第31話 映画『帆太郎伝』④

 映画の撮影も終盤にさしかかった。舞子はストイックに光姫の役を演じている。


 ★★★


 光姫は源重朝に誘われ、東海道を輿で下る。護衛には重朝の家臣、安達安盛あだち・やすもり竹田哲也たけだ・てつや)と熊虎狼痢くま・ころりガンツ石丸がんつ・いしまる)がついている。

 光姫は重朝の魂胆に気づいていた。自分に帆太郎の菩提を弔わらせ、その死を認識させた上で、側室にするつもりであろう。でも、絶対にそうはさせない。自分の夫は帆太郎だけだ。重朝に寄り添うことはしない。確かに重朝は親切で優しい。しかし、その裏にある欲望が光姫には見えていた。重朝は聖人君子の皮を被った野心者だ。帆太郎とは違う。それに屈する気持ちは無い。帆太郎の冥福を祈った後は、重朝の庇護の元を逃げ出し、帆太郎との嫡子、源太郎を自分一人の手で立派な武将に育てよう。そう考えていた。


 源重朝の軍は足柄峠に差し掛かった。

 宝条氏時の息子、小次郎良時こじろう・よしとき松平賢治まつだいら・けんじ)が重朝に尋ねた。

「大樹(征夷大将軍のこと)、本拠地を如何致しますか。やはり、坂東の中心、江戸でございますか」

「いや、江戸は滅亡した平氏の本拠地。縁起が悪い」

 重朝は却下した。

「では何処に」

「かつて、東の旧帝が鎌倉に都を立てたであろう。そこを大々的に改修して本拠とする」

「なるほど、ご慧眼」

「それとな、私は光姫と源太郎君をお連れして武蔵国、鶴見にある苦災寺に行き、前の大将軍、帆太郎殿の菩提を弔う。舅殿、小次郎、先見し鎌倉の縄張りを頼む」

「ははあ」

 氏時達は先発した。

 重朝は安達安盛に熊虎狼痢を引き連れ、光姫と源太郎を伴って、苦災寺に向かった。苦災寺は森の中にあり、見つけ辛い。安盛は民人に道を聞きながら、それを見つけた。

「あれが苦災寺です」

 重朝は光姫に言った。

「大樹、私は源太郎と二人で菩提を弔いたいと思います。話す事が沢山あるからです。その間、大樹は住職と面会していてくれませんか」

光姫が言った。

「そうですか。うん、そのようにされるが良かろう」

 帆太郎と最期の別れをし、その後、自分の側室になるよう口説く。重朝はその時使う美辞麗句を考えていた。


 重朝は本堂に向かった。

「なんだ、この荒れ寺は。なぜ帆太郎殿がこのような場所に葬られているのだ」

 重朝は訝しがった。

 境内には五人の修行僧がいた。

「あい済まぬ。私は征夷大将軍、源重朝というものである。ここに前の征夷大将軍、平帆太郎殿の墓があると聞き、菩提を弔いに参った。是非、住職殿にお会いしたい」

 重朝は名乗った。それに対して、修行僧は困った顔をする。

「我が師、光明法師は誠に言いにくい事ながら、亡くなった平氏一門の法要をしております。大樹殿は一門を滅亡させた方。お逢いになるのはご遠慮なされた方が良いのでは」

 修行僧の一人が言った。

「なんと、ここは平氏の菩提寺か」

「我が師は亡くなった武蔵守様らの兄でございます」

「武蔵守の兄様。それは、風花太郎平光明殿と言う事か」

「さようでございます」

「ならば、私は住職の仇。遠慮したがよろしいか」

「はい」

 修行僧は言った。しかし、その時、

「構わぬ。次郎らの最期、わしに聞かせてくれ」

住職、光明が現れた。

「よろしいので」

 重朝が尋ねると、

「戦の勝敗は時の運。そのほうに遺恨は無い」

光明は答え、本堂に案内した。

 本堂には巨大な不動明王像があった。右手に黄金の利剣、左に真珠で出来た羂索を握りしめている。恐ろしい形相である。

「次郎は、武蔵守は潔く戦い、死んだか」

 光明は尋ねた。

「武蔵守殿初め一門の方々は勇敢に戦い。落命されました。特に武蔵守殿のご最期、古式に則った見事なご切腹。介錯した我が家臣はいたく感動しておりました」

「そうか」

 光明は一瞬胸が詰まったような顔をした。

「ところで、貴殿はなぜ、坂東に来た。都に凱旋すれば栄誉を受ける事、約束されているだろうに」

 住職は聞いた。

「私は、この坂東で政を担おうと考えております」

「武家の政権を作るのか?」

「はい」

「西の都を裏切るのじゃな」

「いいえ、私は都に巣食う公家ども、中でも藤原不平等を倒そうと思うだけで、帝に歯向かう事など、考えていません」

「そうか」

 光明は考えると、

「それは国中の民人の幸せにつながるか」

そう質問した。

「そう思います」

「武蔵守は民を守り、幸せにするため力を注いで来た。そして、道半ばで倒れた。わしも昔、同じ考えを持って行動し、破れた。貴殿にその思いを託していいのか」

「はい。そのように努力いたします」

 重朝ははっきりと答えた。

「ならば良い。この坂東を基盤として全国津々浦々にその政策を広めよ」

「はっ」

 思わず、重朝は頭を下げた。


 そのころ、光姫は源太郎と帆太郎の墓標に手を合わせていた。

「あなた、あなたと過ごした日々は余りに短うございました。しかし、その濃密な時間、光は忘れません。私はこれから剃髪し、源太郎を育てながらあなたの事を思い続けます」

 涙が頬を伝う。これが帆太郎との別れだ。

 やがて、光姫はそろそろ立ち去ろうと思った。重朝の来る前に出てしまおう。重朝配下の熊虎狼痢は蛮将と知られているが、本当は涙もろくて直情の持ち主だった。彼に事情を話し、逃げるのを手伝って貰おう。そう考えている時に、誰かが声をかけてきた。

「光」

「えっ?」

 振り向く光姫。

「貴女は、光であろう」

 帆太郎だった。帆太郎は生きていた。

「光、私は戦で記憶を失い、この寺に厄介になっている。だから貴女と私の繋がりがわからない。だが、自分にとって貴女がとても大切な人だということは覚えている。貴女は一体何者なのだ」

「帆太郎様、私は、私は貴方の……妻です」

 光姫は帆太郎に駆け寄り、思いっきり抱きしめた。

「妻……そうだ、光は我が妻だ!」

 帆太郎の心が開いた。

「光!」

「貴方!」

 その瞬間、帆太郎の記憶は甦った。

「光、光!」

「貴方」

 抱擁は続いた。


「えっ? なぜに……」

 帆太郎の墓標を訪れた重朝は、信じられない光景を見た。帆太郎が生きて、光姫を抱いている。

(なぜだ!)

 心で吠えた。

 帆太郎の亡霊であろうか。いや、違う。帆太郎が生きていたのだ。しかし、こうなると光姫は我がものにならなくなる。重朝は激しい嫉妬に駆られた。そして墓標を離れ、足早に立ち去った。

 寺の外には安達安盛と熊虎狼痢が待っていた。

「鎌倉に急ぐぞ」

 重朝は不機嫌そうに言った。

「光姫と源太郎君は」

 安達安盛が聞く。

「知らん」

 そう言うと重朝は馬を走らせた。

「輿は」

「捨ててしまえ!」

 慌てて追いかける二人。訳が分からなかった。


 ★★★


 光姫を演じる舞子の顔は喜びに満ち溢れていた。三ツ池は、カメラマンに命じた。

「アップだ。舞子のアップを撮れ!」


 ★★★


 五年が過ぎた。鎌倉政権は安定し、日の本を統べた。全国に守護、地頭を置き、荘園を基盤とした貴族政権から脱却し御恩と奉公を支えにした武家政権を確立した。重朝もかつての薄弱な青年から、厳しい施政者へと変貌した。


 帆太郎は重朝に登用されなかった。重朝周囲の人間も、

「平帆太郎殿を副将として召し上げ、不測の事態に備えてはいかがですか。彼は戦の天才です」

と進言したが受け入れられなかった。皆、首を捻った。ただ、執権となった宝条氏時だけが、

「もうこの国に戦は起こらない。故に戦しか出来ない男は必要ない」

と言って重朝に同調した。だが、帆太郎を欲しがる人物は多々いた。例えば、東朝の太政大臣、藤原不足である。彼は草の者蛆虫うじむし稲刈五郎いねかり・ごろう・友情出演)を通じて、『蝦夷地にて本朝の征夷大将軍にならぬか』と誘いを掛けた。しかし、答えは、『否』だった。大恩ある新帝には弓引けないからである。他にも薩摩の国司たちから『鎮西独立に大将として参加しないか』などと謀略、革命の誘いはいくつかあったが全て断った。ただ、鶴見の苦災寺で気ままな暮らしをしていた。


 そんなある日、源重朝は主立った家臣を政庁に呼び出した。

「謀反の噂がある」

 氏時が言った。

「えっ」

 家臣団が驚く。

「一体誰が」

 皆が疑心暗鬼になる。

「安心せい、そなたらの中にはいない」

 ほっとする家臣団。

「では、誰が?」

 和田頼森が尋ねる。

「苦災寺の帆太郎だ」

 重朝が苦々しく言った。

「帆太郎殿が、まさか」

 熊虎狼痢が叫んだ。

「そのまさかじゃ」

 氏時が静かに言う。

「誰と組んでの謀反ですか」

 家臣の一人が尋ねる。

「誰かはしかと分からぬ。だがな」

 氏時は一拍置くと、

「帆太郎は獅子身中の虫。居てくれても何の役にも立たない。だが敵の大将に祭り上げられたら厄介。この際、討ち取ってしまうのがこちらの利になる」

と語る。

「余はかつて、帆太郎を尊敬していた。だが余に害するなら弑しなければならない」

 重朝は言った。

「これから、兵一万で苦災寺を囲む」

「一万とは大仰な」

 誰ともなく、声が上がった。

「たわけ、苦災寺には帆太郎の家臣の他、あの風花太郎平光明がいる。僧達も手練と聞く。獅子は兎一匹殺すのにも全力を出すのだ。まして相手は帆太郎一味。兵の出し惜しみは後悔の元だ」

 重朝は一同を叱責すると準備に走らせた。


 征夷大将軍源重朝を総大将とする鎌倉軍一万は一路武蔵国、鶴見を目指す。

「皆、奮迅し帆太郎を討ち取れ、さすれば平氏は完全に滅亡する。勝つのは我ら源氏だ」

 重朝は喝を入れた。


 そのころ帆太郎は源太郎に剣の手ほどきをしていた。源太郎は七歳になっていた。

「それ、それ、良い太刀筋だ」

 帆太郎の教え方はやさしい。目の中に入れても痛くない我が子。大事に育て過ぎていた。

「もう少し、厳しゅうなさったら」

 光姫が言う。

「それが出来んのだ。私は子にものを教えるのが下手だな」

 帆太郎は自嘲した。

「さあ、一休みして白湯でも喫しませ」

 光姫は白湯を進めた。

 帆太郎が白湯を飲んでいると、

「帆太郎、本堂に参れ」

光明が厳しい口調で呼んだ。

「はい。父上」

 帆太郎が本堂に行くと、大斧親子を始め家臣団と僧侶たちが武装して待っていた。

「帆太郎、重朝がこの寺を一万の兵で囲む」

「えっ、重朝殿が」

「奴は昔の彼ならず。お前の武力が邪魔になったのだろう」

「なぜ、なぜ。私は重朝殿の邪魔などしてないのに」

 愕然とする帆太郎。

「幸い、難破時化丸と連絡がついた。五十の船が鶴見湊に助けに来てくれる。お主はそれに乗り、大陸に逃げよ。この国にお主の居場所はもう無い」

「お主らは」

 帆太郎が大斧親子に聞く。

「皆で逃げたらすぐバレて追いかけられるだ。おら達は帆太郎様の盾となるだ」

 大斧大吉が言った。

「なら、私も戦う。皆と死ぬ」

 帆太郎が叫ぶ。

「愚か者!」

 光明法師が帆太郎を殴る。

「光姫と源太郎はどうなる。お主が守って、共に大陸に行け」

「父上」

「帆太郎様、小吉を連れてってくれだ。何かと役に立つぞ」

「皆の者。勝手に死なれては困る。甚だ迷惑だ。一緒に大陸に行こう」

「殿!」

 皆、目に涙を浮かべる。

「ならば良し、我ら寺の者だけで敵に当たる。そちら逃げよ」

 光明が静かに言った。

「しかし、関係のない方々に」

「安心せい。わしら六人、戦いたくて血が滾っておる」

「おう」

「さあ、早く逃げよ」

「はい。では光と源太郎を連れて来ます」

 帆太郎は客間に行った。


 帆太郎の話しをきき、光姫は憤慨した。

「貴方、重朝の狙いは貴方でなく、私です」

「どういう事だ」

「重朝は私に横恋慕していたのです。殿が死んだと聞いた時から、やたらと私に親切にし、私の関心をとろうとしていたのです。ところが貴方は生きていました。それで嫉妬に狂い、貴方を殺そうとしているのです。だから私が重朝の元に行けば、戦は回避されます」

 光姫は立ち上がった。

「私が重朝の元に行き戦を止めさせます」

 重朝の元に行こうとする、光姫。

「待て」

「お止め下さいますな」

「駄目だ。光を誰にも渡さない」

「貴方」

「共に時化丸の船に乗り、大陸に行こう。二人、いや、源太郎と三人で静かに生きられる場所が必ずあるはずだ」

「はい」

「私は母を知らない。産まれてすぐ母は前の武蔵守の軍に殺された。だから、見ず知らずの母を光に投影させていた」

「はい」

「だから、母のように私の元から消えるな。ずっと共に白髪の生えるまで生きよう」

「はい」

「私は甲冑に着替えて来る。大吉達が待っている。本堂の裏に行くのだ」

「はい」

 帆太郎は鎧を着て本堂裏に駆けた。


 ★★★


 舞子の熱演は他の出演者にも影響を与えた。主役の三笠拓也も重朝役の中島飛翔も、重鎮、四国源太郎までもが必死の演技をする。三ツ池監督の演出にも熱がこもった。端役やエキストラまでが燃えるように演技した。現場は最高の盛り上がりを見せた。


 ★★★


 光明は帆太郎の盾になるべく、重朝の軍勢の前に立ちはだかった。

「射殺してしまえ!」

 重朝が命じる。雨のように降り注ぐ矢。光明はそれを避けようともしない。身体中に矢が突き刺さる。まるで芒野すすきののようだ。

「矢はそれだけか」

 光明が叫んだ。なんと、生きている。

「ならば、お返しだ」

 光明が身に突き刺さった矢を抜く。鮮血が吹き出すが、ものともしない。そしてその矢を、

「エイッ」

と重朝の陣に投げつけた。

「うわっ」

 馬上の侍大将が転落する。その胸には一本の矢。光明が投げたものだ。あまりの早さに重朝には見えなかった。

「それっ」

 光明は立て続けに矢を投げた。侍大将が次々と倒れる。

 重朝は焦った。多数の兵がいても侍大将が居なければ用兵が出来ない。実際、光明らの恐るべき攻撃に兵は浮き足立っている。

「相手は手負いだ。押包め」

 慌てて指揮する重朝。兵が一斉に寺の石段を駆け上がる。

「斬れ」

 光明は命じた。矢傷だらけの僧侶に大群に襲いかかる。それを僧侶たちが斬る、斬る、斬る。

 挑みかかった兵達の命は虫けらのように断たれていった。これでは多数の兵もあっという間に消えてしまう。

「後ろに回れ! 後ろから槍で討て」

 絶叫する重朝。その間にも光明は矢を投げる。血染めの矢が重朝の武将達の身体を貫く。そして、見えた。重朝は自分の正面を目掛けられた矢を網膜に捕らえた。

「死ぬ!」

 思わず目を塞ぐ重朝。

『グサッ』

 肉の砕ける音がする。

「ああああ」

 目を開くと、眼前に熊虎狼痢が立って矢を受けていた。それも一本ではない。十本も刺さっている。それだけ光明は矢継ぎ早に投げたのだ。

「虎狼痢!」

「殿、矢の届かぬ場所へ」

 心の臓を貫かれながら虎狼痢は落馬せず、重朝を守った。

「虎狼痢、武士の中の武士よ」

 重朝は感動し、

「余が光明を討つ」

と馬を前進させようとして、宝条親子らに必死に止められた。

「お下がりを」

「虎狼痢の意をお察し下さい」

「殿あっての鎌倉です」

「おう」

 重朝は冷静さを取り戻した。

 さしもの僧侶達も背中から何本もの槍を受け、一人、また一人と討ち取られていく。ついに残るは光明だけとなった。しかし、五千の兵が道連れになった。僧侶らは平均千人余の兵を倒したのであった。

 光明は生きている。全身から血を吹き上げながら。

「みなあっぱれな働きであったぞ」

光明はつぶやく。

「俺も負けてはおれぬ」

 光明は剣を抜いた。

「うわあ」

 その姿を見て、兵達は戦慄した。この男は不死身だ。殺せない。恐怖が伝播していく。

「恐れるな。敵は後一人」

 必死に軍配を振る、重朝の手が震えている。

「征夷大将軍、源重朝!」

 光明は叫んだ。

「お主を殺すのはたやすい……だがな」

「だ、だが、なんじゃ」

 声が上手く出ない。

「おまえを殺せば、また戦乱の始まりだ。国が乱れ、民が疲弊する。かつて、ここで約束したな。民の為の国作りをすると」

「そ、そうだ」

 重朝は答えた。

「ならば、良い」

「な、何?」

「生かしておいてやる」

「な、何を小癪な」

「それとも一騎打ちするか」

「お、おう」

「ははは、そのような細腕で俺が討てるか」

 光明は笑った。

「俺は死ぬつもりだったが、気が変わった。逃げるとする」

 光明はそう言うと、誰のものか、打ち捨てられていた一頭の馬を引っ張った。

「追うなよ……そして」

「そして?」

「帆太郎のことも忘れろ。決して追ってはいけない」

 そう言うと、光明は悠然と立ち去った。後には呆然とする重朝軍が残された。

 そこに小次郎良時が悄然と参上し、

「帆太郎らに逃げられました」

と報告する。

「殿、帆太郎を追いましょう」

 氏時が進言するが、重朝は、

「いや、止めておこう」

と撤退を命じた。

 重朝はこの日の事を肝に銘じた。そして苦災寺を再建し、『荒行の仏』として尊んだ。今も寺は鶴見にある。


 光明のその後の行方は不明である。一説には、逃走の途中に出血多量で死亡したとも、二王寺に帰り僧に戻ったとも、蒙古に渡り元朝を開いたとも言われるが事実は定かではない。


 ★★★


 ついに、大作『帆太郎伝』もラストシーンを迎えた。三ツ池監督注文の、二隻の大船が登場する。


 ★★★


 大海原を一隻の巨船が行く。普通の大船の十倍はあろうか。帆は五反ある。それがゆっくりと走る姿は小さな島が動いているようである。

 しばらく行くと、突然大船が五隻現れた。大船からは各十艘の小船が海に落とされた。計五十艘である。それが巨船を取り囲んだ。鍵縄が巨船に掛けられ、剣を持った水夫達が一斉に巨船の側面を上ろうとする。これは海賊の襲撃だ。巨船の乗組員は必死に鍵縄を切る。一本、また一本と切られ、水夫、いや海賊が海に転落する。しかし、海賊はめげたりしない。このお宝の詰まったような巨船を見逃すものではない、必死に鍵縄をかけて上ろうとするのである。巨船の命運は尽きたか。

 そこに、新たなる大船が二十隻近づいて来る。海賊の仲間だろうか。大船の船団は十隻ずつに別れた。一方の十隻は小船に向かって矢を射かける。仲間ではないようだ。もう一方の十隻は五隻の海賊船に近づき、これも射かける。海賊船からも矢が放たれ矢戦が始まる。

 小船に射かけた十隻は巨船に近づき、それにまとわりつく小船を押しつぶし始めた。小船が砕け、海賊達が海に投げ出される。大船同志の戦いは、矢戦から白兵戦に移っている。十隻と五隻、数的有利を生かして、後から来た大船の船団が有利に戦を進める。やがて海賊は淘汰され、後から来た船団の勝利となる。巨船は救われた。

 この巨船の主は、海賊から救ってくれた二十隻の艦船に非常に感謝した。そして、その頭領に「お礼が言いたい」として、使者を送った。しかし、頭領は「海賊から船舶を守るのが我らの仕事。礼など不要」として会見を断った。それでは収まりのつかない、巨船の主は、自らの素性を名乗った。「余は征夷大将軍、鎌倉の源経朝みなもとのつねとも篠井三郎ささい・さぶろう)である」と。それを聞いた頭領は巨船に乗り込み、自らも名乗った。「私は平帆太郎明明である」と。驚いたのは源経朝である。かつて、父、源重朝が私淑し、後に袂を別ち攻め滅ぼした、平帆太郎明明が生きて、自分を助けるとは。目の前に立つ、この壮年の男がかつての征夷大将軍、戦の天才と呼ばれたお人か。偶然とは恐ろしいものだ。そう思った経朝は、帆太郎に語り始めた。


 我が父、源重朝は五年前、落馬が元で死んだ。公にはそうなっているが、実は愛妾、鶴の前の家で交接の際、腹上死した。恐妻である母、甘子の手前、本当の事が言えず、落馬による死であると執権、宝条良時が筋書きを立てた。その後、兄の源実家みなもとのさねいえ興居宏光ごご・ひろみつ)が二代征夷大将軍になったが、実家は宝条氏を避け、乳母親の企比由和きひ・よしかず佐藤慶二さとう・けいじ)や、若く、自分の思い通りになる人材を登用し、古老の重臣達の不興を買って、結局、伊豆の修善寺に幽閉、そこで宝条氏の手の者に暗殺された。企比由和も、宝条氏のだまし討ちに遭い散った。それらをつぶさに見て来た経朝は一種、厭世的になり、ひたすら和歌や詩に没頭し、勅撰和歌集に九十二首が入集するほどであった。政治は宝条氏を中心にした合議制が引かれ、経朝の出る番は無かった。しかし彼はそれで良かった。自分が出しゃばり、専権を敷こうとすれば、兄実家のように宝条氏に殺されるであろう。その運命を経朝は呪った。

 転機は急にやって来た。東大寺再建の為にやって来た宋人の僧、珍剣民ちん・けんみん南極斎北京なんきょくさい・ぺきん)が鎌倉に参見し、経朝を見るなり「将軍は宋第一の名僧、散山の長老、周富しゅうふの生まれ変わりである」と言って涙を流したのである。この話しを重く受け止めた経朝は散山を拝すために宋へ渡る事を思いつき、珍剣民に巨船の建造を命じた。七里ケ浜で建造は進められ、この春、進水式となった。千人の人夫に曳かれた巨船は海に浮かぶ事に成功。経朝は宝条良時らの反対を押し切り、宋への渡航を敢行した途中に海賊に襲われ、平帆太郎明明に窮地を救われたのであった。


 そこまで、話しを聞いていた、帆太郎は突然、激怒した。

「大樹。現実逃避も甚だしいですぞ」

「何を言う。余はただ、政治が煩わしいだけだ」

「ならば征夷大将軍の位を帝に返上し、一個人として、和歌を愛で、散山を拝すがよい。亡き、重朝殿は、民の為の政治を志し、鎌倉に政権を立てた。その意思を、息子である貴方が継がなくてどうする。宝条は自らが権力を握る、その為だけに政を行なっている。それを正せるのは経朝殿、貴方しかいない」

「…………」

「さあ、舳先を変えて、鎌倉に戻るのです。警護は我々がします」

「しかし……」

「兵馬の大権を握るのは貴方です。民を守れるのは貴方だけなのです」

「余は恐れる。母、甘子。執権、宝条良時。二人の力は強大だ。余は二人に殺されるであろう」

 経朝は打震えた。

「ならば、護衛に我が息子、源太郎明光を差し上げましょう。文武ともに、私が育て上げました」

「源太郎殿は強いか」

「ええ、私の若い頃よりも強いです」

「賢いか」

「四書五経を諳んじます」

「源太郎殿をこれに」

 源太郎は船を何隻も飛んでやって来た。

「大樹。源太郎明光げんたろう・あきみつ滝翼たき・つばさ)でございます」

「なんと、涼やかな鼻梁。なんと勇ましい眉。明明殿。明光殿を戴いてよいのか」

「ええ。いかようにもお使い下さい。そして、我が父、我が叔父、そして重朝殿が成せなかった、民の為の国作りを是非にも」

「おう」

 経朝はその気になった。

「明明殿も出府なされぬか」

「私は海の一族の誇りを持って、四海の平和を守ります」

「そうか」

 巨船は舳先を鎌倉に向けた。


 源経朝は鎌倉に戻ると、平明光を従え、『民の為の政』に没頭した。その変わりように、母、甘子、執権、宝条良時ら古老の重臣は驚き、恐れた。『民の為の政』など、絵空事、出来っこない。政は武士の為に行なわれるもの。それを無視する経朝は鎌倉政権に取って害を成す。始末しなければいけない。良時は、亡き実家の次男、僧になっていた苦行くぎょう愛川洋あいかわ・よう)に経朝暗殺を密かに命じた。次期将軍に推挙することを条件にして。決行は右大臣昇進を祝う鶴岡一萬宮つるおかいちまんぐう参拝においてだった。その日は雪だった。巻き添えを嫌った、宝条良時は体調不良を理由に太刀持の役を源外章みなもとのそとあき南村総一郎みなみむら・そういちろう)に譲った。雪の夜道を参拝する経朝、そこへ、

「父の仇」

 と苦行が襲いかかる。その刹那、

「ははは」

 と経朝が笑った。そして、束帯を脱ぎ捨てると、

「われは、平源太郎明光。暗殺を予期して、経朝様と入れ替わったのよ」

 と大音声を上げた。

「何っ」

 驚く苦行。

「やあっ」

 明光は家宝の名剣を抜くと、苦行を切り捨てる。

「良時様、は、話しが違う」

 苦行は斃れた。


 経朝は源太郎明光を副将軍にした。当然古老からは反発の声が上がる。

「逆賊の子を副将軍にするとは」

 だが一方宝条氏の専横を嫌う勢力は喝采を上げた。

 源太郎明光はそれらを見て、辟易した。

「大樹、権力には闘争がつきものですが、この鎌倉のそれは醜い」

「そうだが、余にはそれを止めるすべが無い」

「前例を作りましょう」

「前例とな」

「蝦夷地の東朝を西朝と合体させるのです。朝廷が二つある。上が勢力争いをしているから武士階級が争いを起こすのです」

 そう言うと、明光は防寒着を用意し、蝦夷地に向かった。東朝は藤原不足を亡くし、政権の態を成していなかった。東の今上帝、後黒河は、

「讃岐宮との合流はあり得ない」

としたが、明光は粘り強く交渉した。相手は零条逸在れいじょう・いつあり宇治真斗うじ・まさと)。切れ者だ。

「三種の神器をお渡しください。さすれば、寒冷の蝦夷地から都に戻る事が出来ます」

「それは今上帝にご退位願うと言う事か」

「そうです。しかし、東の今上帝には上皇の地位について頂き、それなりの格式を持ってお迎えします」

「我が朝の皇太子は帝に付けぬのか」

「両統順番に帝位に就くのはいかがでしょう」

「讃岐宮の次は播磨宮はりまのみや(新帝の嫡子・川崎健人かわさき・けんと)でなく伊勢宮いせのみや(後黒河帝の嫡子・松坂梅李まつざか・ばいり)様が帝位に就くのだな」

「そうです」

「讃岐宮が納得するか」

「していただきます」

 そう言うと明光は西の都に急いだ。

 二ヶ月後、西の都に着いた明光は新帝に面会した。

「取り次ぎの方に申し上げます。私、平帆太郎明明の一子、平源太郎明光と申します」

 御簾が動いた。

「帆太郎の子、明光とな。直答を許す」

 新帝が御簾を開き、明光に近づいた。

「朕はそのほうが赤子のころ、ここで会っている」

「はっ」

「帆太郎は生きておるのだな。健勝か」

「はっ」 

「そうか、良かった。今日は何用で来た。用件は早々に済まし、帆太郎の話しを聞かせよ」

「はっ。帝には少々、お耳が痛いと思いますがお聞き下さい」

 帆太郎は東朝との合流についての話しをした。

「うぬ。納得は出来かねるが、帆太郎の息子が命がけで話しを付けて来たなら無下には出来ない。それで、民が安んじるなら仕方あるまい」

 新帝は折れた。

「それより、帆太郎の話しを」

 新帝は無心した。源太郎は話し始めた。

「父は、重朝殿の攻撃から逃げた後、海賊の難破時化丸に助けられ海上に逃げました。そこで時化丸の手伝いをして、『海賊の海賊』をやっておりました。そのうち、時化丸は病を得て死去し、その後継に我が父がなりました。父は行動範囲を日の本、宋、朝鮮半島に留まらず、西の洋にも向けました。海あるところに海賊はあるからです。しかし、西の洋では国が許可を出して、他国の船を襲っていいという制度があり、父は衝撃を受けました。結局西の洋の海賊退治は諦めました。その代わり、商業の流通航路を開きました。それでかなりの利益を得ました。そして日本近海に帰って来ました。父は交易で得た利益で、恵まれない子らの養い親をしております。もちろん海賊討伐も忘れてはおりません。今日もきっと、海賊を見つけ退治している事でしょう。父には祖父、今の仕事が天職かもしれません。陸上の戦よりも海上戦のほうが得意のようです」

「そうか。ならば、朕の元に帰って来る事はないな」

「残念ながら」

「ならば、『海上大将軍』の官位を授けたいが」

「きっと、辞退するでしょう。父は自由を愛しております」

「そうか」

 新帝は昔を思い出したのか、目に涙を浮かべた。

「思えば、帆太郎には無理をさせ続けた。今、自由を謳歌しているというなら、そっとしてやるべきだな」

「ありがとうございます」

 

 空は青い。

 海は蒼い。

 空は雲一つなく晴れ渡り、海は波穏やかで風はさわやかだ。一瞬青蒼の中に吸い込まれそうになる。

 帆太郎は甲板の上で午睡していた。光姫とおときは繕い物をしている。

「貴方」

 光姫が帆太郎を呼ぶ。

「ああ」

 帆太郎は欠伸を一つした。

「おだやかな海はいい」

 帆太郎はつぶやいた。

 今日は、海賊は出ないようだ。

「光、物見に上がろう」

「はい」 

 二人は物見台に上がった。

「この大海原を見よ」

「素敵ですね」

「海には渡世のしがらみがない」

 帆太郎は言った。

「地上の源太郎が心配ですわ」

 光姫が経朝と共に鎌倉へ行った明光を思う。

「大丈夫、あいつならきっと大事をなす」

 そのとき、二人は見た。巨大な鯨が浮かび上がり潮を吹くのを。

「鯨はこの世界で一番大きい生き物と言う。そして自由だ」

「まあ」

「私も鯨のように自由な海の王者でありたい」

 帆太郎と光は寄り添って、いつまでも海を見ていた。


 ★★★


「カット! OK」

 三ツ池監督が大きくガッツポーズをする。長い映画撮影がようやく終わった。舞子にとって初めての映画出演は、彼女に大いなる無形の財産を与えた。

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