力を持っていない弱小プロダクションだ。事務所のエースである舞子に仕事が来ないのは其田事務所にとって大きな痛手だった。経営の危機である。其田は懸命に各所を回って、舞子の仕事を求めたが、いい返事はもらえなかった。湾岸テレビの臼杵プロデューサーは其田に「時の経つのを待て」と進言した。


 舞子は毎日、大学に通っていた。他にすることがなかったからである。舞子は演技以外なにもできない人間である。その舞子から仕事を奪う。舞子は両腕をもがれたような気持ちだった。

 キャンパスには黒上純子も、肥後太郎(芸名・加藤虎将)もいない。純子はテレビサンライズにおいて、3クール連続で主演を務め、太郎も持ち前のルックスと“月9”での、新人ばなれした演技が認められて、ジャパンテレビの新ドラマで重要な役柄を与えられていた。一気にスターダムに乗った感がある。

 舞子は一人、淡々と講義を受け、中庭で一人さみしく昼食をとる。この前までの賑やかな時が懐かしい。状況は一気に変わってしまったのだ。


 そんな舞子に誰かが声をかける。振り向くと有象無蔵教授だった。

「ここ、いいですかね?」

 有象が尋ねる。

「はい」

 有象はベンチに腰掛けた。そして、

「芸能界から干されているんだってね」

とズバリ聞いた。

「そうみたいです」

「辛いですか?」

「芝居ができなくなって、さみしいです」

「そうですか……ところで、私が東京メトロテレビで『夕方真っ最中!』という番組のMCをやっているのはご存知ですか?」

「すみません、知りません」

「それは残念。でね、その番組のアシスタントが急に辞めることになってしまったのですよ」

「それは、たいへんですね」

「そう、それでスタッフ一同、頭を抱えていましてねえ」

「でも、それがあたしに何か関係があるのですか?」

「大あり、大ありです。後任のアシスタントに、水沢くんがなってはくれませんかね?」

「えっ? でもあたしは女優ですから、情報番組には向いていませんし、出演する気もありません」

 舞子ははっきりと断った。しかし、有象はこう言って口説く。

「短慮は損だよ。君は今、干されている。映画やドラマの仕事は来ないでしょう。そこで何もしなかったら君は芸能界から消えてしまいます。それよりもね、情報番組に出演することで、『水沢舞子ここにあり!』とアピールをすれば宣伝効果は莫大です。やがてドラマなどのオファーも来るでしょう。芸能界はジャリーズの独占国家ではありません。挽回は可能です」

「でも、あたし鈍臭いから生放送で臨機応変なお喋りができません」

「君は女優でしょ。アシスタントの役を演じるつもりでやればいいんですよ」

「アシスタントを演じる……でも、東京メトロテレビにも圧力がかかっているのではないですか?」

「大丈夫、東京メトロテレビにジャリーズ事務所の所属タレントは出ていません。安心してください」

「では、社長と相談してみます」

「それがいいですね」

 そう言うと有象教授は立ち去った。


 舞子は寮に帰ると、社長の其田に有象の話をした。すると、其田はギョッとした顔をした。

「有象の奴、日本芸術大学にいるのか!」

「はい」

「しかも、舞子に仕事の話をふって来たんだな」

「そうです」

「なあ、舞子。有象の奴と関わるのはやめたほうがいい」

「何でですか?」

「奴はなあ、業界でも有名な女ったらしなんだ」

「そうなんですか? あたしにはとても優しい紳士に見えます」

「そう、確かに奴は優しい。それに年の割には背が高くて格好がいい。だが、それが曲者なんだ。奴の優しさに触れた女性はみんな有象に惚れてしまう。有象はそれにつけ込んで、共演者たちとすぐに深い仲になってしまうんだ。そんな奴に舞子を近づけたくない」

「でもそれって、あたしが注意すればいいことなんじゃないですか?」

「まあ、そうなんだが……」

「あたし、気を引き締めてやります。誘惑には屈しません。今、あたしは芸能界から干されています。だから、番組に出演することで女優復帰の足がかりにしたいんです」

「そうか……そこまで言うのなら、私が直接、有象の奴に会って釘を刺そう」

「お願いします」


 翌日、其田は有象に面会した。

「この度は舞子をお引き立ていただき、ありがとうございます」

 まずは社交辞令だ。

「いえいえ、大したこともできませんで申し訳ありません。ただ私は、教え子の窮地を救うお手伝いをしたかっただけで」

 有象の物腰は柔らかい。

「で、早速お聞きしたいのは、前のアシスタントが急に辞められたと言うことなんですが、どういった事情なのかということなんですが? 舞子にも関わることなんで教えていただきたい」

「ああ、正直私もわからないんですよ。其田さん、煙草を吸ってもいいですか?」

「どうぞ」

 有象は胸ポケットからチャビンを取り出し、ライターで火をつけた。

「有り体に聞きますよ。有象さん、あなたがアシスタントに手をつけたんじゃないですか?」

 其田は核心をついた。

「ははは、お疑いはごもっともです。私も数々の浮名を流しましたからね。其田さんも水沢くんのことをご心配になっているのでしょう。でも、安心してください。私、内縁ですが妻をめとりましてね、この妻が、案外嫉妬深くて、私に『浮気をしたら、殺す』と宣言しているんですよ。私も命が惜しい。だから、女遊びは卒業です」

 有象は煙草をふかしながら言った。

「本当ですか?」

「神に、いや妻に誓って」

「にわかには信じられないですが、そこまで言うなら信じざるを得ないですね」

「そうでしょう。私の妻は怖いんです」

「話は変わりますが、舞子はアシスタントとしてやっていけるでしょうか? あれは緊張症で、しかも、生放送に慣れていない」

「大丈夫ですよ。放送事故にならない程度に、とちってくれれば、番組の良いスパイスになりますよ。それに水沢くんには『アシスタントの役を演じる女優の気持ちになるように』と伝えてあげていますから。彼女のストイックさから見れば容易いことです」

「はあ」

 饒舌な有象の話に、其田はため息をついた。

「ところで、東京メトロテレビの関係者と打ち合わせをしなければなりませんね。これから、行きませんか? 水沢くんも講義が終わる頃でしょう。一緒に私の車で行きましょう」

「そうしますか」

 其田と有象の面会は、有象の圧倒的勝利で終わった。さすがは大学教授、喋りは天才的である。


 東京メトロテレビは東京ローカルのテレビ局である。だが、神奈川や埼玉の一部では視聴することができる。キー局の系列ではない独立局だから、自前で番組を作らなくてはならない。だから、ドラマやアニメなどのコンテンツは他局との契約が切れたものを放送していた。それが「懐かしい」と好評を呼び、視聴率はそこそこ上がっている。でも、一日中アニメを放送しているわけにも行かないので、生放送の情報バラエティーを朝昼晩と流している。『夕方真っ最中!』もその一つだ。


 麹町の東京メトロテレビに到着した、舞子、其田、有象は早速、プロデューサーの鹿馬信之しかば・のぶゆきに会った。鹿馬は舞子を見て、絶句した。

「み、水沢舞子……」

「鹿馬さん、なに驚いているんです?」

 有象がにやけて言う。

「有象先生の教え子というから、てっきり田舎娘が来ると思っていたもんで」

「水沢くんは、私の教え子だよ。起用してくれるかな?」

「もちろんです。話題性もバッチリ。グットタイミングです」

「じゃあ、決定だ。今日から出演してもらおう」

 有象の言葉に其田はびっくりした。

「今日からですか?」

「そう」

 有象が事も無げに言う。

「台本は? リハーサルは?」

「台本、ありますよ。こんな薄っぺらなものですがね」

 有象が顔の前でヒラヒラさせる。

「ちょっと失敬」

 其田は台本を借りて読んだ。そこには大まかなタイムテーブルと、有象、ここで面白いことを言うとか、アシスタント一言発言などという、簡単な説明書きしか書いていなかった。

「こんな台本で、二時間もつんですか?」

 其田は心配になって聞いた。

「大丈夫ですよ。私も、コメンテーターのみなさんもベテラン揃いですから」

 有象は平然と答えた。

「舞子、大丈夫か?」

 其田は尋ねる。

「大丈夫です。あたしはアシスタントを演じるだけです」

「アシスタントを演じる?」

 有象が先ほど言った言葉だ。

「ええ、あたしはこの番組を舞台のワンシーンだと思ってやります」

「そうか……」

「さあ、あたしに台本をください」

 舞子は鹿馬プロデューサーに手を広げた。


 午後四時。

——ゆうもあ先生の『夕方真っ最中!』

 番組が始まった。ゆうもあ先生というのは、有象のニックネームだ。

「こんにちはとこんばんわの中間点、いかがお過ごしですか? 有象無蔵です。まずはコメンテーターのみなさんをご紹介しましょう。まずは経済アナリストの湖池屋卓郎こいけや・たくろうさん」

「よろしくお願いします」

「続いて作家の石井志摩子いしい・しまこさん」

「よろしく」

「最後はおなじみ、ウメコ・マーベラスさんです」

「ごきげんよう」

「さて、最初はみなさんにお知らせがあります。当番組に新しいアシスタントが仲間入りすることにまりました」

「アシスタントごときに大げさねえ」

 ウメコが言う。

「美人だといいなあ」

 湖池屋が舌舐めずりする。

「では、入ってきてもらいましょう。新アシスタントはこの人です」

 舞子がスタジオに入る。

「ええっ!」

「水沢舞子? 本物?」

「なんで、なんで?」

 コメンテーター陣は大騒ぎになる。事前に伝えられていなかったのだ。

「まあまあ、みなさん落ち着いて。水沢さん、自己紹介を……とは言ってもほとんどの人が知っているか」

「水沢舞子です」

 相変わらず、短い挨拶だ。

「あんたさあ、率直に聞くけど、某アイドルタレントとの関係はどうなってるの?」

 いきなりウメコが先制パンチを入れた。

「ええ、食事は二人でしましたけど、恋愛感情はありません」

「でも、ラブラブだったらしいじゃない?」

「そういう役柄だったから、仕方ありません」

「役柄になりきっていたってこと」

「そうです。あたしは女優だからどんな役にでもなり切らなくっちゃならないんです」

「じゃあ『ライバルを探せ!』の時の変な役にもなりきってたの?」

「はい」

「すごいじゃない。わたし、実はねえ、あんたの演技の大ファンなのよ」

「ありがとうございます」

「他に質問はありますか?」

 有象がコメンテーター陣に尋ねる。

「今度、舞妓さんの人形買ってきますから、それにサインしてくれますか?」

 湖池屋が言う。

「はい」

「やったー、コレクションが増える」

 湖池屋は喜んだ。続いて石井が、

「あたしの書く、ドロドロとしたドラマに出演依頼が来たら出演してくれる?」

と質問した。

「はい、オファーがあれば、どんなドラマにも出演します。でも、今あたし干されてるんです。出演オファーがくればいいんですが……」

 さらりと舞子は爆弾発言をした。スタジオに一瞬、冷たい空気が降りてきた。


 それから、月曜日から金曜日まで、舞子ははつらつと『夕方真っ最中!』のアシスタントの役をこなした。それは演技のできない悔しさをアシスタント役を演じることで晴らしているかのように見えた。


 そんな舞子に運命の時が訪れる。

 

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