第30話 映画『帆太郎伝』③
舞子が食事をしなくなった。馬場正子が心配して、
「体の具合でも悪いの?」
と聞くと、舞子はこう答えた。
「最愛の夫が、生死の淵を彷徨っている時に食事なんかとれない」
全ては演技のためだった。正子は、
「体力が落ちては撮影なんかできないわ。何か食べなさい」
と諭したが、舞子は首を横に振った。
「水さえ飲めば、人間は生きていける。それに永遠に絶食するわけじゃないわ。今度のシーンが終わるまでのことよ」
正子は何も言えなかった。
★★★
帆太郎は眠り続けている。光姫が必死の看病をするが意識は戻らない。光姫は、動かない帆太郎の口に重湯を与え、薬を与える。あとは祈ることしかできなかった。
そしてその時が来た。
薬師が静かに言う。
「お脈が止まりました。残念ながら、ご臨終です」
光姫は取り乱した。
帆太郎の体を必死にさする。瞳に溢れ出す涙が、帆太郎の頰に落ちる。
その時だった。
「今日は雨か」
死んだはずの帆太郎がつぶやいた。
「あなた!」
光姫が帆太郎にしがみつく。
「ああ、光か。なぜに泣く」
「う、嬉しいからにございます」
「戦は?」
「お味方勝利でございます」
「そうか。勝ったのか。私には記憶がないが」
「あなたは大量の矢傷を受け、半年の間、眠っていたのですよ」
「半年……そんなに時が経っているのか」
「はい」
「その間、光は私を看病してくれていたのか? かなり、やつれたように見えるが」
「平気です。あなたが目覚めてくれて、こんなに喜ばしいことはありません」
「そうか。しかし、体が思うように動かぬが」
「これだけ長い間、床についていればそうなって当然でしょう。でも、大丈夫。ゆっくりと時をおけば、お身体も元に戻るでしょう」
「ところで、武蔵守はどうした? 討ち取ったのか」
「武蔵守は逃走しました」
「それは、至極残念だ。早く体を治して、武蔵守の首級をあげたい」
「今は、そう言ったことを考えず、お体を治すことをお考えください」
「そうだな」
★★★
舞子はこのシーンの撮影が終わると、一週間ぶりに食事に出かけた。そして正子が心配するほど、大いに食べた。
「急に食べると、体に毒よ」
正子は心配するが、
「平気よ」
と言って、舞子は箸を進め続けた。
★★★
帆太郎の体力はなかなか元に戻らなかった。剣を振れば、取り落としてしまうし、弓もまともにひくことができない。思うように体が動かないことに、歯がゆい思いをする帆太郎だったが、光姫がずっとそばについて、
「必ずできるようになります」
と励ましてくれるので、自棄にならずに済んだ。結局、帆太郎が元の通りになるまで一年の歳月がかかった。その間、光姫は夫である帆太郎を見守り続けた。
帆太郎が療養している間に、武蔵守次郎水盛は戦力を整えていた。太政大臣、藤原不足は、
「都を取り戻せ」
と繰り返し、命じた。しかし次郎水盛は、内政を重視し、出征することを拒否した。
戦は民を疲弊させる。次郎水盛は考えていた。次郎水盛は領民に愛される男だった。ふと思うことがある。兄、光明が考えていたのはこう言う政ではなかったのかと。なぜ、あの時叛逆してしまったのだろう? 兄に従えば状況は変わっていたかもしれない。手足が不自由になることもなかったであろう。自分の判断は間違っていたのではないか。だが、現実にはこうなってしまった。後悔しても仕方あるまい。次郎水盛は気晴らしに領内の検分に向かった。
その寺は鶴見というところにあった。
「華麗宗苦災寺……因業な名前だ」
次郎水盛は思った。ふと、住職に会ってみたいと思った。ほんの気まぐれである。
しかし、住職にはなかなか会えなかった。小僧によると読経の最中は他人に会わぬという。家宰(上条アムロ)が、
「こちらは、武蔵守様であるぞ」
と小僧を脅したが、案外、小僧は度胸があると見えて、
「読経が終わるまでお待ちください」
の一本やりである。
次郎水盛は境内で待つことにした。
★★★
静かなシーンである。敵役の次郎水盛が善政を敷いているのがわかるという場面だ。次郎水盛の東村雅彦と舞子は何度か共演している。東村は次郎水盛という難しい役を見事に演じている。舞子の光姫役より数倍演技力を問われる。相変わらず見学していた舞子は素直に、
「うまいなあ」
とつぶやいた。
★★★
待つこと数刻。次郎水盛は短気を起こすことなく、境内で住職の読経が終わるのを待っていた。なぜだろう? 次郎水盛は考える。どうしてか、住職に会わねばという気がする。やがて、読経が終わった。
場面は寺の本堂に移る。杖をついて本堂に上がった次郎水盛は動かない右足を伸ばして着座した。住職はまだ来ない。やがて足音が聞こえ、住職が現れた。その姿を見て、次郎水盛は、住職の体から発する、迫力に圧倒されそうになった。
「鋭い!」
住職はまるで研ぎ澄まされた、剣のようだった。
「武蔵守」
住職は口を開いた。
「貴殿が善政を敷いていること承知しておる」
次郎水盛はその姿に既視感を覚えた。
「住職、どこで修行なされた?」
「陸奥の端、二王寺じゃ」
「その前は?」
「忘れた」
次郎水盛はその声を聞いて確信した。
「住職、いや兄者!」
住職は帆太郎の父、風花太郎平光明であった。
★★★
舞子は名優、四国源太郎の重厚な演技を食い入るように見つめていた。
★★★
時は流れた。武蔵守次郎水盛は鎌倉の東朝を追い出した。後黒河帝と藤原不足は遠く蝦夷地まで逃げた。次郎水盛は坂東の独立を宣言した。
一方の西朝の新帝は帆太郎に玉剣を賜り、武蔵守の討伐を命じた。帆太郎夫婦はまたも離れ離れになる。光姫は武家の娘だから、黙って夫の出征を見送った。
★★★
また、舞子は食を絶った。夫の無事を祈る妻が、食事などするはずもないという考えの元である。
「無理は禁物よ」
馬場正子は言う。
「無理しているわけじゃない。あたし、食欲が出ないの」
舞子が答えた。
★★★
帆太郎は奇策に出た。軍の主力に東海道を進ませ、自らは、海賊、難破時化丸の船に乗り、手薄であろう、次郎水盛の本拠地、江戸を急襲するというものだ。
策は当たり、次郎水盛討伐はなったと思われた。
しかし、突如僧兵を引き連れ、全身黒づくめの甲冑を纏った武士が現れる。風花太郎平光明であった。
父の登場に驚く、帆太郎。しかも光明は、
「次郎を討つこと、あいならん」
と言う。
「なぜですか?」
問う、帆太郎に光明は、
「次郎は善政を敷いておる。その者を討ってはならない。不服なら、まずわしを討て」
と答えた。
「なぜ、親子で争わなくてはならないのですか?」
「子なら親に従え」
「そうはいきません。武蔵守討伐は帝の勅命」
「ならば勝負だ」
親子の一騎打ちが始まった。
帆太郎将軍は飛んだ。
「馬鹿者め、大地に足をつけてこその力。上に飛んだは愚策の骨頂」
光明は帆太郎の降りて来る場所に剣を振った。
「たあ」
帆太郎は光明の剣を足場にして後方に、とんぼ返りをした。
「ほう、身軽じゃの。これならどうだ」
光明が回転しながら剣を振って来る。それを後退して避ける帆太郎。
「逃げるばかりでは敵を倒す事は出来ないぞ」
光明は猛烈な剣を次々繰り出す。帆太郎は防戦一方になった。
「ふん、その程度の力で征夷大将軍とは笑止千万」
光明が言うと、
「これを食らえ」
光速の剣が帆太郎に炸裂した。
「ち、父上」
そう言い残し、帆太郎は大地に伏した。
★★★
舞子はじっとロケーションを凝視していた。その瞳からは涙が一筋、風に舞った。
★★★
帆太郎死す。その報は西朝を震撼させた。新帝は悲痛のあまり、床に伏せってしまわれた。皆が動揺する中、平然としていたのは藤原不平等であった。不平等は政庁に源重朝を呼び寄せた。重朝は気の病を得て、今回の大戦には出馬せずに所領である伊予国(今の愛媛県)で療養していた。病はまだ完治していない。青白い顔で登庁した。
「お主、帆太郎の仇を取らんか」
不平等が重朝に告げる。
「えっ?」
重朝の顔に赤みが差す。
「どうだ、やらんか」
「是非にとも、と言いたいところでございますが、体調面、兵の調達いずれも不安で、その大任お受けする訳にはいきません」
重朝は断った。武蔵守勢は今二万と聞く。しかし重朝の兵は祖父、源義亘から引きついだ兵二千のみ。とても敵わない。
「その事なら心配するな。その方の気の病なら、これを呑めば治る」
不平等は丸薬を取り出した。
「これはわしが宋より取り寄せたる、『元気丸』じゃ。わしも毎朝服用している。だからこの通り、政務もトントンとこなしてゆける。すべてこの薬のおかげや」
「はあ」
「それから兵だがな。わしの荘園の私兵四万がおるからな。安心せいや」
「えっ、四万」
「そうや」
なんと、この国で一番兵力を持っているのは、この胡散臭い左大臣なのだと重朝は驚いた。
「それでな、武蔵守には『帰順の条件を詰めるさかい、上京せえ』と親書を送ったから、あの要塞化された坂東を攻撃する無駄が省ける。あとはどこかに待ち伏せして一気に押し込めば勝てるのと違うか」
「はあ」
重朝は呆然としてしまった。見事な謀略、見事な作戦。
「ここまで見事な策を練られたのなら、左府様が出陣為されば」
重朝が言った。
「馬鹿言いなさるな。左大臣のわしがそこまでやってしまったら、その方ら武士の必要性がなくなってしまうわ。そやろ」
「はあ」
「はあはあ、言っとらんと、やるのか、やらぬのか?」
「やります」
「よう言った。なら、お主に征夷大将軍をくれてやりましょ。前任者が戦死して縁起悪いけど、ええな」
「えっ?」
「はっきりせんのう。貰うのか、要らんのか?」
「謹んでお受けいたします」
「よし、ならわしの荘園の兵を呼び寄せるさかい、冬まで待て。今は稲刈りが忙しいからな」
「はっ」
重朝は不平等から剣を戴き政庁を出た。重朝はこの命令を良い機会だと思っていた。平氏一門を滅ぼした後、都には戻らず、坂東に入って、平氏がそうしたように武家による独立政権を築こうと考えついたのだ。
★★★
中島飛翔は舞子と同じように、病気のためにやつれた演技をするため、ボディコントロールをした。舞子のストイックさを見習ったのだ。そういう意味では中島は良い役者であった。でも、撮影が済むと、近くのステーキ専門店に行って、サーロインステーキ500グラム食べた。舞子も誘われたが、こちらは苦労のシーンが続くので、やんわりと断った。しかし、絶食は体に悪い。マネジャー兼任のメイクさんである馬場正子は、
「植物性たんぱく質をとるといい」
と言って、豆腐と納豆を舞子に食べさせた。ご飯などの炭水化物は禁物だ。舞子は日に日に痩せていった。
三ツ池監督は、出番でなくても熱心に現場を見学している、舞子に感心し、少しくらいハメを外してもいいだろうと、中島が行った、ステーキ専門店に舞子を誘った。そして、
「赤身の肉なら、太らないぞ」
と教えてあげた。舞子は喜んで、ステーキを食べた。三ツ池監督のおごりだ。あとは野菜サラダを大量に食べた。翌日、舞子は体重を計った。前日と変わらなかった。
★★★
重朝は出征の前日、光姫の館に来ていた。
実のところ、重朝はいとこである光姫が好きだった。婚姻したいとまで思ったいた。しかし、その思いは果たせなかった。祖父、源義亘は四国の豪族、
重朝の正室となった甘子は気が異常なまでに強く、さらに嫉妬深かった。重朝は実のところ辟易していた。対して光姫は芯こそ強いものの、物腰は柔らかで優しい。重朝は光姫に帆太郎の菩提を弔わせ、帆太郎が死んだ事を実感させた後、自分の側室にしようと思い立った。それにしても甘子には内緒である。ばれたら『
次郎水盛の元に左大臣、藤原不平等から書面が来た。坂東の支配を認める。ついては細かな条件を詰めるから、都に来て欲しいということだった。次郎水盛は喜んだ。これで朝廷とは異なる、民を大切にする政ができると。次郎水盛は一門総出で上京することに決めた。総勢二万の軍勢だった。日の本にこれだけの軍勢を持つものはいまい。次郎水盛は考えていた。よもやその先に源重朝が四万の軍勢で待ち構えているなど、思いもよらなかった。
平氏一門はゆっくりと進軍した。そして尾張国(今の愛知県)にたどり着いたとき、天候が崩れ始めた。雨が降って来た。それも雹を伴う豪雨だ。次郎水盛は行進を止め、兵達を休めた。そこは丁度山間の森になっており、雨露をしのぐには最適の場所であった。雨脚はどんどん強くなる。直接、肌に当たると痛みを感じる。水盛は盾襖で作った小屋に輿を降りて入っていた。
水盛は家宰を呼ぶ。
「この地はなんと言う名前だ」
彼は聞いた。
「はい。桶狭間でございます」
嫌な予感がした。
「どうも陣形が長くなっているように感じる。もう少し纏められないだろうか」
「しかし、ここは狭隘な地。陣を纏めるのは難しいと存じます」
「うむ、仕方あるまい。雨が弱くなり次第ここを抜ける。皆にそう伝えよ」
「はっ」
(胸が苦しい。この動悸は何であろう。嫌な事が起こらねばよいが)
水盛は思った。その時、遠くから喚声が上がった。
不意を突かれた、平氏一門は重朝軍の猛攻になすすべもなく敗れ去った。全てを理解した次郎水盛は、
「敵の大将に申し上げる。我こそは平武蔵守水盛じゃ。今から腹を切る。その間静かにしていてくれないか」
と大音声で告げた。矢音が静まり返る。
水盛は動かぬ右足を伸ばして座ると、短刀を取り出し、腹を十文字に斬る。
「まだまだ」
介錯を断ると、腹の中から臓物を出し、そして頸動脈かき斬った。
★★★
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