第32話 スキャンダル

 舞子はまた大学に通いだした。其田が学業を優先させるよう、スケジュールを調整してくれたからだ。映画の撮影に入った頃は梅雨の終わりだった。でも季節はもう秋。時の流れの速さを感じる。


 舞子が『文学論』の講義を受けようと席に座っていると、

「久しぶり」

と声がかかった。舞子が振り返ると、そこには黒上純子がいた。

「ああ、純子ちゃん」

 舞子が声をあげた。純子と会うのはいつ以来であろう。春先のことであっただろうか? 純子は春のドラマで主役を張り、入学してすぐに撮影に入ってしまった。そのあと、それに入れ替わるように舞子が映画の撮影に臨んだから、二人はすれ違っていたのだ。

「舞子ちゃん、映画見たわよ」

「そう」

「感想を聞きたくない?」

「いいわ。もう終わったことだもの。あとは観客の皆さん、一人一人が何かを感じてくれれば、それでいいの」

「なあんだ、つまらない。せっかく褒めてあげようと思ったのに」

「あたしにとってはクランクアップしてしまえば、それでおしまい。でも、たくさんの大物俳優さんと共演できてよかったわ。とっても勉強になった」

「そうなんだ。わたしのドラマは若い俳優さんばっかりで、勉強になることは何もなかったわ。逆に、演技指導までしてあげたのよ。みんな、正直下手だから」

「教えることで、何かが見つかることもあるわよ」

「でも、今回は全然。わたしも大物俳優さんと共演したいなあ」

「純子ちゃんならすぐにオファーが来るわよ」

「ならいいけれど」

 チャイムがなった。大学講師というものは、講義開始から十分遅れてきて、十分早く講義を終えるのがマナーだ。だから、舞子と純子のお喋りは続いていた。

「舞子ちゃん、今後のスケジュールはどうなっているの?」

「うん、暮れに二山さん演出の舞台に出るの。『偉大なる王と女詐欺師』の再演。それまではフリー。ああ、あとはキャルピスウォーターの新CMの撮影がちょこっとあったわ。純子ちゃんは?」

「わたしは冬ドラマの撮影が決まったの?」

「主演?」

「そう。わたしばっかり主役だと飽きられるような気がするけど、湾岸テレビの臼杵さんがどうしてもって言うの」

「信頼されてるのね」

「湾岸テレビは視聴率が悪いから、ほんと言うと出たくないんだよな。でも臼杵さんとは子役の時からお世話になっているから」

「そうね」

「舞子ちゃんだってお世話になっているじゃない。舞子ちゃんを主演にしたら面白いのにね」

「あたしはキワモノ女優だから……」

「もうみんな、忘れているよ。映画の可憐な演技、素晴らしかったよ」

「ありがとう」

 二人が話していると、講師の有象無蔵うぞう・むぞう教授が入ってきた。彼はいわゆるタレント教授で、単位が取りやすいことで有名だった。それにタレント業が忙しくて休講が多い。なので、大学で人気ナンバーワンの教授だった。悪い意味でだが。

 講義に出席している学生はまばらだ。講義を受けなくても、期末の試験で得点をあげれば、合格してしまうのである。その試験問題も、

『何か面白いことを一つ述べよ』

と言うシンプルを通り越して、学生をおちょくっているかのような問題だった。人生、生きていれば面白いことの一つや二つはあるだろう。それをただ書けばいいのだ。これは受講生全員が合格となって当たり前である。


「さて、講義を始めようか?」

 有象が口を開いた時、入り口から一人の学生が走り込んできた。

「何も、大慌てで来る価値のない講義だよ。まずは息を整えなさい」

 有象は講義を邪魔されて怒るどころか、学生の身を気遣った。

「ハアハア、すみません。アルバイト先で残業を頼まれたので、遅れてしまいました」

 そう答える学生は、肥後太郎であった。

「その努力に感銘した。君には単位をあげよう。A評価だ。来週からはバイトに精を出しなさい」

「ありがとうございます。でも、僕は教授の講義が好きなんです。次からも出席させてください」

「嬉しいことを言ってくれるね。私は感動したよ」

 有象は眉間を押さえた。

 その時、太郎は舞子を見つけた。隣の席に座る。

「やっと帰ってきたんだね。あとで、講義のノート見せてあげるよ。そのお隣さんはお友達? あれ、黒上純子さんだあ」

 驚く、太郎。黒上純子は舞子に比べて、圧倒的に知名度が高い。

「なあに、舞子ちゃん。わたしの知らない間に、彼氏ができたの?」

 純子が素っ頓狂な声を上げる。

「か、彼氏じゃないわ。肥後くんはお友達」

 舞子は真っ赤な顔で、否定した。

「へえ、奥手の舞子ちゃんがねえ」

「違うってば」

 二人がきゃっきゃと戯れる。肥後太郎は置き去りにされたままだ。そこに有象教授が割って入ってきて、

「お二人さん。楽しい恋バナもいいですけどねえ。少しは僕のつまらない講義を聴いてくださいな」

とやんわり注意した。


 昼休み。

 純子と舞子、肥後太郎は大学の中庭で昼食を食べた。それはいいのだが、なぜか有象教授もついてきた。

「有名女優のプライベートを取材して、今後の作品に生かしたい」

 有象は大学教授のかたわら、小説家でもある。二足の草鞋を履いているのだ。小説はそこそこ売れているらしい。

 純子は手作りのサンドイッチ、舞子は寮のおばちゃんが作ってくれたおにぎり。太郎は相変わらず、アンパンと牛乳だ。そして有象は豪勢な重箱に入った、弁当を開いた。完全に場違いだ。

「ねえ、舞子ちゃん。本当に肥後くんと付き合っていないの?」

 純子が尋ねる。

「本当よ。あたしには恋愛なんてしている余裕はないわ。ただ、ノートの貸し借りをしているだけ。ね? 肥後くん」

「そうだよ、黒上さん。僕だって生活費を稼ぐためにアルバイトで忙しいんだ。それに、天下の水沢舞子さんと付き合うなんて、恐れ多いことはできないよ」

 すると、有象教授が口を出してきた。

「別に、相手が女優さんだったって、好きなら付き合えばいいんじゃないですか?」

「そうよ。肥後くん、舞子ちゃんのことが嫌いなの?」

「えっ? き、嫌いじゃないけど……」

「舞子ちゃんはどうなの?」

「嫌いな人にノートは貸さないわ」

「じゃあ、付き合っちゃえ。付き合っちゃえ」

 純子は茶々を入れた。有象教授も、

「付き合っちゃえ。付き合っちゃえ。若いって素晴らしいな」

と続く。

「ダメよ。あたしは女優なんだから。スキャンダルは禁物」

 舞子は真剣に答えた。

「僕もそうさ。役者になるために、親の反対を押し切って、上京したんだ。ひとかどの俳優になるまでは恋愛禁止だ」

 太郎も言い切った。

「二人ともストイックね」

 純子はため息をついた。すると、有象教授が、

「肥後くんはどこかのタレント事務所に入っていたり、オーディションを受けたりしているんですか?」

と太郎に質問した。

「いいえ」

 太郎は答える。

「それじゃダメだよ。もっとアクションを起こさなくては。このままじゃ、一生、フリーターで終わっちゃいますよ」

「でも、まだ自分に自信が持てなくて」

「ならば、この有象無蔵が人脈を生かして、君をテレビに出してあげよう。初めはエキストラに毛が生えたような役だろうけど、君みたいなハンサムガイなら、徐々にオファーが来るほど人気が出るでしょう。僕はこう見えても人を見る目は持っているんですよ。君には大器の片鱗がある。今までスカウトされなかったのが不思議でしょうがない」

 有象教授が話しをどんどん進めていく。そんなにうまくいくのだろうか?


 数日後。舞子は太郎とおなじ授業に当たった。太郎は言う。

「さっき、有象教授の呼び出しを受けたんだ」

「そうなんだ」

「そしたら、ドラマの出演が決まったって」

「ええっ? 有象先生、本当に人脈があるんだ」

「驚いたよ。しかも所属事務所も決まってた」

「どこ?」

「ポリプロ」

「ああ、純子ちゃんと同じね」

「そう。それに芸名まで有象教授は考えてくれた」

「なんていうの?」

加藤虎将かとう・とらまさだって」

「素敵ね」

「で、出演するドラマというのがさ」

「なに?」

「黒上さんが主演する“月9”なんだ」

「よかったじゃない。知り合いがいて」

「まあね。それでね、話があるんだ。授業が終わったら中庭に来てくれないか?」

「話? 今ここで話せば」

「ちょっとここでは話しにくい」

「そう。じゃあ中庭に行くわ」

「ありがとう」

「何の話だろう?」

 舞子は考えた。考えるうちに眠くなり。授業を放棄して眠ってしまった。


 舞子は中庭に一番に出た。太郎、いや加藤虎将が何の話をするのだろうか? 興味津々である。太郎が遅れて中庭に現れる。ちょっと、もったいぶっているなと舞子は感じた。

「待たせてごめん」

 太郎が口を開いた。

「それほど待っていないわ」

 舞子が答える。

「話ってなに?」

「うん。僕は肥後太郎あらため加藤虎将になった。今は端役だけど、努力してビッグになるつもりだ」

「なれるわ。あなたのポテンシャルなら」

「それで、もし万が一、水沢くんと肩を並べるようになったら、結婚してほしい」

「えっ?」

「僕は水沢さんが好きだ。でも、今の立ち位置では対等に付き合えない。だから頑張って、加藤虎将という名前を全国に知らしめる。そして水沢舞子のパートナーにふさわしい男になる」

 太郎は宣言した。それに対して舞子は言った。

「仮定の話には返答ができないわ。でも、実際にそうなったら、考える。あたしも肥後くんのことは気に入っている。だから、貴方の成長を見守るわ。でもね、あたしはあくまで女優が一番。恋は二の次。それだけは覚えていて」

「うん。よくわかる」

「じゃあ、帰るね。少し頭を整理したい」

 舞子は座っていたベンチから立ち上がり、家路についた。


 舞子の冬期ドラマの出演が急遽決まった。首都テレビの日曜劇場だ。主演の三笠拓也の指名だと言う。三笠は前の映画における好演技で舞子のことがお気に入りになってしまったという。タイトルは『義兄妹』禁断の恋の物語だ。


 舞子が三笠の楽屋に挨拶へ向かうと、三笠は、

「オファーを受けてくれて、ありがとうね」

と舞子をねぎらった。三笠のドラマはかつて、常時20パーセントを越すお化け視聴率を誇ったが、最近は低迷している。そこで今、輝いている舞子をヒロインに迎えて、起死回生を狙っているのだ。


 ドラマは賛否両論を生んだ。連れ子同士だとはいえ、兄妹が愛し合うのだ。

「汚らわしい」

「子供に見せられない」

 との意見が首都テレビには殺到した。その反面、

「三笠と水沢の呼吸がぴったりで魅せる」

「舞子が健気すぎる」

「三笠は何をやっても様になる」

という、肯定的な意見もあった。そんな中、

「三笠と舞子はできているのではないか?」

「映画で夫婦役、ドラマでは兄妹にして恋人役。怪しい」

と週刊誌やスポーツ新聞の記者が張り込みを始めた。

 はっきり言ってしまうと、三笠拓也は舞子に惚れていた。舞子は役にのめり込むタイプだから、夫や恋人役の三笠を好きになるように努力し、そういうふうに付き合ってしまう。だが、あくまでそれはクランクアップまでのものだ。しかし、男の悲しさ。演技をするうちに「この娘は自分のことが好きなんじゃないか

?」と勘違いしてしまう。だから、アプローチをかける。撮影中は三笠にゾッコンの舞子だからそのアプローチに簡単に乗って来る。その結果、二人が高級レストランで夕食を共にしているところを写真週刊誌に嗅ぎ付かれてしまった。

「サンタク、共演女優と密会」

 衝撃的惹句が週刊誌の表紙を飾る。国民的スターのスキャンダルだ。世間は大騒ぎになった。

 キョトンとしたのは舞子本人だった。群がる記者に対して、

「愛する兄と食事に行くことの何が問題なんですか?」

と逆質問する。同行していた其田が慌てて取り繕う。

「三笠さんと水沢は仲のいい友達です」


 この騒ぎで得をしたのは首都テレビだろう。騒ぎが起きてから、番組視聴率はうなぎのぼり、25パーセントを超えた。ホクホクものである。そのうち、三笠の所属事務所である、ジャリーズ事務所が各方面に圧力をかけて火消しに回り、騒動は沈着した。だが、三笠のファンたちは舞子に強烈な嫉妬心を抱くものも多く、舞子は業界にとって使いづらい女優になってしまった。






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